<メッセージ> |
●山々を仰ぐ |
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。」 |
この詩は、私達の思いを詠っています。 |
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「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。」 |
若い頃、いつもふるさとの山々を仰ぎ見ていました。 |
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都会に暮らしていると、いつも人の作ったものに囲まれています。 |
都会を離れて旅行に出かけると、そこには山々がありました。 |
詩編の言葉が浮かんできます。 |
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。」 |
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●「山のあなた」 |
「山のあなた」という詩があります。 |
ドイツの詩人カール・ブッセの詩で、上田敏訳で有名になりました。 |
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「あなた」は「彼方」という意味です。 |
「とめて」は「求めて」という意味です。 |
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「山のあなたの空遠く |
幸い住むとひとのいう |
ああ、われひとと尋(と)めゆきて |
涙さしぐみかえり来(き)ぬ |
山のあなたになおとおく |
幸い住むとひとのいう」 |
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山の彼方に幸いを探したけれども、見つからなかった。 |
それでも、もっと先に幸いがあると思いたい。 |
悲しい切ない気持が伝わってきます。 |
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●助けは来る |
「幸いはどこにあるのか」 |
「わたしの助けはどこから来るのか。」 |
すべての人々が、心の奥深くで探し求めているのでしょう。 |
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この問いかけに、答えが与えられています。 |
「121:2 わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。」 |
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●呼びかける言葉 |
このあと、「あなた」という呼びかけが続きます。 |
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「都に上る歌」とありますから、都エルサレムに向かう人に、送り出す人が言 |
っているのかもしれません。 |
エルサレムには神殿がありますから、「あなた」は、巡礼に旅立つ人なのかも |
しれません。 |
または、捕囚となっているバビロンから、エルサレムに帰ろうとしているのかも |
しれません。 |
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あるいは、エルサレムに巡礼に来た人に、無事に家に帰れますようにと、送り |
出す祭司が祈っているのかもしれません。 |
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●旅の安全を祈る |
送り出す人は、旅の安全を祈っています。 |
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「121:3 どうか、主があなたを助けて、足がよろめかないようにし、まどろ |
むことなく見守ってくださるように。 |
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121:4 見よ、イスラエルを見守る方は、まどろむことなく、眠ることもない。」 |
主はまどろむことなく、あなたを見守ってくださっていますよ、と語りかけます。 |
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「121:5 主はあなたを見守る方、あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。 |
121:6 昼、太陽はあなたを撃つことがなく、夜、月もあなたを撃つことがない。」 |
主が覆ってくださっているのです。 |
太陽も月もあなたを撃つことはない、と語ります。 |
当時、太陽は熱と光ですべてを撃つと考えられていました。 |
この夏猛暑を経験したので、私達にも良く分かります。 |
また、月は人を撃って病気にする、と考えられていたのです。 |
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「121:7 主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守っ |
てくださるように。 |
121:8 あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、 |
そしてとこしえに。」 |
と祈ります。 |
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「あなた」と呼ばれているこの人は、祈りに支えられて旅立っていきます。 |
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●人生の旅の途上 |
私達の人生もまた、旅です。 |
今、私達は旅の途中にいます。 |
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これまで幾度、取り囲む山々を仰いで、「わたしの助けはどこから来るのか。」 |
とつぶやいたことでしょうか。 |
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そして、 |
「121:2 わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。」 |
ということを知ったのです。 |
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●これからも |
私達は、これから先も、人生の旅を歩んでいきます。 |
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四方八方を山に囲まれて、どこにも道を見いだせなくなることが起こるかも |
しれません。 |
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個人の人生だけでなく、教会もその様な困難に陥ることがあるかもしれません。 |
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私達は、どうすることも出来ない、もうだめだ、とうずくまってしまうでしょう。 |
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その時、「目を上げなさい」と語りかける声を聞くのです。 |
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その声に促されて目を上げると、頭の上に天が広がっているのが見えます。 |
四方八方を囲まれてもうどうすることも出来ない思っていたけれど、上が開 |
いていたのです。 |
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助けが、上から来ます。 |
私達が探し求めていた方向ではない、思ってもいなかった方向から、上から |
天地を作られた主のもとから来るのです。 |
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●コリント一 10章 |
先ほど交読文で、コリントの信徒への手紙一10章を読みました。 |
「10:13 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものは |
なかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような |
試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃 |
れる道をも備えていてくださいます。」 |
とあります。 |
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神様は逃れる道を備えてくださっているのです。 |
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●荒野の旅 |
この箇所で、パウロは、出エジプトの出来事を思い出すように、促しています。 |
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前には海、後には民を追ってくるエジプト軍、絶体絶命の状況に陥った民で |
した。 |
その時、主は海の中に乾いた地を作りだして民を救われたのでした。 |
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荒れ野の中で、食べるものが無いと不平を言う民に、主は天からマナを降ら |
せられたのでした。 |
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「水が無い、渇きで殺すつもりか」と不平を言う民に、主は岩を打って水を |
湧き出させられたのでした。 |
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主は、昼は雲の柱、夜は火の柱を立てて民を導かれたのでした。 |
「民の先頭を離れることはなかった」と記されています。 |
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主なる神様は、昼も夜もまどろむことなく、見守ってくださったのです。 |
荒野を旅する民が、出で立つ時も留まる時も、見守ってくださいました。 |
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●主がそうしてくださった |
だから、 |
「立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。 |
10:13 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなか |
ったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に |
遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも |
備えていてくださいます。」 |
とパウロは言います。 |
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「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」 |
という言葉は、理屈ではありません。 |
そうであるはずだ、と人の頭脳が作り上げた観念ではありません。 |
事実、主がそうしてくださってきたのです。 |
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●助けが来る |
私達も、主がしてくださったことを思い出しましょう。 |
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苦しみの出来事が襲ってきて、自分ではもうどうすることも出来ずに、不安 |
と恐れと絶望の中でただただうずくまっていました。 |
助けは上から、天から来たのです。 |
天地を造られた主のもとから来ました。 |
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助けは来るのです。 |
わたしが山を登って主の所に行かなければならないのではありません。 |
神様の方から助けに来てくださるのです。 |
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●主がしてくださる |
天地を造られたお方は、どんなことでもお出来になります。 |
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足がよろめいて倒れそうになる時、主がわたしを助け支え、一緒に歩いてくだ |
さるのです。 |
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眠れない夜を過ごす時、そこにも主がいてくださいます。 |
主はまどろむことなく、眠ることもなく24時間見守っていてくださってい |
るのです。 |
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襲ってくる苦難に撃たれて、もう耐えられないと思う時、主がわたしを覆っ |
てくださいます。 |
御手の中に包み込んで守ってくださるのです。 |
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主はわたしの右におられます。 |
右手は何かをする手です。 |
わたしのすることすべてを見守り助けてくださるのです。 |
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●これからも |
私達はこれからも人生の旅を続けていきます。 |
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「121:7 主がすべての災いを遠ざけて、あなたを見守り、あなたの魂を見守 |
ってくださるように。」 |
主がすべての災いを遠ざけくださるでしょう。 |
私達を見守り、私達の魂を見守ってくださるでしょう。 |
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「121:8 あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今 |
も、そしてとこしえに。」 |
出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださいます。 |
どこに行っても、どこにいても、主が見守ってくださっているのです。 |
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今も、そしてとこしえに。 |
これまで見守り続けてくださった主は、今も、これから先もずっと見守り続け |
てくださるのです。 |
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●共にいる |
主は、私達一人一人の歩みを、そして教会の歩みを、見守り続けてくださいます。 |
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復活のイエス様は |
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」 |
と言われました。 |
そして |
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 |
と約束してくださいました。 |
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イエス様が来てくださっています。 |
四方を苦難の山で囲まれ倒れ伏す時も、私達を抱きかかえ逃れの道を歩いて |
くださいます。 |
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今も、そしてとこしえに、私達を見守り続けてくださるのです。 |
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●結語 |
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。 |
121:2 わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。」 |
|
私達のところに来てくださった救い主イエス様がおられます。 |
ですから、私達はこれからも歩み続けることが出来ます。 |
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