<メッセージ> |
●自分は正しい |
おそらく、ほとんどの人が「自分は正しい」と思って生きています。 |
「あなたは正しくない」と言われることほど、いやなことはありません。 |
「あなたは間違っている」と言われれば、自分は正しいと主張します。 |
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「あなたは間違っている」と言った人は自分は正しいと思っているわけですか |
ら、お互いが自分が正しい、と言い立てていくことになります。 |
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いさかいが起こります。 |
争いが激しくなっていきます。 |
ついには、言っても無駄だ、とその人との関係を断つことになります。 |
相手を殺してしまいたいと思うようにさえなるのです。 |
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日常生活に起るトラブル、 |
ニュースで報じられる恐ろしい事件、 |
国家間の断絶、戦争。 |
どの場面にも、「自分は正しい」と言い立てる双方からの声が、がんがん響い |
ています。 |
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正しい、という名によって相手を滅ぼそうとする人間の業が、昔も今も続いて |
います。 |
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●詩編の状況 |
今日の詩編の詩人が生きた時代も、そうでした。 |
人々は腐敗していました。 |
忌むべきことが行われていました。 |
善を行なう者はいないのです。 |
敵はパンを食らうように、民を食らっているのです。 |
権力のある者が、貧しい人の計らいを挫折させているのです。 |
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詩人は嘆きます。 |
「神を知らぬ者は心に言う、「神などない」と。人々は腐敗している。忌むべ |
き行いをする。善を行う者はいない。」 |
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すべては「神を知らない」ということが原因なのです。 |
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●主は探される |
詩人は言います。 |
「14:2 主は天から人の子らを見渡し、探される、目覚めた人、神を求める |
人はいないか、と。」 |
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そうなのです。 |
主なる神様は、私達人間すべてを見渡しておられるのです。 |
目覚めた人、神を求める人はいないかと、探し求めておられます。 |
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けれども、目覚めている人、神様を求めている人は一人もいないのです。 |
「14:3 だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はい |
ない。ひとりもいない。」 |
とあります。 |
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●神様とアブラハムの対話 |
でも私達は、数は少ないかもしれないけれど、目覚めた人、神を求める人、 |
善を行う人はいるはずだ、と思っているのではないでしょうか。 |
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創世記にソドムの町が滅亡する記事があります。 |
主なる神様とアブラハムのやりとりが記されています。 |
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主が言われます。 |
「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。」 |
アブラハムが言います。 |
「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。 |
あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正 |
しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。」 |
―「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町 |
全部を赦そう。」 |
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「もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでも |
あなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」 |
―「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」 |
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「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」 |
―「その四十人のためにわたしはそれをしない。」 |
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「もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」 |
―「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」 |
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―「もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」 |
「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」 |
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「もしかすると、十人しかいないかもしれません。」 |
―「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」 |
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主とアブラハムのやりとりはここで終わります。 |
アブラハムは自分の住まいに帰ったのでした。 |
アブラハムは、大丈夫、十人はいるだろうと思ったのでしょう。 |
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けれども、ソドムとゴモラは滅ぼされたのでした。 |
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もしアブラハムが続けて、9人では?8人では?と問うていって、では一人で |
は?と問うたならば、どうでしょうか。 |
主はその一人のために滅ぼさない、と言われたことでしょう。 |
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けれどもその一人がいなかったのです。 |
正しい者はいない、一人もいないのです。 |
すべての人は滅ぼされるほかありません。 |
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●ローマ書 |
今日の詩編の言葉が、ローマの信徒への手紙に引用されています。 |
3:10 次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない。 |
3:11 悟る者もなく、、神を探し求める者もいない。 |
3:12 皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。 |
ただの一人もいない。」 |
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●「正しい」とは |
どうも、私達が思っている「正しい」と、神様が言われる「正しい」には、ずれが |
あるようです。 |
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私達が思っている「正しい」とは、おまわりさんに捕まるようなことはしていな |
い、人から後指をさされるような道徳的な違反をしていない、ということです。 |
人間社会の中で人と人が作り上げてきた正しさです。 |
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けれども神様が問われるのは、人間の本質的な正しさです。 |
神様の目から見て「正しい」とされる「正しさ」です。 |
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人間社会で人と人の間にある正しさは、神様との関係が正しくあることによ |
って引き出されます。 |
そのことが、十戒に示されています。 |
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●十戒 |
神様はモーセに十戒を与えるに際して言われました。 |
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した |
神である。」 |
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そして言われるのです。 |
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 |
あなたはいかなる像も造ってはならない。 |
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。 |
安息日を心に留め、これを聖別せよ。」 |
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まず神様との正しい関係が述べられていて、その後に人間同士の律法が与 |
えられています。 |
「あなたの父母を敬え。 |
殺してはならない。 |
姦淫してはならない。 |
盗んではならない。 |
隣人に関して偽証してはならない。 |
隣人の家を欲してはならない。」 |
とあります。 |
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法律的な正しさ、道徳的な正しさは、神様との正しい関係があってこそなり立 |
つものなのです。 |
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それなのに人々は神様を忘れ、「神などない」と心の中で言っているのです。 |
だれもかれも背き去りました。 皆ともに、汚れています。 |
善を行う者はいません。 |
ひとりもいません。 |
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●キリストによる贖い |
ローマの信徒への手紙には、今日の詩編が引用された後に、このように書 |
かれています。 |
「律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。 |
律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。」 |
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そして記すのです。 |
「3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、 |
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で |
義とされるのです。 |
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供 |
え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示し |
になるためです。」 |
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正しい者はいません。 |
一人もいません。 |
滅びるしかない人間です。 |
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滅びるしかない私達人間を救うために、神様はイエス・キリストをこの世に遣 |
わしてくださったのでした。 |
私達すべての罪を代わりに負って十字架に付き、すべての罪を贖ってくださっ |
たのです。 |
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キリストの出来事は神様の恵みです。 |
何の見返りも求めることなく、無償で、ただで、キリストをくださいました。 |
私達はキリストによって、無条件に赦されているのです。 |
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●メシア待望 |
今日の詩編の詩人は、 |
「14:7 どうか、イスラエルの救いが、シオンから起こるように。」 |
と願いました。 |
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イスラエルは、ずっとずっとメシア―救い主を待ち望んできました。 |
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そしてついにメシアが来られたのです。 |
イエス・キリストが来られました。 |
キリストは私達を神様のもとに連れ帰ってくださるのです。 |
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●人の正しさ |
けさ、私達は「正しい者はいない。一人もいない。」 |
という言葉を聞きました。 |
私達は、これまで「わたしは正しい」と思ってきたのでした。 |
わたしは正しいと思って、言ったりやったりしてきたのです。 |
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でもそれがどんなに相手を傷つけてきたことでしょうか。 |
相手から見るとそれは「正しくない」のです。 |
相手には、相手から見える「正しさ」があるのです。 |
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相手から見たら、自分が主張している正しさがどう見えるかということなど、 |
考えてもみませんでした。 |
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「正しさ」と「正しさ」がぶつかり合って、いざこざが生まれています。 |
恐ろしい事件が起こっています。 |
戦争が起こっています。 |
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自分は正しいと思うことが、正しくないのです。 |
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それでも 「自分は正しい」と思うことをやめられない私達です。 |
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●神の正しさ |
その様な私達に対して、神様の正しさが示されました。 |
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神様の正しさは、イエス・キリストによって現されています。 |
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神様の正しさは、その正しさをもって人を裁き滅ぼす正しさではありません。 |
神様の正しさは、人を赦す正しさです。 |
何の条件も付けずに救う正しさです。 |
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私達すべての人間は、神様の正しさの中に置かれています。 |
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●結語 |
すべての人々が、キリストによって示された神様の正しさを知り、喜び躍り、 |
喜び祝うことが出来ますように。 |
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