<メッセージ> |
●詩編 |
ちょうど2年前の6月から、礼拝で詩編を読んできました。 |
今日で詩編からの説教は終わりになります。 |
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詩編には大きな特徴があります。 |
詩編以外の聖書のすべては、神様の方から私達人間に語りかけています。 |
聖書には、歴史、律法、福音書、手紙など様々な形がありますが、それらを |
通して私達は神様の言葉を聞くのです。 |
けれど、詩編だけは違う、私達人間の方から神様に向かって言っているのです。 |
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ですから、詩編を読んでいると自分の心にしっくりいくと感じることが多い |
でしょう。 |
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●今日の詩編も |
今日の詩編の詩人も、主なる神様に向かって自分の思いを語っています。 |
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私達も、詩人の言葉に重ねて、私達一人一人の思いを神様にお話ししたい |
と思います。 |
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●賛美するとは |
詩人は、喜びに満ちて語り始めます。 |
「わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく、神への賛美はいかに美 |
しく快いことか。」 |
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「ほめ歌う」「賛美する」ということは、曲に合わせて歌を歌う、いわゆ |
る讃美歌を歌う、ということではありません。 |
わたしの存在すべてを通して神様を賛美するのです。 |
曲に合わせて歌うことも、 |
苦しみ、悲しみ、怒りを神様にぶつけることも、 |
神様にわたしの願いを訴えることも |
神様に信頼して苦しみの時を生きることも、 |
みんな主を賛美することです。 |
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●苦しみの後に |
詩人は賛美します。 |
「147:2 主はエルサレムを再建し、イスラエルの追いやられた人々を集 |
めてくださる。」 |
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エルサレムが破壊され尽くされた時がありました。 |
ある人達は、危害を避けるためにふるさとを離れ難民となっていきました。 |
ある人達は、敵に捕らえられ敵の国に連れて行かれました。 |
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けれど、主はエルサレムを再建し、イスラエルの追いやられた人々を集め |
てくださったのです。 |
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私達もこれまで様々な困難に出会ってきました。 |
そのただ中にいるときは、恐ろしくて、不安で、もがいてみてもどうする |
ことも出来ず、終わりのない暗闇に閉ざされていると感じていました。 |
神様に祈ることも訴えることもできません。 |
神様のことを思い出すこともありませんでした。 |
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そんな私達を神様はそれぞれの困難の中から救い出してくださったのです。 |
時を経て、今、振り返ってみると、 |
神様は苦しみを通り抜けさせてくださった、 |
もっとひどいことにならないように守っていてくださったと分かります。 |
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主への賛美が湧き上がってきます。 |
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●傷ついた癒し人 |
さらに詩人は |
「147:3 打ち砕かれた心の人々を癒し、その傷を包んでくださる。」 |
と詠います。 |
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私達も |
「主よ感謝します。 |
主はわたしの傷を包んでくださり、心を癒してくださいました」 |
と詠います。 |
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傷を包み心を癒してくださる方がおられるのです。 |
イエス様です。 |
イエス様は傷ついた癒し人です。 |
鞭打たれ、十字架にかけられて、肉体の苦しみの極みを味わわれました。 |
肉体の苦しみだけではありません、心にも深い傷を負われました。 |
イエス様のことを本当に分かっている人は一人もいなかったのです。 |
周りの人達は、自分の思いの中でイエス様と接していたのでした。 |
身近に弟子達がいても、大勢の群衆に囲まれていても、イエス様は孤独で |
した。 |
やがて敵意と殺意がイエス様に向けられるようになりました。 |
父なる神様だけが頼りでした。 |
その神様からも見捨てられた、と思う出来事が起こりました。 |
イエス様は十字架上で |
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 と叫ばれた |
のです。 |
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このお方が、わたしの傷に包帯を巻き、わたしの心を癒してくださるお方 |
です。 |
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包帯の下の傷はまだ治りきっていないかもしれません。 |
それでもイエス様に手当てしていただいている者は、傷ついた癒し人とし |
て、他の人の痛みの傍らへと遣わされていくのです。 |
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そのようにして、わたしを生かしてくださる主に賛美をささげます。 |
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●自然 |
次に、詩人は自然に目をとめます。 |
「147:8 主は天を雲で覆い、大地のために雨を備え、山々に草を芽生えさ |
せられる。 |
147:9 獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば、食べ物をお与えになる。」 |
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今の季節、野の草や木々は猛烈な勢いで生長しています。 |
散歩していると、巣立ったばかりの雀や椋鳥に出会います。 |
すがたかたちは雀そのものなのですが、とても小さいのです。 |
雀のミニチュア版です。 |
「かわいい」と思わず足を止めて見つめます。 |
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イエス様は教えてくださいました。 |
「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことを |
ご存じである。 |
6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これら |
のものはみな加えて与えられる。」 |
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●主をを畏れる人 |
それなのに、私達は何と他のものを求めて生きていることでしょうか。 |
詩人が、馬の勇ましさ、人の足の速さ、と言い表しているものを求める |
のです。 |
能力や財力、世を動かしている諸々のものを得たい思う。 |
それが出来なければ、そういうものを持っている人に頼ろうとするの |
です。 |
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今私達は目を主に向けます。 |
思いを主に向けます。 |
主を畏れ、主の慈しみを待ち望みながら生きることが出来ますように |
と祈ります。 |
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●エルサレム |
詩人は、エルサレムに思いを馳せました。 |
「147:13 主はあなたの城門のかんぬきを堅固にし、あなたの中に住む |
子らを祝福してくださる。 |
147:14 あなたの国境に平和を置き、あなたを最良の麦に飽かせてくだ |
さる。」 |
と詠います。 |
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エルサレムは、神の聖なる都です。 |
町は城壁で囲まれ、城門は堅固なかんぬきで閉じられていました。 |
その中に住む者は、安全に暮らしていけるのです。 |
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●神の国に生きる |
今私達はこの世にあって神の国の中に生きています。 |
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イエス様は、悪霊に取りつかれて目が見えず口のきけない人を癒されて |
「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたた |
ちのところに来ているのだ。」(マタイ12:28) |
と言われたのでした。 |
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また、「神の国はいつ来るのか」という問に答えて |
「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言 |
えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17:20) |
と言われました。 |
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私達は、神の国、神様の御支配の中に生きています。 |
それでも、災難や誘惑が襲ってきます。 |
すると心が千々に乱れます。 |
そんなわたしを、神様がしっかりと守ってくださっているのです。 |
そのことに気付いた時、心の波が収まります。 |
守られている安心―なんと心地よいことでしょうか。 |
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●門は開いている |
城壁で囲み城門に堅固なかんぬきをかけて住民を守っていたエルサレム。 |
「あなたの国境に平和を置き」とあります。 |
城壁の中に居る人と、外に居る人とが敵対しないで、共に生きていけ |
る状態です。 |
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けれど、今、国境をめぐって戦争が起こっています。 |
この瞬間にも、たくさんの命が失われていっています。 |
憎しみはさらなる憎しみを生み、終わりが見えません。 |
私達も足をすくわれそうです。 |
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それでも私達は希望を持つことが出来ます。 |
聖書の最後、ヨハネの黙示録には、ヨハネが見た幻が記されています。 |
新しいエルサレムが、神様のもとからくだってきます。 |
「都の門は、一日中決して閉ざされない」 |
と記されています。 |
新しいエルサレムは、城門を堅固なかんぬきで閉じている都ではあり |
ません。 |
門は常に開いたままです。 |
すべての人が新しいエルサレムに入ることが出来るのです。 |
すべての人々が神の国に生きる時が来ることが約束されています。 |
私達は主の慈しみを待ち望みながら、今の時を生きていきます。 |
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●すべては御計画の中 |
すべては神様の御計画の中にあります。 |
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「147:5 わたしたちの主は大いなる方、御力は強く、英知の御業は |
数知れない。」のです。 |
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主が仰せを地に遣わされます。 御言葉は速やかに走ります。 |
主は羊の毛のような雪を降らせ、灰のような霜をまき散らし |
氷塊をパン屑のように投げられます。 |
誰もその冷たさに耐えることが出来ません。 |
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そのように、神様は耐えることが出来ないほどの苦しみの出来事を起 |
こされます。 |
「神様、なぜなのですか。」 |
「どうしてわたしがこんな目に会わなければならないのですか」 |
と叫びます。 |
神様を呪います。 |
「神様なんかいないんだ」と思います。 |
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けれど、その出来事も神様の御計画の中で行われているのです。 |
その理由は私達には分かりません。 |
でも、この苦しみの出来事が神様の手が届かないところで起こっている |
のではないことは、私達の救いです。 |
神様の御計画の中で行われているならば、神様はその出来事を取り去る |
ことがお出来になるからです。 |
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主は再び御言葉を遣わされます。 |
「147:18 御言葉を遣わされれば、それは溶け、息を吹きかけられれば、 |
流れる水となる。」のです。 |
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●掟と裁き |
詩人は最後に |
「147:19 主はヤコブに御言葉を、イスラエルに掟と裁きを告げられる。 |
147:20 どの国に対しても、このように計らわれたことはない。彼らは主 |
の裁きを知りえない。」と言い「ハレルヤ。」と主を賛美して終わります。 |
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掟とか裁きという言葉を聞くと、なにか恐ろしく感じるのではないでし |
ょうか。 |
けれど掟と裁きを告げられることは、「ハレルヤ」だと言うのです。 |
主の裁きを知っていることは「ハレルヤ」だと言うのです。 |
どういうことでしょうか。 |
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神様は、すべての人々の祝福の源になるようにと、イスラエルの民を選 |
ばれました。 |
祝福の源になれるように、このように生きていくんだよ、と道筋を示し |
てくださったのが掟です。 |
けれど人々は、神様の示された道筋から外れていきました。 |
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外れていくのにほっておくのは、愛ですか。 |
そうではないでしょう。 |
裁きは、外れていった人々を道に連れ戻すためになされるのです。 |
失われてはならない、大切な存在だから、神様は裁かれるのです。 |
ですから、主は裁かれるお方であることを知っているということは、主 |
の愛を知っていることです。 |
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詩人は、イスラエルに掟と裁きが告げられていることを、「ハレルヤ」 |
と喜びます。 |
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●イエス・キリスト |
しかし、2024年に生きる私達は、旧約聖書を通して、繰り返し裁き |
を受けながらまた道筋を外れてしまうイスラエルであったことを知って |
います。 |
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神様は、ついに祝福の源となる別の道筋を備えられました。 |
イエス・キリストです。 |
神様は、私達が受けなければならない裁きを、イエス様の上に下され |
たのでした。 |
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神様の裁きを知っていることは「ハレルヤ」です。 |
わたしは道筋を外れて生きる者であることが分からないなら、神様の裁 |
きが分からないならば、キリストの十字架の恵みは分かりません。 |
神様の愛が分かりません。 |
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神様の愛は、イエス・キリストを通して私達すべての人々に注がれている |
のです。 |
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●まとめ |
世界中に散らばっている人々、思想や価値観の違い、利害の壁を超えて、 |
すべての人々を一つに集めてくださるイエス様、 |
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傷ついた癒し人となって私達の傷を包んでくださるイエス様、 |
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「空の鳥を見よ」「野の花を見よ」と、私達の目を神様に向けさせてく |
ださるイエス様、 |
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雌鳥が雛を羽の下に抱くように、危険から守ってくださるイエス様、 |
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真っ暗闇の中に居るときに、光となってくださるイエス様、 |
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道筋を外れる私達が受けなければならない裁きを代わって受けてくだ |
さったイエス様、 |
ありがとうございます。 |
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●結語 |
救い主イエス・キリストに感謝をささげ、ほめ歌います。 |
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イエス様をくださった神様を賛美します。 |
|
ハレルヤ。 |
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