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礼拝メッセージ 2026年 2月8日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
フィリピの信徒への手紙 4章2〜9節 あらゆる人知を超える神の平和
〈聖書(新共同訳)〉
4:2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同
じ思いを抱きなさい。
4:3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支
えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の
協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。
4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近く
におられます。
4:6 どんなことでも、思い煩うの はやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈
りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えと
をキリスト・イエスによって守るでしょう。
4:8 終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正し
いこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、
徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。
4:9 わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たこ
とを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。
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<メッセージ>
●人知を超える神の平和
すべての人は一人残らず、自分は平和に暮らしたいと思っているに違いありま
せん。
ですから、自分の平和を脅かすと感じるものに対して、戦うのです。
自分の平和を守るために戦うのです。
人類は古い古い時代から、いつも自分の平和を求めて戦ってきたのでした。
他の人の平和を奪ってでも自分の平和を得たいと思ってきました。
最近は「力による平和」を声高々に言う人がいます。
けれど力によって平和が実現することは決してありません。
どうしてそれが分からないのかと不思議に思うほどです。
人の知恵によっては平和は実現しないことを、私達は人類の長い歴史によって
知っているのです。
 
このように、人の力や知恵ではどうすることも出来ない世に生きている私達に、
今日聖書は、あらゆる人知を超える神の平和がある、と告げています。
●教会のこと
2節3節には教会内のことが記されています。
私達は教会という群について思い違いをすることがあります。
みんなイエス様を信じている人達だから、いつも仲良くしている群だ、と思う
のです。
けれど教会は理想郷ではありません。
そこに集う人達は、一癖も二癖もある人達、諸々の欠けを持っている人達です。
ですから世の中と同様、様々な問題が起こるのです。
実際、フィリピの教会には、問題が起こっていました。
エボディアもシンティケも、それはそれは熱心に教会のために働き、すべてを
ささげて尽くしてきた人達でした。
ところがエボディアやシンティケと他の人たちとの間に意見の相違が生じたの
です。
パウロは愛を込め祈りを込めて言います。
「主において同じ思いを抱きなさい。」
そして真実な協力者に願います。
特定の誰かというより、教会の一人一人でしょう。
「この二人の婦人を支えてあげてください。」
神の平和を得るために
教会をも含めてこの世に生きる私達は、人生の全ての時をどのように生きてい
ったらいいのでしょうか。
4節以下にその答えが記されています。
「わたし」に対して語られている言葉として聞きましょう。
「4:4 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。
4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近く
におられます。
4:6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈
りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7 そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えと
をキリスト・イエスによって守るでしょう。」
 
●喜び
「4:4主において常に喜びなさい。」と言われています。
「喜び」というものは、「喜ばなければいけない」と思って努力して得ること
が出来るものではありません。
「喜び」は、心に沸き上がってくるものです。
良いことがあった時、嬉しいことがある時、自然に喜びが湧いてきます。
けれど日常の生活の中では、いつも良いこと、嬉しいことが起こるわけではあ
りません。
むしろつらいこと、苦しいこと、どうしたらいいのだろうと思い悩むことの方
が多いのです。
ところが「常に喜びなさい」と言われています。
「常に」です。
 
喜べない状況であっても喜びが心に湧いてくることがあるのでしょうか。
こんなに苦しい状況だけど、喜ばなければいけないのだとがんばってみても、 
喜べるものではありません。
また、がんばることが求められているのでもありません。
 
「主において」なのです。 
「あらゆる人知を超える神の平和」が与えられた時初めて、常に喜ぶことが 
できるようにされていくのです。 
●思い煩う
「あらゆる人知を超える神の平和」が欲しいです。
どうすればいいのでしょうか。
「4:6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて
祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」
と勧められています。
思い煩いは、自分の頭の中でああでもない、こうでもないと思い巡らす中で
起こります。
『こうしたらうまくいくのではないか』『うまくいかなかったらどうしよう』
と、自分の頭の中でぐるぐると思い巡らします。
自分で何とかしようと真剣に考えるのですが、人間には先のことが分かりません。
不安が増すばかりです。
さらに思い煩いが深まっていきます。
「思い煩うのをやめなさい」と言われてもやめることが出来ません。
 
私達は何と多くのことを思い煩っていることでしょうか。
神様は、そういう私達をご存じです。
人は思い煩わずにはいられない存在であることを受け入れてくださっています。
ですから「思い煩うな」と言われるのです。
マタイによる福音書6章には
「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらう
な。・・・
あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要である
ことをご存じである。・・・だから、あすのことを思いわずらうな。」
とあります。
ペトロの手紙には
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にか
けていてくださるからです。」
とあります。
今日の箇所は
「4:6どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。」
です。
「どんなことでも」です。
小さいことから重大なことまで、何一つ思い煩うことがないようになりたいです。
どうしたらいいのでしょうか。
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●神に打ち明ける
そうなれる秘訣が記されています。
「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち
明けなさい。」
とあります。
 
直訳した方が分かりやすいかもしれません。 
「何一つ思い煩うな、そうではなくて、全てのことにおいて、感謝と一緒にさ 
さげる祈りと願いによって、あなたがたの求めが神に知られなさい」 
 
「あなたがたの求めが神に知られる」ことに重点がある文章です。
自分の頭の中でぐるぐると考えるのではなく、あなたの求めが神様に知られる
ようにしなさい、というのです。
●何事につけ
「何事につけ」です。
私達には求めるものがあります。
願っていることがあります。
こうなるように。
こうならないように。
考えていることがあります。
どうしようか。
こうしよう。
ああしよう。
色々な気持があります。
嬉しい気持、楽しい気持。
怒り、憎しみ、ねたみ、などが湧いてきます。
悲しかったり、不安でたまらなくなることがあります。
それらすべてをそのまま神様に申し上げるのです。
こんなどろどろした感情を祈ってはならない、神様に良しと言われるような
祈りをしなければいけない、と思う必要はありません。
こんなことはかなえられないんじゃないかと疑ってはなりません。
どんなことでも神様に知っていただくのです。
 
●感謝を込めて
感謝を込めて祈り願いましょう。
感謝がない求めは、神様を自分の求めを実現する道具だと思っていることの
表れです。
自分が主人になって、神様に「ああしろ、こうしろ」と命じているのです。
 
神様は私達の召使いではありません。
いつも主なる神様、主イエス・キリストと言っているではありませんか。
神様が私達の、とかく自己中心的な求めを、大きな愛の中で配慮し、実現し 
てくださるのです。
 
●安心
求めているものを神様に打ち明けましょう。
どんなことでも神様に知っていただくのです。
祈った瞬間、心の中に安心が生まれます。
もはや、自分一人で抱えているのではありません。
神様が知っていてくださる。
どんなことでもお出来になる方がわたしの求めを知っていてくださる。
わたしの求めている通りにはならないかもしれない。
でも神様は最善をなしてくださると信じる時、心が平和になります。
すると考え方も変わってきます。
 
あらゆる人知を超えた神の平和が、わたしの心と考えを守ってくださるの
です。 
●キリスト
あらゆる人知を超える神の平和が、キリスト・イエスによってこの世に実
現しました。
同じフィリピの信徒への手紙2章6節以下にはこのようにあります。
「2:6キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執
しようとは思わず、
2:7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ、
2:8へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えにな
りました。
2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御
名にひざまずき、
2:11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父であ
る神をたたえるのです。」
わたしが、私達が、すべての人々が神様の永遠の命を得るために、キリスト
は神の身分を捨てられました。
十字架の死を引き受けられました。
このお方が、私達のすぐ近くにおられます。
一人一人の人生に寄り添ってくださっています。
わたしの苦しみ、悲しみ、つらさ、孤独を知っていてくださいます。
このお方が全てを知って、包み込んでくださっているのです。
そして最善をしてくださいます。
私達はキリストによって、あらゆる人知を超える神の平和の中に入れられて
 いるのです。
●広い心
その私達に聖書は
「4:5 あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。」
と語りかけています。
「広い心」と訳されているギリシャ語は「エピエイケス」です。
「エピエイケス」は、一語で他の言語に訳すことが出来ない言葉です。
正義、権利、法、規則、建て前にしがみつくのではなく、よりよい善や愛の
ためなら、それらの事柄を超えて行動することが出来る柔軟で寛容な考え方、
態度、姿勢を意味します。
譲る精神 負ける精神 損をする精神です。
私達は、大切な人に対しては広い心「エピエイケス」を持つことが出来るで
しょう。
その人が幸せになるためには、譲ることも、負けることも、損をすることも、
我が身を捨てることさえ出来るでしょう。
けれど「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。」
と言われるとたじろぎます。
すべての人―わたしに敵対する人、苦しみを与える人に対しては、とても広
い心になれないのです。
私達人間はどこまでいっても自分中心をやめることが出来ません。
自分がプラスを得るために、他の人にマイナスを負わせることはしても、他
の人がプラスを得るために、自分がマイナスを引き受けることはしないのです。
私達自身もそうです。
 
今現在も、自分が平和に暮らすために力をもって他を踏みにじることを良し
とする動きが、世界中に広がりつつあります。
●キリストがおられる
しかしキリストがおられます。
キリストは広い心「エピエイケス」なお方です。
すべての人が救いを得るために、十字架にかかって死なれました。
すべての人がプラスを得るために、御自分がマイナスを引き受けられたのです。
私達自身は「エピエイケス」広い心を持つことが出来ません。
けれどキリストがおられます。 すぐ近くにおられます。
私達を包んでくださっているキリストの平和が、私達を通してすべての人々に
知られるようになりますように。
 
●結語
さあ、もう一度御言葉をしっかりと心に刻みましょう。 
 
「4:6 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて
祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
4:7そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとを
キリスト・イエスによって守るでしょう。」
救い主イエス・キリストをくださった神様、ありがとうございます。
感謝を込めて祈りと願いをささげます。
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