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礼拝メッセージ 2024年 3月3日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
詩編139編 1節〜24節 どこに居ても御手の中
〈聖書(新共同訳)〉
139:1 【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。】主よ、あなたはわたしを究
め、わたしを知っておられる。
139:2 座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
139:3 歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。
139:4 わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知
っておられる。
139:5 前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いていてく
ださる。
139:6 その驚くべき知識はわたしを超え、あまりにも高くて到達できない。
139:7 どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれ
ば、御顔を避けることができよう。
139:8 天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、
  見よ、あなたはそこにいます。
139:9 曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも、
139:10 あなたはそこにもいまし、御手をもってわたしを導き、右の御手を
  もってわたしをとらえてくださる。
139:11 わたしは言う。「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわ
たしを照らし出す。」
139:12 闇もあなたに比べれば闇とは言えない。夜も昼も共に光を放ち、闇
も、光も、変わるところがない。
139:13 あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくだ
さった。
139:14 わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって、驚
くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものか、
  わたしの魂はよく知っている。
139:15 秘められたところでわたしは造られ、深い地の底で織りなされた。あ
なたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16 胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあ
  なたの書にすべて記されている、まだその一日も造られないうちから。
139:17 あなたの御計らいは、わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いか
  にそれは数多いことか。
139:18  数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、
  わたしはなお、あなたの中にいる。
139:19 どうか神よ、逆らう者を打ち滅ぼしてください。わたしを離れよ、流 
  血を謀る者。
139:20 たくらみをもって御名を唱え、あなたの町々をむなしくしてしまう者。
139:21 主よ、あなたを憎む者をわたしも憎み、あなたに立ち向かう者を忌む
  べきものとし
139:22 激しい憎しみをもって彼らを憎み、彼らをわたしの敵とします。
139:23  神よ、わたしを究め、わたしの心を知ってください。わたしを試し、
  悩みを知っください。
139:24 御覧ください、わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わ
  たしを、とこしえの道に導いてください。
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<メッセージ>
●主はわたしを知っておられる
「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。」
と詩人は詠い始めます。
詩人は経験したのでした。
「139:2  主は、座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておら
れる。
139:3  歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。
139:4  わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知
っておられる。」ことを経験しました。、
後半を読みますと、
「139:19  どうか神よ、逆らう者を打ち滅ぼしてください。わたしを離れよ、
流血を謀る者。
139:20  たくらみをもって御名を唱え、あなたの町々をむなしくしてしまう
者。」
とありますから、この人はずいぶん苦しい経験をしてきたのでしょう。
その果てに、この人は知ったのでした。
「139:5  前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いていて
くださる。」
わたしの前にもうしろにも主が居てくださる。
御手を置いて上からも覆ってくださっている。
はみ出しているところはありません。
わたしのすべてが、すっぽりと神様に包まれているのです。
 
●わたしを超えている
詩人は言います。
「139:17  あなたの御計らいは、わたしにとっていかに貴いことか。神よ、い
かにそれは数多いことか。
139:18  数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、
わたしはなお、あなたの中にいる。」
「139:6 その驚くべき知識はわたしを超え、あまりにも高くて到達できない。」
詩人が身をもって知った主の御計らいを、私達も味わい知りたいと思います。
 
●知り尽くしておられる
詩人が語るように、主なる神様は、わたしを、私達を、すべての人々を究め、
すべての人々、一人一人を知り尽くしておられます。
語らぬ先に知っておられる
わたしの舌がまだひと言も語らないさきに、主はすべてを知っておられるの
です。
○考え
私達は心の中で絶えず思い巡らしています。
あのこと、このことを考えています。
これまでのこと、これからのことを考えています。
でも、考えていることを口にすることはあまりありません。
けれど神様はそのすべてを知っておられるのです。
そして、わたしの行く道を開き導いてくださっています。
○感情
心の中には色々な感情も湧いてきます。
でも、ほとんど言葉にすることなく、自分の中にしまい込んでいます。
自分の中に閉じ込めていた気持ちや感情を言葉にして誰かに話すことによっ
て、心が楽になったことがあるでしょう。
けれど、 話しても伝わらなかった、本当のところは分かってもらえなかった、
と苦しく寂しく思うこともあります。
人は他の人の気持ちをすべて分かることは出来ません。
でも神様は言葉で表しきれないわたしの心をすべて分かってくださるのです。
気持ちや感情をそのままに受け取ってくださいます。
誰も分かってくれない、ひとりぼっち、と思う時、わかってくださる神様が
いてくださることが、わたしの慰めです。
●私達も経験した
私達も、主なる神様がわたしを究め、わたしを知っておられることを、
前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いていてくださる
ことを、経験してきました。
 
●神様には限りが無い
今日の詩編は、神様には限りが無いことを教えてくれています。
神様には、空間的な限りがありません。
時間的な限りもありません。
私達がどこにいても、どんな時も、私達は神様の中に居るのです。
 
●どこに居ても
まず、私達がどこに居ても神様の御手の中に居ることに、思いを馳せまし
ょう。
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●天に登ろうとも
わたしが天に登っても、わたしは神様の中に居ます。
良い行いを積まなければ天に行けないと思っていました。
自分の力で天に登ってきたと思っていました。
でも、そうではありませんでした。
天には神様がおられます。
神様がわたしを引っ張り上げてくださったのです。
十字架に死に復活されたイエス様が道となり、わたしを天に連れて行って
くださったのでした。
思い上がっていたわたしさえ受け入れてくださる神様が、天におられました。
●陰府に居ても
わたしが陰府に身を横たえても、わたしは神様の中に居ます。
イエス様は、十字架に死なれてから復活されるまでの丸一日、私達と同じ
死の中におられました。
陰府にもイエス様が来てくださったのです。
わたしが陰府に居るときも、主はわたしと共に居てくださるのです。 
神様はイエス様を復活させられました。
陰府に居るわたしも、復活の主の御手の中に居るのです。
陰府にも、希望があります。
●地の果て
わたしが地の果てに居ても、わたしは神様の中に居ます。
大きな困難や苦しみが襲ってきて、地の果てまで追いやられてしまう事が
あります。
これまでは神様の祝福をいただいて暮らしていたけれど、もうここには神
様はおられない、と思います。
けれども、そこにも神様はおられるのです。
御手をもってわたしをとらえ、懐に抱いて休ませてくださいます。
神様から離れたくて地の果てまで逃げていくことがあります。
ここには神様はもう居ない。
これからは自分の力で好きに生きていく、と思います。
けれども、そこにも神様はおられ、御手をもって導いてくださっているの
です。
 
●暗闇の中
わたしが真っ暗闇の中に居ても、わたしは神様の中に居ます。
「闇の中でも主はわたしを見ておられる。夜も光がわたしを照らし出す。」
とあります。
他の多くの訳では
「「闇は私を覆い隠せ。私を囲む光は夜となれ」と言っても」
と訳しています。(聖書協会共同訳)
わたしは、絶望の極みに居るのです。
闇を願うのです。
生きていることが苦しい、自分の存在を消してしまいたい。
光はわたしを苦しめる。
闇に覆われて何も見えず、何も考えず、何も感じなくなりたい、と願います。
闇の中に居るわたしを主は知っておられました。
「あなたの苦しみをわたしは知っている。わたしはあなたの苦しみを一緒
に担おう」
十字架からの光が、そっとわたしを包みます。
 
ああ、ここにも主はおられる。
「闇もあなたには闇とならず、夜も昼のように光り輝く。闇も光も変わると
ころがない。」のです。
 
●どこに居ても
私達がどこに居ても、私達は神様の中に居ます。
神様には果てがありません。
どこに居ても、どこに行っても、わたしは神様の中に居ます。
●すべての時に
次に、どんな時でも私達は神様の御手の中に居ることに、思いを馳せまし
ょう。
神様には空間的な果てがないばかりでなく、時間的な果てもないのです。
●生まれる前
わたしが生まれる前も、存在さえしていなかった時間の中でも、わたしは
神様の中に居たのでした。
「139:13  あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立て
てくださった。」
「139:15  秘められたところでわたしは造られ、深い地の底で織りなされた。
あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
139:16  胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。」
とあります。
神様は、秘められたところでわたしを造られたのでした。
わたしの骨の一つ一つを神様は知っておられます。
私達は、神様のものすごい力によって、造られたのです。
誰一人として、神様の畏るべき力によって造られなかった人はいないのです。
私達は何と驚くべきものに造り上げられていることでしょう。 誰もが尊い存
在です。
神様が愛し、「この世に生きよ」と、送り出してくださったのです。
 
●生きているすべての時に
わたしがこの世で生きるすべての時に、わたしは神様の中に居ます。 
「わたしの日々はあなたの書にすべて記されている、まだその一日も造られ
ないうちから。」
とあります。
誰もが、神様の書に記されているのです。
まだその一日も造られないうちから神様の書に書かれているということは、
運命ではありません
もう決まってしまっているからどうすることも出来ないと、あきらめて投
げやりに生きるのではありません。
神様がわたしを造ってくださったのです。
大切な存在として、世に生まれさせてくださったのです。
わたしを究めわたしを知り尽くしておられるのです。
その神様がわたしのために計らってくださるのです。
その御計らいは何と数多いことか。
数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、わた
しはなお、神様の中にいるのです。
神様はわたしにとって最善を計らってくださっています。
一人一人に、役割を授けてくださっています。
意味の無い人生は一つもありません。
私達は神様の中に、神様の御手の中に居ます。
神様の愛に包まれています。
 
●死ののちも
地上の人生が終わるときが来ます。
地上の人生が終わったあとの時間にも、わたしは神様の中に居ます。
神様の書にわたしのことが記されているのです。
永遠なる神様が、わたしを知っていてくださるのです。
わたしの存在が永遠に覚えられているのです。
神様の永遠の中に置かれているわたしです。
●どんな時も
生まれる前の時間、地上で生きる時間、世を去ったのちの時間、そのどの
時間に居ても、わたしは神様の中に居ます。
 
生まれる前も御手の中
生きている日々も御手の中
この世のいのちが果てたのちも、主の御手の中に居るのです。
 
●まとめ
とこしえからとこしえまで、神様には果てがありません。
空間的な果てがない神様、時間的な果てがない神様が、わたしを究め、わ
たしを知っていてくださることを知りました。
 
どんな時も、どこに居ても、私達は神様の中に居ます。
 
ですから今この時、今置かれているところで、落ち着いて生きていくこと
が出来ます。
希望を持って生きることが出来ます。
 
●結語
さあ、私達も詩人と共に、主を賛美しましょう。
「139:17  あなたの御計らいは、わたしにとっていかに貴いことか。神よ、
いかにそれは数多いことか。
139:18  数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、
わたしはなお、あなたの中にいる。」
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