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礼拝メッセージ 2014年2月9日
このメッセージは「ヨハネの黙示録」の連続講解説教の一部です。
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
ヨハネの黙示録 19章1節〜10節「主をほめたたえよ」 2014.2.9
  〈聖書(新共同訳)〉
19:1 その後、わたしは、大群衆の大声のようなものが、天でこう言うのを聞いた。
「ハレルヤ。
   救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。
19:2 その裁きは真実で正しいからである。
   みだらな行いで
   地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、
  御自分の僕たちの流した血の復讐を、 
彼女になさったからである。」
19:3 また、こうも言った。
   「ハレルヤ。
   大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る。」
19:4 そこで、二十四人の長老と四つの生き物とはひれ伏して、玉座に座って
おられる神を礼拝して言った。
   「アーメン、ハレルヤ。」
19:5 また、玉座から声がして、こう言った。
   「すべて神の僕たちよ、
   神を畏れる者たちよ、
小さな者も大きな者も、
   わたしたちの神をたたえよ。」
19:6 わたしはまた、大群衆の声のようなもの、多くの水のとどろきや、激しい雷の
ようなものが、こう言うのを聞いた。
   「ハレルヤ、
   全能者であり、
わたしたちの神である主が王となられた。
19:7 わたしたちは喜び、大いに喜び、
   神の栄光をたたえよう。
   小羊の婚礼の日が来て、
花嫁は用意を整えた。
19:8 花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられた。
   この麻の衣とは、
   聖なる者たちの正しい行いである。」
19:9 それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは
幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。
19:10 わたしは天使を拝もうとしてその足もとにひれ伏した。すると、天使はわたしに
こう言った。「やめよ。わたしは、あなたやイエスの証しを守っているあなたの
兄弟たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。イエスの証しは預言の霊
なのだ。」
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<メッセージ>
●ハレルヤ
今日の箇所には「ハレルヤ」という賛美が響き渡っています。
皆さんは「ハレルヤ」という言葉をこれまでにもよく聞いていると思います。
教会に行ったことのない人でも、大多数の人達が「ハレルヤ」という言葉を聞いたことが
あるのではないかと思います。
一番良く知られているのはハレルヤ・コーラスでしょう。 
ヘンデル作曲「メサイア」の第2部の終わりに歌われます。
1743年、初めてロンドンで演奏された際、国王ジョージ2世が、「ハレルヤ」の途中に
起立し、聴衆も総立ちになったという話が言い伝えられています。
それ以後、ハレルヤコ−ラスの時、聴衆は起立する慣わしになっていると言われています。
●ハレルヤの意味
ハレルヤというのは、ヘブライ語です。
「主をほめたたえよ」と言う意味です。
「ハレル」というのは「ほめたたえよ」という意味で「ヤ」は「ヤーウェの神・主」を意味
する言葉です。
ヘブライ語が訳されずにそのままギリシャ語の新約聖書に使われました。
意外に思われるかもしれませんが「ハレルヤ」が新約聖書で使われているのは、今日
読みました黙示録19章のここの4つだけです。
旧約聖書はヘブライ語で書かれていますから、ハレルヤはよく出てきます。
特に詩編にたくさん出てきます。
新共同訳はヘブライ語のまま「ハレルヤ」と書いてありますが、口語訳では「主をほめた
たえよ」と日本語に訳しかえられていました。
●天も地も
ハレルヤ!主をほめたたえる声が天に地に響き渡ります。
天では大群衆の大声のようなものが「ハレルヤ」と言います。
24人の長老と4つの生き物もひれ伏して「アーメン、ハレルヤ。」と玉座に座っておら
れる神を礼拝します。
24人の長老と4つの生き物は黙示録を読み進めてきた私たちにはなじみ深いものです。
天の玉座のまわりに居て神様を礼拝しているものでした。
幻の最初の封印された巻物を小羊が開くところでは、
「あなたは、巻物を受け取り、その封印を開くのにふさわしい方です。」
と歌っていました。
それからずっと封印が開かれ続けて、今日の箇所に来たのです。
また天の玉座から声がします。
「すべて神の僕たちよ、神を畏れる者たちよ、小さな者も大きな者も、わたしたちの神を
たたえよ。」
天にある者も地にある者も、小さな者も大きな者も、神の僕、神を畏れる者達すべて
が「ハレルヤ」と主をほめたたえるのです。
それは大群衆の声のようで、多くの水のとどろきや、激しい雷のようです。
ここには爆発的な喜びがあります。
私たちはけさ、喜びの声を聞いているのです。
●嘆きの言葉
先週私たちが聞いた声は何でしたか。
それは悲しみ嘆く声でした。
彼女と言い表されていたバビロンが滅びるのを見て、悲しみ嘆いていました。
嘆いていたのは、地上の王達、地上の商人達、海で働く人達でした。
この人達は彼女によって富と権力を得ていたのでした。
彼女にその人生の基礎を置いていたから、彼女の滅びを嘆くのです。
●大淫婦の裁きを喜ぶ
今日ハレルヤと喜びの声をあげるのは、彼女−大淫婦バビロンが滅びたからです。
 
先週読みました18章20節には
「天よ、この都のゆえに喜べ。聖なる者たち、使徒たち、預言者たちよ、喜べ。
神は、あなたがたのためにこの都を裁かれたからである。」
と書かれていました。
これに応えて今日の箇所では「ハレルヤ」と言っているのです。
「ハレルヤ。救いと栄光と力とは、わたしたちの神のもの。
その裁きは真実で正しいからである。」
と賛美しています。
●救いと栄光と力
まことに、救いと栄光と力は神のものです。
今は世の力が勝利しているように見えていても、神様は必ずこの地上に栄光を現わ
されます。
救いを実現されます。
神様はそれがお出来になるお方、力あるお方です。
どのようなものも、神様のなさることをとどめることは出来ません。
●さばきは真実で正しい
神様は裁かれます。
その裁きは真実で正しいです。
神様は正しいお方でありますから、罪を見逃すことはなさいません。
罪を完全に裁かれます。
罪を完全に裁くことによって、救いをもたらされるのです。
神様は獣が支配する世、すなわちサタンが、神様に逆らうあらゆる力が支配しきって
いる世を、そのままにされることはありません。
神様は厳格に裁かれるのです。
「みだらな行いで地上を堕落させたあの大淫婦を裁き、御自分の僕たちの流した
血の復讐を、彼女になさったからである。」
とあります。
「大淫婦が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る。」
とあります。
悪が滅ぼされることによって、救いがもたらされるのです。
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●今の世
今、私たちはこの世に生きて、私たちを苦しめる諸々のものを体験してます。
自由を奪う力が勢力を持ち始めています。
言論の自由、思想の自由、信仰の自由がつぶされつつあります。
戦争に向かおうとする力にとって、自由は邪魔だからです。
そのようにして私たちを殺そうとする力が押し迫っている今この時、そのような
力が取り除かれることを私たちはどんなに願うことでしょうか。
この願いは黙示録が書かれた時代も、今日も同じです。
私たちを殺す力が神様によって滅ぼされたら、どんなにほっとすることでしょうか、
喜ぶことでしょうか。
●黙示録
今日の聖書の箇所は、今まで自分たちを苦しめてきた者が今滅ぼされて、その
煙が延々と立ちのぼっている、ついにやった、自分たちの復讐が実現した、と喜ん
でいるように読めます。
確かに黙示録は小羊の名をしるされた者と獣の刻印を押された者と、2つのグループ
に分けます。
小羊の名を記されている者とは神様を信じる者です。
獣の刻印が押されている者とは神に敵対する者です。
黙示録は、はっきりとこの2つのグループに分けます。
今、獣が、神に敵対する者が世を支配し、神を信じる者を苦しめている、
しかしやがて神に敵対する者は滅びる、
神様が支配される国が来る、というのが、黙示録のメッセージです。
●思い違い
しかし、大淫婦が裁かれ焼かる、神様が復讐してくださる、万歳!と喜び、勝ち
誇っていいのでしょうか。
たしかに人は自分を苦しめる者がひどい目に遭うことを願うし、そうなったら溜飲を
下げます。
しかし神様の裁きは真実で正しいというのは、その程度のものなのか、と考えてみ
る必要があります。
自分達は信仰があるから救われる、でもあの人達は、と見下げる思いになるならば、
その心は獣に支配されているのです。
神が復讐してくださった、と神の名を使っているので信仰的に見えますが、神の名を
使っているだけに、その過ちはぬきさしならないものです。
●主が王となられる
私たちが「ハレルヤ」と喜びの声をあげるのは、全能者であり、わたしたちの神で
ある主が王となられたからです。
私たちが王となるのではありません。
私たちが勝ってこの世を支配し、裁くのではありません。
私たちもまた、神様の支配の下に置かれるのです。
神の僕なのです。
●キリストの支配
神様は屠られた小羊としてこの世を治められます。
神の救いと栄光と力は、イエス・キリストにおいてこの世に表わされました。
十字架と復活の出来事こそが、神の救いと栄光と力の表れです。
神様の真実で正しい裁きは、キリストの十字架において成し遂げられたのです。
神様は罪を決して見過ごされるお方ではありません。
神様は正しいお方ですから、罪を正しく厳格に裁かれずにはおられません。
神様はキリストの十字架において、すべての罪を断罪されたのでした。
小羊の名が記されている者とは、キリストによって罪赦されたことを知っている
者です。
自分もまた獣に支配されている者、そのわたしを小羊キリストが救ってくださった
ことを知っている、それがキリストを信じる者です。
●子羊の婚礼
小羊の婚礼の日が来ます。
小羊が来られます。
十字架において屠られた小羊が来られます。
小羊キリストを迎える花嫁とは教会のことです。
教会とは、キリストを信じる人達の群れです。
花嫁は用意を整えて花婿を待ちます。
教会はキリストの来られるのを待ち望んでいます。
用意を整えて待っています。
●花嫁の衣
花嫁は、輝く清い麻の衣を着せられています。
あの大淫婦が紫の布や赤い布で身を覆っていたのと正反対です。
「この麻の衣とは、聖なる者たちの正しい行いである。
とあります。
自分が何か立派な正しい行いをしているということではありません。
キリストの花嫁となるためには、良い行いを積んでいかなければいけないというのでは
ありません。
花嫁は輝く清い麻の衣を着せられているのです。
受け身です。
イザヤは神様の言葉を記しています。
「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも雪のように白くなることができる。たとえ、紅の
ようであっても羊の毛のようになることができる。」
白い衣を着せていただくのです。
ただ神様に自分を明け渡し、神様のしてくださることを受け取っていくのです。
そのようにして、私たちはキリストの花嫁にしていただくのです。
●婚礼に招かれている者
そして天使はさらに言います。
「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」
「これは、神の真実の言葉である。」
天使はヨハネに書き記せ、と命じています。
それはすべての人達に告げ知らせるためです。
すべての人達は小羊の婚宴に招かれているのです。
●たとえ話
イエス様は婚礼のたとえ話をされました。
王が婚宴の席に人々を招きました。
ところが、招かれていた人々は来なかったのです。
そこで王は家来達に言います。
「『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。 だから、
町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』 そこで、家来
たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客
でいっぱいになった。王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が
一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。
この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の
暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」
 
このたとえ話から、誰もが婚礼に招かれていることがわかります。
善人も悪人も皆集めてきたというのですから。
その中に礼服を着ていない人がいました。
礼服は婚礼を主催する側が用意することになっていたと言われています。
用意されているのに着なかったのです。
イエス様は
「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」
と嘆いておられます。
神様はすべての人達を招いておられるのです。
すべての人は小羊の婚宴に招かれている幸いをいただいているのです。
招きに従って婚礼に集う、それが招かれている人のすることです。
私たちも小羊の婚礼に集うことが出来ます。
●ほめたたえる
けさ、私たちは神の玉座から呼びかける声を聞いています。
「すべて神の僕たちよ、神を畏れる者たちよ、小さな者も大きな者も、
わたしたちの神をたたえよ。」
私たちは小さな者です。
小さな者でも神様をたたえることができます。
言葉だけが主をほめたたえることではありません。
生活すべてをもって主をほめたたえるのです。
神を神として生きること
神様に信頼して生きること
神様に委ねて生きること
私たちの生き様によって、主をほめたたえるのです。
●結語
主をほめたたえましょう。
ハレルヤと主をほめたたえましょう。
喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえましょう。
小羊の婚礼の日が来るのです。
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