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礼拝メッセージ 2014年 9月21日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
創世記11章 1節〜9節「分裂と回復」  
  〈 聖書 (新共同訳) 〉
11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
11:2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに
住み着いた。
11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりに
   れんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
11:4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、
全地に散らされることのないようにしよう」と言った。
11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11:6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このよ
  う なことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることは
  できない。
11:7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き
分けられぬようにしてしまおう。」
11:8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめ
  た。
11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言
  葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたか
  ら である。
 
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<メッセージ>
●同じ言葉なら
今、世界中が同じ言葉を使うようになったらどうだろうか、と思います。
 
海外旅行に行くのが楽になるでしょう。
どこに行っても言葉が通じるのですから、国内旅行をしているのと同じ気楽さ
があります。
 
世界中が同じ言葉を使うようになったら、ロシアとアメリカは仲良くなるで
 しょうか。
日本と中国の間の互いの理解が深まるでしょうか。
各地で起こっている紛争は解決するでしょうか。
世界中が平和になるでしょうか。
●一つの言葉
今日の箇所には「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。」とあ
ります。
この言葉で、神様が人に話され、人が神様に答えていたのです。
人と神様が対話し、信頼を結ぶ言葉でした。
人もまた、互いに気持や考えを伝えあって信頼を作り出すことができたのでし
た。
 
ところが今はどうでしょうか。
実にたくさんの言葉が使われています。
なぜ異なった言葉を話すようになったのか、そのわけをバベルの塔の物語は
説明しています。
●煉瓦
バベルの塔の物語の舞台になっているのは、シンアルです。
これはバビロニアのことです。
 
「 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりに
れんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。」
とあります。
 
聖書が書かれ読まれたパレスチナでは、石を積んで建物を造りました。
けれどもバビロンのあるメソポタミア地方には石があまりなかったので、人々
は煉瓦を作ることを考え出しました。
 
煉瓦は粘土を固めて、自然乾燥させて作ります。
でもこれではもろいです。
そこで火で焼いて固い煉瓦を作るようになりました。
「れんがを作り、それをよく焼こう」というのは、頑丈な煉瓦を作ろう、という
ことです。
 
石と煉瓦を比べてみてください。
高いところから落とすと、石は割れませんが、煉瓦は割れてしまいます。
一方、石は色々な形をしていますからそれを積み上げて高いものを作るのは
むずかしいですが、煉瓦は積み上げるのが簡単です。
高い建物を造ることが出来ます。
 
煉瓦を発明することによって、人は高い建物を造ることが出来る様になりまし
た。
けれどもそれはもろいものです。
 
●塔を建てよう
煉瓦を手に入れた人間は、高い塔を作り始めたのでした。
「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされ
ることのないようにしよう」と言っています。
人々が全地に散ることなく一つの町に住み、一致団結して目指したことは、有
名になることです。
名声を得たい、
強大なものになりたい、という思いが人々を一つにしていました。
 
天にまで届く塔を建てたいと思うのは、自分たち人間が神のようになりたいと
いうことでしょう。
自分たちが団結することによって、自分たちの力を示そう、自分たちの技術に
よって何だって出来るのだ、と思っているのです。
バベルの塔は、神様を捨て、人間の作り出すものに依り頼む生き方の象徴です。
●今日の社会
バベルの塔の物語は、昔々の物語ではありません。
ここに記されているのは、人類が辿ってきた歩みです。
そしてそれはまさに今日の人間の有り様です。
 
人類は、様々なものを作り出してきました。
その作り出されたものによって、人はより豊かな、より快適な暮らしが出来る
様になりました。
今日も日々新しい技術が開発されています。
最近ではips細胞が初めて治療に使われたことが大きなニュースになりました。
今まで治らなかった病気が治るようになるのは、幸いなことです。
けれども技術革新の中で、人は神様を忘れていったのでした。
人は科学技術に依り頼むようになりました。
人は神の領域にまで到達できると思い込むようになったのです。
人間が絶対的なものになりました。
●神の罰
神無しの生き方をしはじめた人間を神様は放置されるのでしょうか。
 
思い返してみれば、これまで創世記で見てきたのは、神様に背く人類の姿でし
た。 
最初の背き アダムとエバ
最初の殺人 カインとアベル
地上に悪が増しすべての人々が洪水によって滅ぼされる ノアの洪水
 
そして洪水の後に生まれた人達がバベルの塔を建て始めるのです。
神様に全く心を向けることなく、人の力を誇るようになっていきました。
ほっておけば、ますます人の力を誇り、自分たちをほめたたえる企てをたてる
でしょう。
神様への背きは深まるばかりです。
 
それをやめさせなければなりません。
けれども神様はもう罪を犯す人間を滅ぼし尽くすことはなさいません。
「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように
生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」
と決められたからです。
 
そこで神様は人々の言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられないように
されました。
そして人々を全地に散らされました。
 
天地創造の物語は、バベルの塔の物語で終わりになります。
よいものとして造られた人間が神様に背いた、その結末は人々の言葉が乱され
ることでした。
互いの意志が通じなくなり、人々は全地に散っていったのです。
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●回復
散らされていった人々が再び一つの民になる時が来るのでしょうか。
すべての人々が神様に養われる一つの群れになる時が来ます。
 
12章から始まる族長物語にわずかな光を見いだすことが出来ます。
神様はアブラハムに
「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」
と約束されました。
 
この約束が実現するのは、まだまだ先のことです。
でもそれはすでに始まっています。
 
人々の背きの歴史の果てに、ついにイエス・キリストが来られました。
十字架によって人々の間の隔ての壁を取り壊し、一つの新しい体として神様と
和解させてくださったのです。
 
そしてイエス様が十字架に死なれて50日目、ペンテコステの日に弟子達の上
に聖霊が降りました。
弟子たちは聖霊に満たされて他の国々の言葉で語り出しました。
方々の国から集ってきた人々全部にわかる言葉を話し出したのです。
 
この出来事は、バベルの塔の物語においてばらばらになった言葉が一つになる
ことを表わしています。
お互い言葉が通じるようになるのです。
●一つの言葉
世界中の人々が同じ言葉を使って、同じように話せたらどんなに良いでしょう
か。
人々は言葉で自分の考えや気持を伝えることによって、理解し合い仲良くなれ
るのです。
 
そこで、世界共通語を作ろうとした人達がいました。
エスペラントという言葉を作ったのです。
でも、普及率は、世界人口の0.03%だそうで、共通語とはほど遠いです。
 
たしかに世界中が一つの言葉になったら、どんなに良いだろうかと思います。
国々や民族同士がよく話し合うことが出来て、戦争や争いがなくなるだろうと
思います。
 
けれども、言葉が一つになったからといって、世界が平和になるわけではない
ようです。
韓国と北朝鮮は同じ言語を使っていながら、敵対しあっています。
●私達
今私達は日本に住んで、日本語を使って生活しています。
同じ言葉を使っています。
それなのに、自分の言いたいことが相手に通じないということを経験するので
す。
上手に自分の気持や考えを表現できない、ということもあるでしょう。
でもそれ以上に大切なことは、信頼関係の中で言葉が交わされることです。
お互いに信頼関係があるときは、相手の言葉を悪く取ることはありません。
自分にとっていやな言葉が発せられても、「いやだ」と言えるし、相手の真意
を確かめることもできます。
けれども信頼関係が崩れると、相手の言ったことを、いちいち悪く取ります。
そして益々関係がこじれていくのです。
 
同じ言葉を話していればそれで万事解決とはいかないようです。
●どこに向かうか
最も大切なことは、同じ言葉を使って同じように話している人達が、どこに向
かうかということです。
 
今日の聖書では、同じ言葉を話している人達が「さあ、天まで届く塔のある町
を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と
言ったのです。
自分たち人間が神となる道に進んでいきました。
同じ言葉を使って、神様に背くことをはかったのです。
 
これは言葉以前の、人間存在の問題です。
人々が神様との信頼関係にあるのか、それとも神様に背く罪の中にあるのかが
問題です。
神様との信頼関係の中にいてこそ、人々が交わす言葉は生きるのです。
神様の愛の中で、互いに理解し合い、許し合い、受入れあう言葉になります。
●一つの群れ
神様に背き、人間が神となることをはかったために、言葉は混乱し、違った言葉
を話すようになりました。
そして人々は全地に散らされていきました。
 
けれども、今神様の言葉は、すべての人々に語られています。
すべての人々がわかるように、それぞれの言葉で語られています。
神様の言葉を聞いて、人々は一つの群れになることができるでしょう。
 
イエス様は「わたしは良い羊飼いである」と言われました。
「 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなけ
ればならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼い
に導かれ、一つの群れになる。」
と言われました。
 
世界中の人達が、主イエス・キリストの声を聞き分けるようになるのです。
世界中の人達がキリストに導かれ、一つの群れとなるのです。
●結語
キリストにある希望をいただいて、私達は今を生きています。
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