トップページ 教会紹介 集会案内 周辺地図 こどもの教会 お知らせ リンク
メッセージ
今までのメッセージはこちらから
礼拝メッセージ 2022年 8月14日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
詩編14編 1〜7節  正しい者は一人もいない
〈聖書(新共同訳)〉
14:1 【指揮者によって。ダビデの詩。】神を知らぬ者は心に言う、「神など
ない」と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はい
ない。
14:2 主は天から人の子らを見渡し、探される、目覚めた人、神を求める人は
いないか、と。
14:3 だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。
ひとりもいない。
14:4 悪を行う者は知っているはずではないか。パンを食らうかのようにわた
しの民を食らい、主を呼び求めることをしない者よ。
14:5 そのゆえにこそ、大いに恐れるがよい。神は従う人々の群れにいます。
14:6 貧しい人の計らいをお前たちが挫折させても、主は必ず、避けどころと
なってくださる。
14:7 どうか、イスラエルの救いが、シオンから起こるように。主が御自分の
民、捕われ人を連れ帰られるとき、ヤコブは喜び躍り、イスラエルは喜
び祝うであろう。
ページの上に戻る
<メッセージ>
●自分は正しい
おそらく、ほとんどの人が「自分は正しい」と思って生きています。
「あなたは正しくない」と言われることほど、いやなことはありません。
「あなたは間違っている」と言われれば、自分は正しいと主張します。
「あなたは間違っている」と言った人は自分は正しいと思っているわけですか
ら、お互いが自分が正しい、と言い立てていくことになります。
いさかいが起こります。
争いが激しくなっていきます。
ついには、言っても無駄だ、とその人との関係を断つことになります。
相手を殺してしまいたいと思うようにさえなるのです。
 
日常生活に起るトラブル、
ニュースで報じられる恐ろしい事件、
国家間の断絶、戦争。 
どの場面にも、「自分は正しい」と言い立てる双方からの声が、がんがん響い
ています。
 
正しい、という名によって相手を滅ぼそうとする人間の業が、昔も今も続いて
います。
●詩編の状況
今日の詩編の詩人が生きた時代も、そうでした。
人々は腐敗していました。
忌むべきことが行われていました。
善を行なう者はいないのです。
敵はパンを食らうように、民を食らっているのです。
権力のある者が、貧しい人の計らいを挫折させているのです。
詩人は嘆きます。
「神を知らぬ者は心に言う、「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべ
き行いをする。善を行う者はいない。」
すべては「神を知らない」ということが原因なのです。
 
●主は探される
詩人は言います。
「14:2 主は天から人の子らを見渡し、探される、目覚めた人、神を求める
人はいないか、と。」
そうなのです。
主なる神様は、私達人間すべてを見渡しておられるのです。
目覚めた人、神を求める人はいないかと、探し求めておられます。
 
けれども、目覚めている人、神様を求めている人は一人もいないのです。
「14:3 だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はい
ない。ひとりもいない。」
とあります。
神様とアブラハムの対話
でも私達は、数は少ないかもしれないけれど、目覚めた人、神を求める人、
善を行う人はいるはずだ、と思っているのではないでしょうか。
創世記にソドムの町が滅亡する記事があります。
主なる神様とアブラハムのやりとりが記されています。
主が言われます。
「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。」
アブラハムが言います。
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正
しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。」
―「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町
全部を赦そう。」
「もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでも
あなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」
―「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」
「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」
―「その四十人のためにわたしはそれをしない。」
「もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」
―「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」
―「もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」
「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」
「もしかすると、十人しかいないかもしれません。」
―「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」
主とアブラハムのやりとりはここで終わります。
アブラハムは自分の住まいに帰ったのでした。
アブラハムは、大丈夫、十人はいるだろうと思ったのでしょう。
けれども、ソドムとゴモラは滅ぼされたのでした。
もしアブラハムが続けて、9人では?8人では?と問うていって、では一人で
は?と問うたならば、どうでしょうか。
主はその一人のために滅ぼさない、と言われたことでしょう。
 
けれどもその一人がいなかったのです。
正しい者はいない、一人もいないのです。
すべての人は滅ぼされるほかありません。
ページの上に戻る
●ローマ書
今日の詩編の言葉が、ローマの信徒への手紙に引用されています。
3:10 次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。
3:11 悟る者もなく、、神を探し求める者もいない。
3:12  皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。
ただの一人もいない。」
 
●「正しい」とは
どうも、私達が思っている「正しい」と、神様が言われる「正しい」には、ずれが
あるようです。
私達が思っている「正しい」とは、おまわりさんに捕まるようなことはしていな
い、人から後指をさされるような道徳的な違反をしていない、ということです。
人間社会の中で人と人が作り上げてきた正しさです。
けれども神様が問われるのは、人間の本質的な正しさです。
神様の目から見て「正しい」とされる「正しさ」です。
人間社会で人と人の間にある正しさは、神様との関係が正しくあることによ
って引き出されます。
そのことが、十戒に示されています。
●十戒
神様はモーセに十戒を与えるに際して言われました。
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した
神である。」
そして言われるのです。
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
あなたはいかなる像も造ってはならない。
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
安息日を心に留め、これを聖別せよ。」
まず神様との正しい関係が述べられていて、その後に人間同士の律法が与
えられています。
「あなたの父母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
隣人に関して偽証してはならない。
隣人の家を欲してはならない。」
とあります。
法律的な正しさ、道徳的な正しさは、神様との正しい関係があってこそなり立
つものなのです。
それなのに人々は神様を忘れ、「神などない」と心の中で言っているのです。
だれもかれも背き去りました。 皆ともに、汚れています。
善を行う者はいません。
ひとりもいません。
 
●キリストによる贖い
ローマの信徒への手紙には、今日の詩編が引用された後に、このように書
かれています。
「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。
律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」
そして記すのです。
「3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で
義とされるのです。
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供
え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示し
になるためです。」
正しい者はいません。
一人もいません。
滅びるしかない人間です。
滅びるしかない私達人間を救うために、神様はイエス・キリストをこの世に遣
わしてくださったのでした。
私達すべての罪を代わりに負って十字架に付き、すべての罪を贖ってくださっ
たのです。
 
キリストの出来事は神様の恵みです。
何の見返りも求めることなく、無償で、ただで、キリストをくださいました。
私達はキリストによって、無条件に赦されているのです。
●メシア待望
今日の詩編の詩人は、
「14:7 どうか、イスラエルの救いが、シオンから起こるように。」
と願いました。
イスラエルは、ずっとずっとメシア―救い主を待ち望んできました。
そしてついにメシアが来られたのです。
イエス・キリストが来られました。
キリストは私達を神様のもとに連れ帰ってくださるのです。
●人の正しさ
けさ、私達は「正しい者はいない。一人もいない。」
という言葉を聞きました。
私達は、これまで「わたしは正しい」と思ってきたのでした。
わたしは正しいと思って、言ったりやったりしてきたのです。
でもそれがどんなに相手を傷つけてきたことでしょうか。
相手から見るとそれは「正しくない」のです。
相手には、相手から見える「正しさ」があるのです。
相手から見たら、自分が主張している正しさがどう見えるかということなど、
考えてもみませんでした。
「正しさ」と「正しさ」がぶつかり合って、いざこざが生まれています。
恐ろしい事件が起こっています。
戦争が起こっています。
自分は正しいと思うことが、正しくないのです。
それでも 「自分は正しい」と思うことをやめられない私達です。
●神の正しさ
その様な私達に対して、神様の正しさが示されました。
神様の正しさは、イエス・キリストによって現されています。
神様の正しさは、その正しさをもって人を裁き滅ぼす正しさではありません。
神様の正しさは、人を赦す正しさです。
何の条件も付けずに救う正しさです。
私達すべての人間は、神様の正しさの中に置かれています。
 
●結語
すべての人々が、キリストによって示された神様の正しさを知り、喜び躍り、
喜び祝うことが出来ますように。
ページの上に戻る

トップページ 教会紹介 集会案内 周辺地図 こどもの教会 お知らせ リンク メッセージ゙
             今までのメッセージはこちらから