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礼拝メッセージ 2014年10月26日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
 創世記 18章 16節〜33節 「正しい者はいるか」
 
  〈 聖書 (新共同訳) 〉 
18:16 その人たちはそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。アブラハム
も、彼らを見送るために一緒に行った。
18:17 主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す
必要があろうか。
18:18 アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって
  祝福に入る。
18:19 わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道
を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束した
  ことを成就するためである。」
18:20 主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実
  に大きい。
18:21 わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びの
とおりかどうか見て確かめよう。」
18:22 その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の
  御前にいた。
18:23 アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者
  と一緒に滅ぼされるのですか。
18:24 あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人
  の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。
18:25 正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせる
  ようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないこと
  です。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
18:26 主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その
  者たちのために、町全部を赦そう。」
18:27 アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、
  わが主に申し上げます。
18:28 もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それ
  でもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」
  主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
18:29 アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかも
  しれません。」主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれを
  しない。」
18:30 アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わ
  せてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれま
  せん。」主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
18:31 アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかする
  と、二十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その二十
  人のためにわたしは滅ぼさない。」
18:32 アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ
  言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」
  主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
18:33 主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の
  住まいに帰った。
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<メッセージ>
●値切り交渉
今日の箇所は、アブラハムが神様に値切り交渉をしてるみたいで、おもしろ
いです。
 
でも、おもしろいとばかり言ってはいられません。
ソドムの町が生き残るか、滅ぼされるかの瀬戸際なのです。
そしてアブラハムの交渉相手は神様なのです。
 
アブラハムは言います。
「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、我が主に申し上げます。」
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、
そこには三十人しかいないかもしれません。」
「あえて、我が主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもし
れません。」
「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかす
ると、十人しかいないかもしれません。」
 
アブラハムは、神様に対して恐る恐る交渉をしています。
 
神様はアブラハムの言うことを受け入れてくださったのでした。
●ソドム
ソドムの町については13章に出てきます。
 
アブラハムは妻サラと甥のロトを連れてハランを出発し、カナンの地に来まし
た。
アブラハムもロトも、それぞれに羊や牛をたくさん持っていました。
それで家畜を飼う者たちの間に争いが起こるようになりました。
そこで別々に暮らす事にしたのです。
 
アブラハムはロトに言います。
「あなたが左に行くなら、わたしは右に行こう。あなたが右に行くなら、わたし
は左は行こう。
ロトはソドムを選びました。
ソドムはヨルダン川流域にあって、水があるために豊かに潤い、実り豊かな土
地だったのです。
 
●ソドムの罪
豊かなことは良いことです。
けれども、物質的な豊かさは、心の貧しさになることが多いです。
安楽な生活の中で、風紀が乱れていきます。
神様を忘れ、自分勝手に生きていくようになります。
ソドムの住民は悪い考えを持ち、神様に対して多くの罪を犯していました。
人々の間では不道徳、社会的な腐敗、人権の無視、他人の苦しみがわからな
い無感覚、等々が行われていました。
 
ひどい不正、邪悪、抑圧に苦しむ人々は、救いを求めて神様に叫びました。
 
今神様は、届いた叫びのとおりかどうか見て確かめるために地上に来られて
いるのです。
 
神様はソドムを滅ぼされるのでしょうか。
●執り成し
アブラハムは主の前に進み出て、ソドムのためにとりなしをします。
ソドムには甥のロトの家族が住んでいるのです。
何とか救いたいです。
 
アブラハムは主に言います。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町
に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者の
ために、町をお赦しにはならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、
正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはござ
いません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべき
ではありませんか。」
アブラハムは全世界を裁く主の正義に訴えるのです。
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●私達の正義
ここでアブラハムが言っている正義は、私達の考えとは大きく違います。
 
正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせることは
正義ではない、ということは私達も同意するところです。
 
でも私達は、正しい者と悪い者を分けて、悪い者だけを滅ぼすべきだ、と考え
ます。
正しい者は救われ、悪い者は滅ぼされることこそ正義だと思っています。
勧善懲悪の考えがしっかりと身についているのです。
●主の正義
ところがアブラハムと神様の間でなされている交渉は、正しい者がいれば全部
を赦す、ということです。
アブラハムは主の正義に訴えているのですから、主の正義は、赦しを含んでい
るということです。
 
主は言われます。
「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全
部を赦そう。」
●アブラハムの不安
アブラハムの心に不安がよぎります、『正しい人が50人もいないかもしれな
い。』
それで、45人、40人、30人、20人、10人と人数を減らしていきます。
 
主は言われます、
「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
 
アブラハムはここで交渉をやめます。
正しい者が10人はいるに違いない、と思ったのでしょうか。
それとも、もうこれ以上は、お願いできない、と思ったのでしょうか。
 
主はアブラハムと語り終えると去って行かれ、アブラハムも自分の住まいに
帰っていきました。
●ソドムの滅び
ところが19章に入って、ソドムの町は滅ぼされるのです。
ソドムには正しい者が10人いなかったということです。
 
9人以下なら正しい者がいたのでしょうか。
そうではないでしょう。
正しい者を悪い者と一緒に殺すことをなさらない神様です。
正しい者のために、町全部を赦される神様です。
たった一人でも正しい者がいれば、神様はその人のために、町を滅ぼすことを
なさらなかったでしょう。
 
ソドムには正しい者がひとりもいなかったのです。
 
ロトと妻、娘二人はソドムから逃れますが、それはロトが正しい者であったと
いうことではありません。
もしロトが正しい者であったなら、ソドムが滅ぼされることは起こらなかった
はずです。
 
ロトが破滅のただ中から救い出されたのは、神様がアブラハムを御心にと
めたからだ、と聖書は記しています。
 
正しい者はひとりもいなかったのです。
●世界中
ここに記されているのは、ソドムだけの事ではありません。
神様は世界中を見渡して、正しい者を探しておられるのです。
 
詩編14編には
「主は天から人の子らを見渡し、探される、目覚めた人、神を求める人はいな
いか、と。だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいな
い。ひとりもいない。」
と記されています。
 
正しい者はいない、一人もいないのです。
世界中のすべての人々はソドムの住民と同様、滅ぼされるしかありません。
●ただ一人正しいお方
それにもかかわらず私達が滅ぼされないでいるのは、なぜでしょうか。
それは正しいお方が、ただ一人おられるからです。
イエス・キリストです。
 
誰一人正しい者を見いだすことが出来ない世に、神様はキリストを送ってくだ
さいました。
ただ一人正しいお方―イエス・キリストがおられますから、世界中のすべての
人々は赦されるのです。
 
神の正義は赦す正義です。
神の正義はキリストにおいて実現しています。
神の正義がこの世を貫いているのです。
●受け入れられない
けれども、ここまで来て、神の正義がそのようなものなら受け入れられない、 
と思う人達もいるでしょう。
正しい者は生き、悪い者は滅ぼされるべきだ、それが正義というものだと思っ
ているからです。
 
悪いことをしていても滅ぼされないなら悪がはびこるばかりではないか、
一生懸命正しく生きるのはばかげていることになる、
どうせ赦されるなら、好き勝手に生きればいい、
正しい者が損ばかりして、悪い者が得をすることになる、
こんなのは正義ではない、と思います。
悪い者は滅ぼされるべきだと、思います。
●罪を負う十字架
その通りです。
悪は滅ぼされなくてはいけません。
そうでなければ世の中はどんどん悪くなります。
 
神様は悪を見逃しておられるのではありません。
神様は悪を徹底的に滅ぼしつくされます
それがキリストの十字架の出来事だったです。
 
すべての人が犯すすべての罪を負ってキリストは十字架に死なれたので
した。
神様はすべての人の罪を十字架において断罪されました。
これが神様のなさり様です。これが神の正義です。
 
神の正義はキリストの十字架によって完成されています。
神の正義は赦しです。
キリストの十字架ゆえの赦しです。
十字架なしの赦しはありません。
●今
今、この世はどうでしょうか。
 
この社会が犯している罪は非常に重いと訴える叫びが、神様に届いています。
この世は不道徳、社会的な腐敗、人権の無視、抑圧、他人の苦しみがわから
ない無感覚、等々でいっぱいです。
滅ぼされるしかない世です。
 
滅ぼすのは神様です。
人が滅ぼすのではありません。
人は誰も滅ぼされる側なのです。
 
これまで私達は勧善懲悪の考え方の中で生きて来ました。
すべての人や物事を白と黒に分け、白は良い、黒はだめ、黒は滅ぼされるべ
きであると考えてきました。
それこそが正義、と思っています。
ですから「水戸黄門」のように白黒がはっきりしていて、最後は悪者が懲らし
められる話が大好きなのです。
 
黒は滅ぼされるべきと思う時は、必ず自分は白と思っています。
白の自分が黒を裁くのです。
●正しい者はいない
でも本当はどうなのでしょうか。
正しい者は一人もいないのではありませんか。
 
自分は正しいと思っている人はたくさんいます。
自分は正しいと思っている人だらけです。
でも少しでも自分自身を見つめるならば、そうではないことに気付くはずです。
 
正しい者は一人もいない。
みんな自己中心に生きています。
すべての人々は、神様の目から見れば、滅ぼされるしかない存在です。
 
けれどただ一人罪を犯したことのない正しいお方がおられます。
このお方―主イエス・キリストによって私達は滅びを免れているのです。
●結語
ただイエス・キリストだけを見ていきたいです。
ほかにはどのような救いも存在しません。
 
キリストだけが私達を赦し、救い、生かしてくださいます。
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