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| <メッセージ> |
| ●人となられたキリスト |
| 神であられる御子キリストが、人となってこの地上に来てくださったことは、何と |
| 大きな恵みでしょうか。 |
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| 私達はイエス・キリストのお姿を思い描くことが出来ます。 |
| イエス様がわたしのすぐ近くに居てくださることを感じることが出来ます。 |
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| 福音書に描かれているイエス様の出来事の中にわたしも居ます。 |
| わたしの暮らしの中にイエス様がおられます。 |
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| ●カファルナウムの家 |
| けさ私達は2000年前のカファルナウムの町にいます。 |
| イエス様が家に戻っておられました。 |
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| イエス様はカファルナウムに来られる時は必ず決まった家に滞在されました。 |
| それはおそらくペトロの家だったのでしょう。 |
| 1章29節以下でイエス様がシモン・ペトロの家に行かれ、しゅうとめを癒された |
| ことが記されています。 |
| この家はイエス様をもてなす家になったのでした。 |
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| ●大勢の人が来る |
| イエス様が家におられることが知れ渡り、大勢の人達が集ってきました。 |
| 戸口の辺りまですきまもないほどです。 |
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| なぜ人々はイエス様のところに集ってきたのでしょうか。 |
| それはイエス様がお話しなさることが、今まで聞いたことのない新しい教え |
| だったからです。 それは力強く聞く人の心を打つものでした。 |
| またイエス様は病気を癒し、悪霊を追い出されました。 |
| それで、イエス様のところに大勢詰めかけたのでした。 |
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| こういうことは今日でも良く起こることです。 |
| 有名人が来ているということがわかると、人垣が出来るのです。 |
| 芸能人であったり、スポーツ選手であったり、皇室関係の人であったり、 |
| 人にまさった力を持った人達の周りに人は集ります。 |
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| この時もイエス様の姿を一目見よう、イエス様のお話を聞こうと、人々が |
| 集ってきたのでした。 |
| 律法学者達も例外ではありません。 |
| イエス様に興味を持って家に来ていたのでした。 |
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| ●赦すだけなら |
| イエス様がすばらしいお方、人の心を打つお話しをなさる方、病気を癒して |
| くださるお方であられる限り、人々はイエス様の周りに集ってくるのです。 |
| その数はますます増えて、社会を変革するほどの力になることでしょう。 |
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| 4人の男が中風で寝たきりの病人を屋根をはがしイエス様の前につりおろした |
| 時、イエス様が『起きて、床を担いで歩け』と言われただけなら、何の問題も |
| なかったのです。 |
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| 実際後になって病人が起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て |
| 行った時、人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、 |
| 神を賛美したのでした。 |
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| イエス様の人気は高まる一方になるはずです。 |
| そのようにして、イエス様は人々を救うメシアになることが出来たはずでした。 |
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| ●罪の赦しの宣言 |
| ところがイエス様は寝たきりの病人を見て、「子よ、あなたの罪は赦される」と |
| 言われたのでした。 |
| 罪の赦しを宣言されました。 |
| ご自分が地上で罪を赦す権威を持っていることを表わされたのです。 |
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| ●罪 |
| 「罪」ということは、私達日本人にはわかりにくいことです。 |
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| 罪と言えば刑事上の犯罪を犯すこと、倫理道徳に反する行為をすることである |
| と思います。 |
| ですから自分は罪を犯していない、罪とはかかわりがないと多くの人達は |
| 思っています。 |
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| ●恥 |
| 日本人にわかりやすいのは「恥」というでしょう。 |
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| 人々は何より恥をかくことを恐れます。 |
| そんなことをしたら恥ずかしい、と思って自分の行いを押さえます。 |
| 恥をかかせられた、と思うと居ても立っても居られないほどに傷つきます。 |
| 思ってもいなかった失敗をしてしまった、もう生きていけないと思うのも、 |
| 恥から来ています。 |
| 私達の生き様の根底にあるのが「恥」です。 |
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| ●罪と恥 |
| この私達を支配している「恥」という感覚がどこから来ているかを調べて |
| みましょう。 |
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| 「恥」というものは、人から自分がどのように見られるか、ということによって |
| います。 |
| 自分を人によって判断するのです。 |
| ですから、いつも人の目線が気になる、人に支配されて生きていることになり |
| ます。 |
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| そのように、人を見て生きていくことを、聖書は罪と言うのです。 |
| 神様を見ないで人を見ていくことが罪なのです。 |
| 神様に向かって生きていくべき人間が、他のものに向かって生きていく、的を |
| はずす生き方をする、それが罪です。 |
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| 私達は創世記を学んでいます。 |
| 人が神様の信頼を裏切り、自分自身が神となろうとした結果、自分たちの裸を |
| 恥じた、ということを知りました。 |
| そして人は神様から隠れたのでした。 |
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| 神様に背き罪を犯したとたん、人が自分をどう見ているかが問題になったのです。 |
| 神様だけを見て生きることが出来なくなり、人を見て生きるようになりました。 |
| 罪から恥が発生したのです。 |
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| ●律法学者 |
| 律法学者は聖書の専門家です。 |
| 律法学者は罪ということがよくわかっていました。 |
| ですから、イエス様が「子よ、あなたの罪は赦される」と言われたのを聞いて、 |
| 心の中で |
| 「神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 |
| と思ったのです。 |
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| この考えは正しいです。 |
| 罪を赦すことができるのは、神様お一人です。 |
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| 人が犯罪を犯して誰かに害を与えたとします。 |
| その罪を赦すことができるのは被害を受けたその人だけです。 |
| ほかの人は、裁くことはできます。 |
| でも裁判官であっても、弁護士であっても、第3者は赦すことはできないのです。 |
| 赦すことができるのは当事者だけです。 |
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| 人は神様に対して罪を犯しました。 |
| ですから人を赦すことができるのは神様だけなのです。 |
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| ●イエスは何者か |
| ところがイエス様は病人に向かって「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた |
| のでした。 |
| それは自分を神とすることです。 |
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| それで律法学者は |
| 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。神おひとりの |
| ほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 |
| と思ったのでした。 |
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| 律法学者達はイエス様を人と見ています。 |
| ですからイエス様が、神を冒涜している、と思ったのでした。 |
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| イ エスは何者なのか。 |
| これはすべての人に問われていることです。 |
| 清く正しく愛に生きた偉大な人物なのか。 |
| それとも神なのか。 |
| すべての人はこれに答えなければなりません。 |
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| 今日私達はイエス様が「子よ、あなたの罪は赦される」と言われるのを聞いて |
| います。 |
| 「この人は、なぜこういうことを口にするのか。神を冒涜している。」 |
| と思いますか。 |
| それとも「イエス・キリストは罪を赦す権威を持っている地上に来られた神です」 |
| と告白しますか。 |
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| ●十字架の道 |
| 今日の箇所から始まって、律法学者達はこの後ずっと「イエスという男は神を |
| 冒涜している」とみていきます。 |
| そして3章6節に至って、どのようにしてイエスを殺そうかと謀るようになるのです。 |
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| 律法学者達はついにイエス様を十字架にかけることに成功します。 |
| イエス様を裁いて、神を冒涜していると決め、処罰します。 |
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| ●赦しの宣言 |
| けれどもイエス様は十字架上で |
| 「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」 |
| と祈られたのでした。 |
| キリストの十字架は、すべての人の罪を赦す出来事でありました。 |
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| イエス様はいつもいつも罪の赦しを宣言してくださっているのです。 |
| 誰に対しても「子よ、あなたの罪は赦される」と言ってくださっているのです。 |
| 十字架の贖い故に、そう言ってくださるのです。 |
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| ●私達 |
| けさ私達はわたしに語られるイエス様の言葉を聞いています。 |
| イエス様は言われます「子よ、あなたの罪は赦される」。 |
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| まことに私達は床に縛り付けられている者です。 |
| 罪の中で身動きできなくなっている者です。 |
| 自分では起き上がることも立つことも出来ません。 |
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| その私にイエス様は「子よ、あなたの罪は赦される」と言われるのです。 |
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| ●一方的な赦し |
| これは一方的な宣言です。 |
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| 中風の人は全くの受け身でした。 |
| この人の信仰さえ問われていません。 |
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| 罪の赦しはイエス様の権威によって、一方的に行なわれるのです。 |
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| イエス様の赦す権威は、十字架の贖いに基づく権威です。 |
| そこには人間のいかなる行いも入る余地がありません。 |
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| ●罪赦された者 |
| イエス様から罪を赦された者は、起き上がり歩くことが出来るようになります。 |
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| 「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」といわれた |
| 中風の人は起き上がり、すぐに床を担いで、皆の見ている前を出て行きました。 |
| 罪が赦されたことが、見える形で表わされたのでした。 |
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| 私達も起き上がって床を担いで歩くことが出来ます。 |
| 床は私達を縛り付けていたものでした。 |
| ところが罪赦された後は、その縛り付けていたものを担って歩くことが出来る様に |
| なるのです。 |
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| ●担う者に |
| そして今度は、床に縛られ起き上がることが出来ない人を、イエス様のところに |
| 連れて行く人になるのです。 |
| 中風の人を運んできた4人になるのです。 |
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| 「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦され |
| る」と言われた。」 |
| と書かれています。 |
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| その人達の信仰が立派で罪を赦すための十分な条件を備えていたから、その |
| 信仰の見返りとして「子よ、あなたの罪は赦される」と言われたのではありません。 |
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| 自分のためではない、ほかの人が救われるためにこんなにも夢中になっている、 |
| その愛を、イエス様は信仰と受け取ってくださったのです。 |
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| この人達の愛に触れて、イエス様から愛がほとばしり出ました。 |
| 神様にしか出来ない罪の赦しを与えてくださいました。 |
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| ●結語 |
| 地上にあって罪の赦しを与えることが出来るのは神であられるイエス様だけです。 |
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| イエス様は罪の赦しを与えるためにこの地上に来てくださり、十字架についてくだ |
| さったのでした。 |
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| けさ、イエス様は私達に言っておられます「子よ、あなたの罪は赦される」。 |
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| イエス様は、地上で罪を赦す権威を持っておられるただひとりのお方です。 |
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