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礼拝メッセージ 2014年3月30日
このメッセージは「ヨハネの黙示録」の連続講解説教の一部です。
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
ヨハネの黙示録 22章6節〜15節「主はすぐに来られる」 2014.3.30  
  〈聖書(新共同訳)〉
22:6 そして、天使はわたしにこう言った。「これらの言葉は、信頼でき、また真実である
預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを
御自分の僕たちに示されたのである。
22:7 見よ、わたしはすぐに来る。この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」
22:8 わたしは、これらのことを聞き、また見たヨハネである。聞き、また見たとき、
  わたしは、このことを示してくれた天使の足もとにひれ伏して、拝もうとした。
22:9 すると、天使はわたしに言った。「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟で
ある預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。
神を礼拝せよ。」
22:10 また、わたしにこう言った。「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけ
ない。時が迫っているからである。
22:11 不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。
正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ。
22:12 見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて
報いる。
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、
終わりである。
22:14 命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い
清める者は幸いである。
22:15 犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、
すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。
 
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<メッセージ>
●結び
ヨハネの黙示録を礼拝で読み進めて10ヶ月が経ちました。
いよいよ最後の章22章に入っています。
今日の箇所は「結び」の部分です。
思い返してみれば、黙示録は
1:1 イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその
僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って
僕ヨハネにお伝えになったものである。」
という言葉で始まっていたのでした。
そして今日の箇所には
「預言者たちの霊感の神、主が、その天使を送って、すぐにも起こるはずのことを、
御自分の僕たちに示されたのである。」
と再び記されています。
私たちは、すぐにも起こるはずのことを、キリストによって教えていただいてきたの
です。
●真実な言葉
私たちが読んできた聖書の言葉は信頼でき、真実です。
天使がヨハネに
「これらの言葉は、信頼でき、また真実である。」
と保証しています。
神様が聖霊によって示されたのですから確かです。
●黙示録に書かれていること
黙示録に書かれていたことを思い返してみましょう。
 
世界が2つに、はっきりと分けられていました。
一方には神とキリスト、そしてキリストに忠実な者達、神の民と新しいエルサレムが
あり、
他方には、サタンと獣とそれに従う者達、神に背く淫婦バビロンがあります。
 
に玉座があり、そこに神とキリストがおられます。
キリストは屠られた小羊と言い表されています。
十字架に死に復活されたキリストです。
キリストが巻物の封印を解き、幻を見させてくださいます。
終わりの時に起こる出来事を支配しているのはキリストであられるということです。
 
一方、世の中では竜と呼ばれているサタンが勢力をふるっています。
神に敵対する勢力は神に似せて自分たちを装い、獣を礼拝させます。
人々はサタンに惑わされます。
すべての者に獣の刻印を押されるのです。
しかし、獣が力をふるう期間は限られています。
 
終わりの時にこの2つの勢力が衝突します。
神が勝利されます。
 
最後の裁きが行なわれます。
二つの勢力の行く末ははっきりと分かれます。
命の書に名が記されている者は救われ、名が記されていない者は第2の死に
渡されます。
死も陰府も死にます。
こうして死が取り除かれます。
最初の天と地は去って行き、新しい天と地があらわれます。
神自らが人と共におられる世界です。
 
キリストご自身が言われます。
「わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして最後の者。初めであり、
終わりである。」
神様はすべての時を支配されています。
すべてのことは神の御支配の中にあるのです。
●教会
黙示録の幻を見させていただいている教会は、神に敵対する勢力が支配している
世にいました。
キリストが、裁きのために来られるその時まで、教会は苦難の中に生きなければな
りません。
私達もまた同様です。
 
その間をどのように生きていったらいいのか。
黙示録は、死に至るまで神の言葉とイエスの証しを持ち続けるようにと促します。
教会の祈りと叫びは神に聞かれているのです。
サタンと獣が勢力をふるっていますが、神様は変わらずに玉座におられるのです。
神様は流された血に報復されます。
 
幻を通して、神様は苦しみの中にある教会に勇気と慰めを与えてくださっているの
です。
●幸である
そして黙示録は、幸いを語ります。
 
今日の箇所には7節に
「この書物の預言の言葉を守る者は、幸いである。」
とあります。
また14節には
「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗
い清める者は幸いである。」
とあります。
 
「幸いである」という言葉は黙示録に7回出てきます。
終わりの時を望み見ながら苦難の中で生きている人々に、幸いを告げているの
です。
「幸いである」と言われる歩みをするようにと、生き方を示してくださっています。
今日の2つのほかに1章3節、
14章13節、16章15節、19章9節、20章6節にあります。
味わってみましょう。
1:3 この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る
人たちとは幸いである。」
 
14:13 『今から後、主に結ばれて死ぬ人は幸いである』」
 
16:15 見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかない
 ように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。」
 
19:9 小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」
 
20:6 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに
対して、第二の死は何の力もない。」
 
私達は幸いへと招かれています。
幸いな生き方をしなさい、と促されています。
●山上の説教
イエス様も山上の説教で「幸いなるかな」と言葉を重ねて言われました。
「心の貧しい人々は、幸いである」
「悲しむ人々は、幸いである」
と始まり
「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴
びせられるとき、あなたがたは幸いである。 喜びなさい。大いに喜びなさい。天に
は大きな報いがある。」
という言葉で終わっています。
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●本当の幸い
私達は幸いをいただきたいです。
神様は「幸いだ」と言ってくださいます。
でもそれは、人がこれが幸いと考えているものとは違っています。
 
本当の幸いは、アルファであり、オメガであられるお方、初めであり、終わりである
方のふところにすっぽりと抱かれて生きることです。
 
キリストはこの世に来てくださり、十字架にかかって罪を贖い、復活されて、すべ
ての人々を神様のふところに招いておられます。
その招きに応えて神様の御支配の中に生きること、これが神様の言われる幸い
です。
本当の意味での幸いです。
たとえ現実がどんなに辛くても、なお失われることのない幸いです。
●神の願い
神様は、すべての人がこの幸いに生きることを願っておられます。
神様は人が滅びることを願っておられるのではありません。
すべての人がキリストの贖いを知り、赦されて生きることを願っておられるのです。
 
ですから、すべての人々が神様のくださる幸いを知るようにならなければいけま
せん。
 
聖書は、キリストの十字架と復活を証しします。
天使も預言者たちも、神の言葉を語ります。
 
ヨハネも神の言葉とイエスの証しをしました。
そのためにパトモス島に連れてこられたヨハネは、神様からの言葉を聞き幻を見
たのでした。
そして書き記したのでした。
●秘密にしておくな
そのヨハネに、さらに天使は言います。
「この書物の預言の言葉を、秘密にしておいてはいけない。
時が迫っているからである。」
 
命の分かれ目が迫っています。
ちょうど光が強くなると、光と闇がそれぞれに際立つように、
不正を行う者、汚れた者と、正しい者、聖なる者がはっきりと分かれます。
ですから、キリストを信じる者は聞いている言葉を秘密にしておいてはいけない
のです。
キリストの十字架の赦しと復活の命を自分だけのものにしていてはなりません。
すべての人々に知らせなければいけません。
 
キリストは「見よ、わたしはすぐに来る。」と言われています。
「わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」
と言われています。
 
キリストが来られたとき、正しい者、聖なる者を見つけることが出来なかったら、
どんなに嘆かれることでしょうか。
不正を行なう者、汚れた者ばかりだったらどんなに悲しまれるでしょうか。
 
先にキリストを知った者は、すべての人々がキリストによる救いを知ってくださり、
救いに与るようにと、祈り働く務めをいただいています。
●神を礼拝せよ
私達は先に福音を知りました。
神様に仕える者とされました。
 
天使は天使を拝もうとしたヨハネに、
「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の
言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」
と言いました。
 
キリストを信じる者は神だけを礼拝して生きていくのです。
私達の周りにはたくさんの神と名乗るものがあります。
そういう中で、キリストをくださった神様だけを礼拝するのです。
それは大変なことです。
戦いがあります。
ヨハネの教会がそうであったように、私達も困難と戦い、苦しみを耐え忍ばなけ
ればなりません。
●わたしはすぐに来る
けれど私達には希望があります。
キリストが「わたしはすぐに来る」と言ってくださっています。
終わりの時に来られるお方は、十字架にかかりすべての罪を贖ってくださった
キリストです。
 
キリストはもうすでに私達のところに来てくださいました。
人となって来てくださり、十字架にかかって私達すべての罪を贖ってくださり、復活
されました。
 
キリストが再び来たり給う時、
門を通って聖なる都に入り、命の木の実をいただくことが出来る約束を、私達はい
ただいています。
 
今日の箇所には
「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い
清める者は幸いである。」
7章14節には
「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたので
ある。」
と記されていました。
 
私達の衣を洗い清めてくださるのはキリストです。
キリストの血潮が、私達の罪、汚れを洗い流してくださいます。
ですから、私達は都に入ることができ、命の木の実をいただくことができるのです。
●都の外
それでもなお都の外にいる人達がいるのでしょうか。
今日の箇所には
「犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、
すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。」
とあります。
 
その人達の所にキリストは行かれます。
 
キリストは都の外で十字架にかけられたのでした。
都の外にいる者達のために血を流され、その罪を贖ってくださったのです。
「わたしはすぐに来る」と言われるキリストは、都の外で十字架にかかられた
キリストです。
聖なる都の光となってくださるキリストは、都の外で十字架にかかり、復活された
キリストです。
 
その光が輝いていますから都の門は決して閉ざされることはありません。
誰でも門を通って都に入ることが出来るのです。
 
ここに私達は大きな望みを見ることが出来ます。
 
終わりの時に来てくださるキリストは、すべての人々のために十字架にかかり、
復活されたキリストです。
ですから私達は希望を持ってキリストを待ち望むことが出来るのです。
●結語
けさ私達はキリストの言葉を聞いています。
 
キリストは言われます。
「見よ、わたしはすぐに来る」
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