| <メッセージ> |
| ●惑わされる |
| 「3:1 ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わ |
| したのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっき |
| り示されたではないか。」(ガラテヤ3:1) |
| 招詞で聞いた言葉です。 |
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| ガラテヤの人たちに言っているんだ、と聞くならば、自分には関わりのな |
| いことです。 |
| ガラテヤの人たちは物分かりが悪かったんだ、と思うだけです。 |
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| そうではありません。 |
| この言葉は私達に言われているのです。 |
| 「物分かりの悪いあなた」と言われているのです。 |
| 目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示され |
| たのに、いつのまにか惑わされているのは私達です。 |
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| ●福音の中心点 |
| 福音の中心点は、イエス・キリストです。 |
| 十字架につけられたイエス・キリストです。 |
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| ●ずれていく私達 |
| 私達はこのキリストをわたしの救い主と信じてバプテスマを受けたので |
| した。 |
| 信仰生活を続けるうちに次第に、キリストのことはもうわかっている、 |
| と思うようになっていきます。 |
| キリストをわかっていると思って聖書を読む、わかっていると思って色 |
| 々と考えるようになるのです。 |
| これは、中心点に踏み込むことをしないで、中心点の周辺をぐるぐると |
| 回っている状態です。 |
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| するといつのまにか中心点からずれていくのです。 |
| 中心点がぼんやりしてきます。 |
| 周辺的なものばかりに目が行って、キリストが見えなくなってしまうの |
| です。 |
| でもそれに気付きません。 |
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| ●中心点に立ち帰る |
| ですから、私達は繰り返し繰り返し中心点に立ち帰らなければなりません。 |
| キリストが目の前に示され続けられなければなりません。 |
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| 礼拝においてそれがなされます。 |
| 礼拝において語られるのはキリスト、十字架にかけられたキリストです。 |
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| ●パウロ |
| パウロは、キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召さ |
| れて使徒となった人物です。 |
| 彼はキリストによって、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による |
| 従順へと導くために、召されたのでした。 |
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| 異邦人とは、神の民イスラエル民族以外の人達のことです。 |
| 私達もその中に含まれます。 |
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| 今私達が福音を聞くことが出来るのは、パウロがすべての異邦人のため |
| に福音を告げたからです。 |
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| ●福音とは何か |
| 福音とは何か。 |
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| パウロが説明しています。 |
| 「1:2この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたも |
| ので、 |
| 1:3御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、 |
| 1:4聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定め |
| られたのです。」 |
| 福音とは御子に関するものです。 |
| 福音とは、イエス・キリストなのです。 |
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| 福音の中心点イエス・キリストについて、パウロは3つのことを挙げて |
| います。 |
| 一つ目は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたものであること。 |
| 二つ目は、肉によればダビデの子孫から生まれられたこと。 |
| 三つ目は、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子 |
| と定められたことです。 |
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| ●一つ目:聖書に約束されている |
| 一つ目:キリスト・イエスに関して、神様は既に聖書の中で預言者を通して |
| 約束しておられます。 |
| ここで言われている聖書は旧約聖書のことです。 |
| パウロの時代にはまだ新約聖書はまとめられていませんでした。 |
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| キリストはヘブライ語ではメシア、救い主という意味です。 |
| キリストは突然この地上に現れたのではありません。 |
| 神様の壮大な救いの御計画の中で起こった出来事です。 |
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| 旧約聖書には、繰り返し繰り返し神様に背く人間の姿が描かれ、その歴史 |
| が記されています。 |
| そして背く者に対する神様の仕打ちが記されています。 |
| あまりに残酷で目を背けたくなる場面もあります。 |
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| どうして神様はこんなことをなされるのか。 |
| 神様は愛のはずなのに、と思います。 |
| そう思う時、私達は神様の愛を軽く考えているのです。 |
| 真実の愛は厳しさを伴います。 |
| にくいから、ひどいことをするのではありません。 |
| 救うための厳しさです。 |
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| 預言者エゼキエルを通して神様は言われます。 |
| 「33:10・・・お前たちはこう言っている。『我々の背きと過ちは我々の上 |
| にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることができようか』と。 |
| 33:11彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。 |
| わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って |
| 生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イス |
| ラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」 |
| 「立ち帰って生きて欲しい」 旧約聖書全体に満ちている神様の思いです。 |
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| けれど人間は神様のもとに立ち帰ることをしなかったのです。 |
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| ついに神様は御子を十字架につけることを決められました。 |
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| 預言者エレミヤを通して言われます。 |
| 「31:31見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日 |
| が来る、と主は言われる。 |
| 31:32この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地 |
| から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であった |
| にもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。 |
| 31:33 しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれ |
| である、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、 |
| 彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民と |
| なる。・・・ |
| わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」 |
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| 新しい契約、それがイエス・キリストです。 |
| 神様は人間の悪を赦し、再び人間の罪に心を留めることはない、と決めら |
| れたのでした。 |
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| 救うための厳しさを、神様はご自分に向けられたのでした。 |
| 子を失うほど耐えがたいことはありません。 |
| 神様ご自身が深く痛まれるのです。 |
| 神様の人を愛するが故の厳しさを知らないなら、神様の愛がどれほどのも |
| のかがわかません。 |
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| ●二つ目:人となられたキリスト |
| 二つ目:イエス・キリストは肉によればダビデの子孫から生まれられました。 |
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| ダビデの子孫、ということは旧約とのつながりを表わしています。 |
| 旧約の人々はダビデの子孫からメシアが生まれることを待ち望んでいました。 |
| イエス様がダビデの子孫から生まれることによって、イエス様をキリスト・ |
| すなわちメシアであると受け入れやすくなるはずです。 |
|
| ダビデのように、イエス様が武力や力によって敵を滅ぼし国を建てられるな |
| ら、人々はイエス様を待ち望んでいたメシアであると思ったことでしょう。 |
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| ●全き人 |
| けれどもイエス様はそうなさらなかったのです。 |
| イエス様がバプテスマを受けられた時、天から「あなたはわたしの愛する子、 |
| わたしの心に適う者」という声が聞こえました。 |
| イエス様はご自分が神の子であることをはっきりと自覚されたのでした。 |
| ご自分の使命を果たすためにどのように生きたら良いのか、イエス様はひと |
| り神様に問われます。 |
| 心の内にささやく声がありました。 |
| 「これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」 |
| 「神殿の屋根の端から飛び降りたらどうだ。」 |
| 「世のすべての国々とその繁栄を手に入れたらどうだ。」 |
| |
| 出来ないことを言われても、もともと出来ないのですから誘惑にはなりません。 |
| 出来るから、誘惑になるのです。 |
| イエス様はお出来になりました。 |
| でも、イエス様は、心に語りかけてくる誘惑すべてに、「No」と言われたの |
| です。 |
| イエス様は完全に私達と同じ人間として生きられました。 |
| |
| 人々の目には、イエス様は普通の人として写りました。 |
| ですから、神様を父と呼ぶイエス様を、神を冒とくしていると言って十字架 |
| につけたのでした。 |
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| ●罪 |
| 十字架に至るまでに、色々な人の様々な思惑がありました。 |
| その人達はみんな、自分は正しいことをしていると思っていたのです。 |
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| 自分は正しいと思っていることは、神を神とせず、自分を神の座に座らせて |
| いることです。 |
| これが、聖書でいう罪です。 |
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| 十字架において、人の罪が出来事として現れたのでした。 |
| それは、その時イエス様の十字架に係わった人達だけの罪はありません。 |
| 私達人間すべての罪です。 |
| 私達は、自分を中心にしてしか、物事を考えることが出来ません。 |
| 今現在私達が目にしている恐ろしい出来事は、人間が神の座に座ったことに |
| よって起こっているのです。 |
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| 人間が自分ではどうすることも出来ない罪を代わって負うために、イエス様 |
| は全く人と同じになられたのでした。 |
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| ●神の愛 |
| 旧約では見えにくかった神様の愛が、十字架においてはっきりと現されまし た。 |
| 出来事となって、私達の目の前にはっきりと示されています。 |
| ローマ書は記します。 |
| 「5:6実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、 |
| 不信心な者のために死んでくださった。・・・ |
| 5:8わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死 |
| んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」 |
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| 三つ目:イエス・キリストは、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によっ |
| て力ある神の子と定められました。 |
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| すべての人の罪を代わって負って十字架に死なれたイエス様を、神様は復活 |
| させられました。 |
|
| 復活ということは最も信じられないことです。 |
| イエス様の時代の人達もそうでした。 |
|
| 十字架に死なれ墓に納められて3日目のことです。 |
| イエス様の遺体が墓からなくなっていました。 |
| 墓の番をしていた兵士たちの報告を聞いた祭司長達が言います。 |
| 「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』 |
| と言いなさい。」 |
| 「この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。」 |
| とマタイによる福音書に記されています。 |
|
| イエス様の遺体がなくなって墓の前で泣いていたマリアは、背後に人の気配 |
| を感じ園丁だと思って言います。 |
| 「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。 |
| わたしが、あの方を引き取ります。」 |
|
| トマスは言います。 |
| 「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手 |
| をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」 |
|
| 誰一人として、「イエス様は復活された」と聞いて「ああそうですか」と受け |
| 入れはしないでしょう。 |
| それにもかかわらず、聖書は「イエス・キリストは復活された」と記すのです。 |
| 私達は聖書を読んで復活を信じるのです。 |
| それは、復活が出来事として、実際にこの世で起こったからです。 |
|
| マリアは、「マリア」と呼びかけられて、復活のイエス様がそこにおられるこ |
| とがわかりました。 |
|
| トマスは、復活のイエス様が「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見な |
| さい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者 |
| ではなく、信じる者になりなさい。」 |
| と言われるのを聞いて「わたしの主、わたしの神よ」と答えたのでした。 |
|
| パウロはコリントの信徒への手紙一に記しています。 |
| 「 ・・・ 15:5 ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。 |
| 15:6次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人か |
| は既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。 |
| 15:7次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、 |
| 15:8そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」 |
|
| 誰も信じられない。 |
| でも復活されたイエス様に会った人達がいるのです。 |
| 実際に起こったのだから、受け入れるほかありません。 |
|
| パウロは、 |
| 「 しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂 |
| となられました。」(�Tコリント15:20) |
| 「神は、主を復活させ、また、その力によってわたしたちをも復活させてくだ |
| さいます。」 |
| (�Tコリント6:14) |
| と述べています。 |
| |
| ●この方が私達の主 |
| 旧約の時代から約束されていた方、 |
| 全く人となられた方、 |
| 死んで復活された方、 |
| このお方が私達の主イエス・キリストです。 |
|
| キリスト抜きに、旧約聖書を理解することは出来ません。 |
| 旧約聖書は、キリストを指し示しているからです。 |
| 神様の救いの御計画は、はるか遠い昔から続いています。 |
| 今この時に生きる私達も神様の壮大な深い愛に満ちた救いの御計画の中に置 |
| かれています。 |
| これからも神様の救いの御計画は続いていきます。 |
| |
| 十字架のイエス様抜きに、どんなに過ちを犯しても立ち直らせてくださる、 |
| と言うことは出来ません。 |
| イエス様が私達の犯す過ちを全部負ってくださるから、立ち上がることが出 |
| 来るのです。 |
| |
| 復活のイエス様抜きに、イエス様がどんな時も共にいてくださると言うこと |
| は出来ません。 |
| 復活のイエス様は永遠の命に生きておられます。 |
| ですから今も、どんな時でも共にいてくださることが出来るのです。 |
| |
| イエス様は復活されました。 |
| ですから、私達は死を超える希望を持つことが出来るのです。 |
| すべての力が失せ、もうどうすることも出来ない命の瀬戸際に、復活の |
| イエス様が来てくださいます。 |
| |
| ●結語 |
| 今日私達は礼拝において、福音の中心点イエス・キリストを見させていただ |
| きました。 |
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| 人となり、十字架に死に、復活されたイエス・キリストが目の前に示されて |
| います。 |
|
| 私達が抱えている問題や、苦しみ、痛み、悩みは一人一人違いますけれど、 |
| 私達の主イエス・キリストはそのひとつひとつ、それぞれに具体的な答えを |
| くださいます。 |
| |
| ここからまた心新たに日々のいのちを紡いでいきましょう。 |
| |
| わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、お一人 |
| お一人の上にありますように。 |
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