<メッセージ> |
●いかに楽しいことでしょう |
「92:2 いかに楽しいことでしょう、主に感謝をささげることは」 |
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今私達は礼拝に集っています。 |
共に集い、 |
主に感謝をささげることは、 |
御名をほめ歌うことは、 |
主のまことを述べ伝えることは、 |
なんと楽しいことでしょう。 |
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●主が御業をしてくださった |
「92:5 主よ、あなたは、御業を喜び祝わせてくださいます。」 |
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主が私達に御業を行ってくださったのです。 |
それで私達は御手の業を喜び祝うことが出来るのです。 |
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主は、主の御業がどんなに大きく、主の御計らいがどんなに深いかを教えて |
くださいました。 |
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私達は心の底から喜び歌います。 |
「92:6 主よ、御業はいかに大きく、御計らいはいかに深いことでしょう。」 |
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●愚かな者、無知な者 |
私達は長い間、主の御業、主の御計らいを知らずにいたのです。 |
悟ろうとしませんでした。 |
愚かな者、無知な者でありました。 |
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わたしの目は、野の草のように茂り、花を咲かせる人々を見ていました。 |
『この人達は、野の草のようにたくましく生きて、学業においても仕事におい |
ても成果を上げている。 |
社会を動かす力を持っている。 |
人々は、この人達をほめたたえている。 |
自分もあの人達のように、たくましく生き、成功を収めたい』と願いました。 |
懸命に努力し、力を振り絞って生きてきたのです。 |
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野の草のように茂り、花を咲かせることが出来ました。 |
けれども心の中に、いい知れない不安を抱えていたのでした。 |
今は野の草のように茂り、花を咲かせていても、やがて枯れることを、どこか |
で知っていたのです。 |
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●日陰の草 |
一方で私達は、野の草に覆われ日陰で育つ草のように感じてもいました。 |
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野の草は強いです。 |
弱い草を押しのけて育ち、茂り、花を咲かせます。 |
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『わたしは野の草に押しつぶされている』と思いました。 |
わたしも、野の草のように茂り、花を咲かせたいのです。 |
けれども、強い草に覆われ塞がれ、花を咲かすことが出来ません。 |
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自分に絶望しました。 |
この世に自分の居場所がないと思いました。 |
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●イエス・キリスト |
けれども、主の御業はなんと大きく、御計らいはいかに深いことでしょう。 |
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主なる神様は野の草のような人も、花を咲かすことが出来ない人も、救うと決 |
められたのです。 |
すべての人々を生かすために、イエス・キリストをこの世に遣わしてくださいま |
した。 |
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ローマの信徒への手紙の言葉です。 |
「3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、 |
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で |
義とされるのです。 |
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供 |
え物となさいました。」 |
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イエス・キリストの出来事は主の御業の究極です。 |
神様はキリストの十字架の贖いによってすべての人を救うと決められたのです。 |
深い深い主の御計らいです。 |
御計らいの極みです。 |
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●新しい油 |
今日の詩編11節には |
「92:11 あなたはわたしの角を野牛のように上げさせ、豊かな油を注ぎかけて |
くださることでしょう。」 |
とあります。 |
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「豊かな油」は「新しい油」とも訳されます。 |
キリストが十字架によって流された血潮が、「新しい油」となりました。 |
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主の御業を知らなかった私達、主の御計らいを悟ろうとしなかった私達に、新 |
しい油が注がれました。 |
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私達はうなだれていた頭を上げることが出来ました。 |
私達は主の十字架を見上げています。 |
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そして気付きました。 |
わたしが茂り花を咲かせようとがんばっていた時も、自分はだめだ、枯れてい |
くと思っていた時も、主はおられたのです。 |
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永遠に高くいます主は、私達一人一人を見ておられたのです。 |
そして私達を立ち上がらせてくださるのです。 |
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●御業の中に置かれている |
新しい油を注いでいただき、主の十字架を見上げて歩んでいくうちに、わたし |
の暮らしの中に主の御業が行われていることがわかるようになりました。 |
すべての事柄は、主の深い深い御計らいによってなされているのです。 |
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これまでの様々な出来事を思い出してみましょう。 |
一つの出来事に至るまでに、神様の深い深い御計らいがあったことに気付きま |
す。 |
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思い返してみれば、このことの前に、こういうことがありました。 |
こういうことの前に、こういうことがありました。 |
その一つ一つが、このことが成されるための準備となっていたのです。 |
ああいうことがあったから今このことが出来るのだと、わかりました。 |
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偶然だと思っていた事、ラッキーと思っていた事が、実は神様の御業だったと |
わかりました。 |
神様の深い深い計らいの中で行われていたのです。 |
わたしは知らなかったけれど、わからなかったけれど、ずっとずっと神様は |
様々な事をしてくださっていたのでした。 |
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神様は何と長い時間をかけ、綿密な計画をもって私達を導いてくださっている |
ことでしょうか。 |
業をなされる神様の御手が、神様の指が見えてきました。 |
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●神の庭に植えられた木 |
主は御手をもって私達一人一人を神の庭に植えてくださいました。 |
ちょうど植木屋さんが一本一本を手にとって、丁寧に木を植えていくように |
です。 |
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私達は主の家に植えられた木です。 |
私達は以前は荒れ野に芽を出した木でした。 |
育ちたいのに水が十分にありませんでした。 |
茨が茂ってきて、大きくなるのを阻みました。 |
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けれど今は神の庭に植えられています。 |
木は自分で居場所を変えることが出来ません。 |
主がわたしを神の庭に植えてくださったのです。 |
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●主の家の木 |
植えられたばかりの木もあります。 |
長い間主の家に育った木もあります。 |
今、それぞれが、それぞれの時を過ごしています。 |
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みんなイエス・キリストの命の水をいただいています。 |
みんなにイエス・キリストの光が注がれています。 |
その光を阻むものは、もはやありません。 |
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寿命が長くたくさん実をならせるなつめやしのように、活発に成長し高い高い |
木になるレバノンの杉のように、日々それぞれの時を生きています。 |
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神の庭に茂る木は、野の草のように枯れることはありません。 |
木がいただいているのは、命の水です。 |
永遠の光です。 |
ですから、私達は |
「白髪になってもなお実を結び、命に溢れ、いきいきとし」ていられるのです。 |
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●白髪になっても |
私達の多くは年をとりました。 |
肉体は弱っていきます。 |
これまでのように働くことが出来なくなりました。 |
悲しい事です。 |
厳しい現実です。 |
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けれど年と共に、豊かな実を結ぶことがわかってきました。 |
量の豊かさではありません。 |
質の豊かさです。 |
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自分の力が失われるほどに、神様の力が働いていることを感じることが出来る |
ようになるのです。 |
これまでも神様は一人一人に働いてくださり、力を与えて実を結ばせてくださ |
っていたのです。 |
でも、自分に力がある時は自分でやっていると思っていました。 |
神様の指が見えなかったのです。 |
自分の力が失われていくにつれて、神様の力が感じられるようになりました。 |
『これまでもそうだったんだ。 |
今まで気付かなかった。』 |
とわかります。 |
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その人の力ではありません。 |
その人の能力ではありません。 |
主が深い深い御計らいによって、ことをなしてくださっているのです。 |
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わたしに働いてくださる神様が、神様の実をわたしに結んでくださるのです。 |
ですから、白髪になっても実をむすぶことが出来ます。 |
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●高く近く |
この先も神様がことを運んでくださるでしょう。 |
主は、主に委ねる心を育ててくださいます。 |
主に対する信頼を、強くしてくださいます。 |
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イザヤ書は告げています。 |
「40:30 若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが |
40:31 主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走って |
も弱ることなく、歩いても疲れない。」 |
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より高く、より神様の近くへと、神様は私達を引き上げてくださいます。 |
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●結語 |
さあ、主に感謝を献げましょう。 |
御名をほめ歌い、主のまことを述べ伝えましょう。 |
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主は御業をなしてくださっています。 |
主の御業の究極は、イエス・キリストです。 |
私達は日々の暮らしの中に主の御業を見ることが出来ます。 |
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「主の御業はいかに大きく、御計らいはいかに深いことでしょう。」 |
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私達は御手の業を喜び歌います。 |
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主の庭に集い、共に主を礼拝することは、なんと楽しいことでしょう。 |
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