<メッセージ> |
●復活の朝 |
イエス様復活の朝です。 |
悲しみが喜びに変わった朝です。 |
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●弟子達の悲しみ |
この時、弟子達は悲しみの中にいました。 |
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あれよあれよという間に、イエス様は捕らえられ、十字架にかけられ死んでし |
まわれたのでした。 |
弟子達は自分達も殺されるのではないかと、こわくてたまりません。 |
とっさにイエス様を捨てて逃げてしまった、なんということをしてしまったのか、 |
と胸がきりきりと痛みます。 |
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ペトロは大祭司の中庭で、3度もイエス様を知らないと言いました。 |
外に出て激しく泣くペトロでした。 |
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●女性達 |
イエス様と弟子達の身の周りの世話をしていた女性達の気持は、弟子達とは |
また違っていたでしょう。 |
愛するかけがえのない者を失った悲しみは深いのです。 |
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あの朝、イエス様のお墓に向かったのは女性達でした。 |
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すると入り口の石が取りのけられていて、イエス様の遺体がなくなっていたの |
です。 |
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知らせを受けたペトロ達はお墓に来てその出来事を確認すると、家に帰ってい |
きました。 |
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でもマリアはお墓を去ることが出来ません。 |
泣き続けていました。 |
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復活のイエス様が呼びかけられます「マリア」。 |
マリアが言います「ラボニ」。 |
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悲しみが喜びに変わった瞬間です。 |
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イエス様は十字架にかかる前に弟子達に言われたのでした。 |
「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」 |
イエス様の言葉が実現しました。 |
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●イエス様の言われたこと |
イエス様は言われたのです。 |
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、 |
わたしを見るようになる。」 |
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同じ言葉が3度も記されています。 |
大切な言葉です。 |
イエス様は、これから起こる十字架と復活を弟子達に告げられたのでした。 |
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しばらくは「ミクロス」という言葉です。 |
「ミクロの世界」と言えば目に見えないほど小さい世界です。 顕微鏡で見ない |
と見えないほどの小ささを表します。 |
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もうミクロの時しか残っていない、次の瞬間に事が起こるのです。 |
弟子達はイエス様を見ることが出来なくなります。 |
弟子達はうろたえ悲しむでしょう。 |
泣いて悲嘆に暮れるでしょう。 |
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その弟子達を支えるためにイエス様は言われるのです。 |
「またしばらくすると、わたしを見るようになる。」 |
「わたしはすぐに来る」と弟子達を励まされます。 |
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「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、 |
あなたがたは心から喜ぶことになる。」 |
と言われます。 |
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そして事実、3日目に、イエス様は復活されたのでした。 |
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●「悲しむ」と「喜ぶ」 |
「悲しむ」と「喜ぶ」は正反対の感情です。 |
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私達は喜んでいられる生活を送りたいです。 |
平穏無事に暮らしたいと願っています。 |
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悲しい事が起こらないでほしいです。 |
泣いて悲嘆に暮れるのは苦しいです。 |
耐えがたいことです。 |
悲しい出来事が自分の身に起こらないようにと、切に願っています。 |
喜んでいられる状況が続くようにと、祈ります。 |
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神様は私達の祈りに応えて幸いをくださいます。 |
そうすると私達は「神様はわたしの祈りを聞いてくださった」「神様はすばらし |
い」と神様を褒め称えるのです。 |
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●悲しみの時 |
けれども生きていれば悲しいことが起こります。 |
涙を流し悲嘆に暮れます。 |
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今、悲しみを抱えてここにいる方もおられるでしょう。 |
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思ってもいなかったことが突然起こってしまった、 |
言いようのない不安が襲ってくる、 |
いつまで続くか分からない暗闇の中で鬱々と暮らしている、 |
そういうことが起こるのです。 |
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今どうしようもなく悲しくてたまらない者に、イエス様は言われます。 |
「あなたは泣いて悲嘆に暮れている。 |
今あなたは悲しんでいるけれど、その悲しみは喜びに変わるのだよ。」 |
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●人は言えない言葉 |
どうしてそんなことが起こり得るでしょうか。 |
悲しみは喜びとは正反対なのです。 |
悲しみが喜びに変わることなどありえないです。 |
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人は悲しんでいる人に「その悲しみは喜びに変わる。」と決して言ってはなり |
ません。 |
信仰から出た言葉であっても、慰める気持で言ったとしても、言われた人にと |
っては冷酷な言葉です。 |
痛んでいる胸を、冷たい手でひっかきまわされる感じです。 |
余計痛いです。 |
「あなたに何が分かるの」と怒りが湧いてきます。 |
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●イエス様だけ |
「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」 |
と言うことが出来るのはイエス様だけです。 |
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人の悲しみを喜びに変えることがお出来になるのはイエス様だけです。 |
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●イエス様は悲しまれる |
イエス様は悲しむお方でした。 |
悲しみ、苦しみ、痛むお方でした。 |
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イエス様は群衆が飼い主のいない羊のように弱り果ててうちひしがれている |
のを見て深く憐れまれました。 |
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病気で苦しんでいる人をほっておけませんでした。ひとり、ひとりを癒されまし |
た。 |
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人々から除け者にされている人達の苦しみを痛まれました。その人達と一緒 |
に食事をされました。 |
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愛するラザロの死に涙を流されました。死の前にどうすることも出来ない人間 |
なのです。 |
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語っても語っても分からない人達に、イエス様はどれほど心を痛められたこと |
でしょうか。 |
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弟子達はイエス様を見捨てました。 |
信頼する者に裏切られ捨てられる悲しみをイエス様は知っておられます。 |
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そして、イエス様は神様にも見捨てられるのです。 |
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」 |
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 |
と叫ばれました。 |
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●私達の痛みを負う |
私達は、わたしの悲しみ、苦しみ、痛みをイエス様に見ることが出来ます。 |
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私達のすべての悲しみをご自分の悲しみとして、イエス様は十字架に死なれ |
ました。 |
そして復活されたのです。 |
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イエス様は新しい命を生むために、産みの苦しみを味わわれました。 |
新しい命を産むためにご自身は十字架に死なれたのでした。 |
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そして復活の命を産み出されました。 |
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●悲しみを喜びに変える |
そのイエス様が |
「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」 |
と言われるのです。 |
「わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その |
の喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。」 |
と言われます。 |
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イエス様は、悲しみを喜びに変えることが出来るお方です。 |
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イエス様だけが、わたしの悲しみを喜びに変えてくださいます。 |
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イエス様がくださる喜びは、ただ嬉しいという喜びではありません。 |
悲しみなしの喜びではありません。 |
悲しみのあとにある喜びです。 |
「悲しみを通り抜けて得る喜びです。 |
悲しみを越えた喜びです。 |
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この喜びは失われることはありません。 |
この喜びは、イエス様が十字架という悲しみの果てに与えてくださった喜び、 |
復活のイエス様がくださる喜びなのです。 |
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死を超えた喜びなのです。 |
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●これからの歩み |
私達は、これからもたくさんの悲しみに遭わなければならないでしょう。 |
不安、恐れ、絶望を味わうことでしょう。 |
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私達は、悲しみに遭いたくないです。 |
苦しいこと、悲しいこと、不安でたまらないこと、その様なことが起こらないでほ |
しいです。 |
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●イエスの名によって願う |
イエス様は言われます。 |
「はっきり言っておく。あなたがたがわたしの名によって何かを父に願うならば、 |
父はお与えになる。 |
16:24 今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。 |
願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」 |
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神様は私達の願いに応えて喜びの出来事を起こしてくださいます。 |
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でもそれだけではありません。 |
悲しみを喜びに変えてくださるのです。 |
イエス様は「わたしの名によって願いなさい」と言われます。 |
大切な事です。 |
イエス様の復活によって、悲しみが瞬く間に喜びに変わったのですから。 |
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私達はこれからはイエス様の名によって祈っていきます。 |
苦しいこと、悲しいこと、不安でたまらないこと、すべてをそのままに祈っていき |
ます。 |
イエス様は私達の気持をそのまま受けとってくださいます。 |
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イエス様は苦しみ悲しみ痛んだお方です。 |
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イエス様は復活されました。 |
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●結語 |
イエス様の声が聞こえます。「今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わた |
しは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びを |
あなたがたから奪い去る者はいない。」 |
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イエス様は、誰も、なにものも奪うことができない喜びで、私達を満たしてくだ |
さっています。 |
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イエス様、ありがとうございます。 |
十字架と復活を感謝します。 |
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