| <メッセージ> |
| ●パン種 |
| 「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。」 |
| その通りです。 |
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| パンを作ったことがある方は良くわかります。 |
| パンができていく工程をテレビで見たことがある方もわかるでしょう。 |
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| 小麦粉に水を加えて練り、ひとかたまりにします。 |
| その中にイースト菌をほんの少し加えて寝かします。 |
| すると全体が脹らんでくるのです。 |
| それを焼いてパンができあがります。 |
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| ●パン種とは |
| 今日の箇所で言われているパン種は、キリストの真理に従わないようにさせる |
| ものです。 |
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| そういう思いがわたしの心にぽつんと現れる、初めは一瞬の思いです。 |
| ところがそれがだんだん大きく脹らんでいく、ついにはわたしの心がその思い |
| で一杯になるのです。 |
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| 教会の中でも同じことが起こります。 |
| だれかひとりがキリストの真理に背く言動をとり始める。 |
| その人の影響を受けて、他の人達もキリストの真理から外れていく。 |
| ついには教会全体があらぬ方向へと進んでいくことになるのです。 |
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| ●パン種に気付かない |
| 白い粉の中に赤い粉が入ったら、「あ、入った」とすぐに気付きます。 |
| でも白い粉が混じり込んだらわかりません。 |
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| パウロがパン種と言っているのは、神様から「あなたは良し」と言ってもらう |
| には、キリストの他に律法の行いも必要だ、という考えです。 |
| キリストはいらないとか、他の神々を持ち出してくるならば、それは違うとすぐ |
| に気付きます。 |
| それは赤い粉なのですから。 |
| でも、キリストの贖いも必要だけれど人の行いも必要、と言われると見分けが |
| つかなくなるのです。 |
| それは白く見える粉なのです。 |
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| 今ガラテヤの人達はキリストの真理から外れそうになっています。 |
| ガラテヤの人達は、キリストの贖いによってのみ、神様から義とされることを |
| 知ったのでした。 |
| それなのに割礼を受けようとしているのです。 |
| 割礼を受けるということは、律法全体を行う事が必要だと思うことと同じです。 |
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| でも、ガラテヤの人達は、割礼を受けることがキリストの真理から外れること |
| だ、ということに気付いていません。 |
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| ●パウロの祈り |
| パウロは |
| 「あなたがたが決して別な考えを持つことはないと、わたしは主をよりどころと |
| してあなたがたを信頼しています。」 |
| と語りかけます。 |
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| ここにはパウロの祈りがあります。 |
| パウロは自分の言葉でガラテヤの人達を説き伏せようとしているのではありま |
| せん。 |
| 人は、人の説得力のある言葉によって変えられるものではないのです。 |
| 主がしてくださる。 |
| 主が、決して別な考えを持つことがないようにしてくださる。 |
| 主をよりどころとするゆえに、パウロは強く語ることが出来るのです。 |
| キリストの真理。 |
| 人が神様から「あなたは良し」と言ってもらえるのは、キリストの贖いだけに |
| よるのだ。 |
| 自分が律法を行って正しい人間になることが「良し」と言っていただく条件で |
| は決してない。 |
| そういうものを付け加えてはならない。 |
| キリストのみ、とパウロは語ります。 |
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| ●体験として知るキリスト |
| パウロはキリストの真理を頭の中で理解しているのではありません。 |
| 誰かから学んだり、思索を重ねて到達したのではないのです。 |
| キリストの真理をパウロは身をもって受け取ったのでした。 |
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| パウロは、律法の行いに関しては非の打ち所のない者でした。 |
| 彼はキリストを否定し、キリストを信じる者を迫害することに熱心でした。 |
| その彼にキリストが出会われたのです。 |
| パウロはそれまで自分が正しいと思っていたことが覆される経験をしました。 |
| 自分が正しいと信じてやってきたことが間違っていたことを知りました。 |
| これまで自分がよりどころとしていたものが崩されることは、暗闇の深い淵に |
| 突き落とされることです。 |
| すべてが失われ打ちのめされます。 |
| とても生きていけません。 |
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| けれども、パウロは暗闇の淵に落ちませんでした。 |
| 自分の正しさが崩されたパウロが落ちていったのは、キリストの腕の中でした。 |
| キリストの愛、キリストの赦しの中でした。 |
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| キリストは、自分の正しさにしがみついていたパウロを自由にしてくださった |
| のです。 |
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| 律法による正しさを説いていたパウロは、キリストの十字架を宣べ伝える者に |
| なりました。 |
| 迫害していた者が、迫害される者になりました。 |
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| キリストの真理。 |
| キリストのみ。 |
| パウロは語り続けます。 |
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| ●ガラテヤの人達 |
| キリストによって自由にされたのはパウロだけではありません。 |
| ガラテヤの人達も、キリストによって自由にされたのでした。 |
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| 5章1節に |
| 「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださっ |
| たのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりま |
| せん。」 |
| とあります。 |
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| ガラテヤの人達は、キリストによって律法の奴隷から自由にされたのです。 |
| それなのに、割礼を受けようとしている、律法の行いも必要だと思うように |
| なっています。 |
| 練り粉にパン種が入りこんできています。 |
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| ●もう一つのパン種 |
| ガラテヤの人々の間に、もう一つ別の種類のパン種も入りこんで来ていました。 |
| それは、律法から自由にされた、もう何ものにも縛られない、自分の好きにし |
| ていいんだ、という考えです。 |
| 自分勝手に振る舞うようになります。 |
| 一人の人の好き勝手な言動が、教会の中にわだかまりや争い、批判、勢力争 |
| いを産み出すのです。 |
| お互いに自分を主張して引き下がらない、自分の考えや行動で他の人を支配 |
| しようとするのです。 |
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| 「肉」という言葉は、このような人間の自分中心の思いを表わしています。 |
| 勝手に生きるということは、自分を中心にして生きることです。 |
| 自分が王座に座り、すべてを意のままに運ぼうとするのです。 |
| 自分を中心に据える、これが聖書でいう罪です。 |
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| ●自由を得ている |
| 私達は、自由を得るために召し出されています。 |
| キリストがもう私達を自由の身にしてくださっているのです。 |
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| 自由をはき違えてはなりません。 |
| 私達が得ている自由は、自分勝手に生きる自由ではありません。 |
| 自分を中心にして生きることではありません。 |
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| 私達が得ている自由は、愛によって互いに仕えることができる自由です。 |
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| ●愛の中にある罪 |
| 私達は愛することにおいて、自由ではないのです。 |
| 愛することにおいても、罪を犯すのです。 |
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| 自分は愛している、相手のことを思っていると思っていますが、自分の思いを |
| 相手に押しつけているのです。 |
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| 愛という名をつけて相手を自分のものにしようとしている、相手を支配するこ |
| とが起こるのです。 |
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| 相手のためにしていると思っていても、そうしている自分に満足していること |
| が起こるのです。 |
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| キリストは、愛することにおいても自分中心という罪の奴隷になっている私達 |
| を、自由にしてくださいました。 |
| ご自身が人のために命を捨てることによって、私達を自由の身にしてくださっ |
| たのです。 |
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| ●新しい契約 |
| キリストは、自由にされた者が生きる道しるべを示してくださっています。 |
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| 律法は本来、神様から約束をいただいた民が生きる道しるべでした。 |
| 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句に集約されます。 |
| キリストの十字架の愛によって、律法は全うされました。 |
| キリストによって律法はすでに成就しています。 |
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| キリストが新しい道しるべを示してくださっています。 |
| 「隣人を自分のように愛しなさい」 |
| 「愛によって互いに仕えなさい。」 |
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| これを守らないと神様から「良し」と言ってもらえないぞ、救われないぞ、と |
| いうものではありません。 |
| キリストの愛によって自由を得ている者が生きていく道しるべです。 |
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| ●愛するということ |
| 「隣人を自分のように愛しなさい」とは、どうすることでしょうか。 |
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| 新共同訳の前の口語訳では「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」と |
| 訳されていました。 |
| それで、自分を愛している自分がいて、その自分が相手を同じ愛で愛する、と |
| いう風に思っているかもしれません。 |
| けれどそうではないのです。 |
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| 「隣人を自分のように愛しなさい」ということは、自分がその人になる、とい |
| うことです。 |
| 自分がいて相手がいるのではない、 |
| 自分が相手に対しているのではない、 |
| 自分がその人になるのです。 |
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| その人から見えるものを見る、その人が感じていることを感じる、その人の気 |
| 持を自分の気持ちにする、それが、相手を自分のように愛することです。 |
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| その様にして互いに仕えるのです。 |
| キリストは私達にこのように愛する自由をくださっているのです。 |
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| ●キリストの愛 |
| キリストご自身がこの愛で私達を愛してくださいました。 |
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| フィリピの信徒への手紙です。 |
| 「2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しよう |
| とは思わず、 |
| 2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。 |
| 人間の姿で現れ、 |
| 2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」 |
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| キリストは人になられました。 |
| 人となって、人から見えるものを見、人が感じていることを感じ、人の気持を受け |
| 取ってくださいました。 |
| 全く人となって人が受けなければならない罰を代わって受けてくださったので |
| した。 |
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| ●愛によって互いに仕える |
| 私達は愛することにおいても罪を犯す者です。 |
| 自分中心を取り去ることが出来ません。 |
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| けれどキリストが愛で包んでくださっているのですから、私達もキリストの愛 |
| によって互いに仕えていきましょう。 |
| その人から見えるものを見、その人が感じていることを感じ、その人の気持を |
| 自分の気持ちにすることが出来るように努めましょう。 |
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| ●パン種 |
| 私達の中にはすぐにパン種が入り込んできます。 |
| キリストの贖いがあるけれど、やっぱり人の行いも必要なんだ、と思う思い。 |
| もうキリストによって救われたのだから、何をやったって赦される、自分勝手 |
| に生きようとする思い。 |
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| ●神の愛 |
| そんな私達に、今日も神様は、キリストの真理を見させてくださいました。 |
| 「あなたがたが決して別の考えを持つことはないと信頼しているよ」と言って |
| くださっています。 |
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| どこまでもどこまでも私達と一緒の所に立ってくださる神様、決して愛するこ |
| とをやめない神様がおられます。 |
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| ●結語 |
| 今、私達の目の前に、主イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり |
| と示されています。 |
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