<メッセージ> |
●コップ一杯の水 |
喉がからからに渇いている時に飲むコップ1杯の水。 |
生き返ったような心地がします。 |
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イエス様は言われます。 |
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」 |
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●仮庵の祭 |
1週間続く仮庵の祭が最も盛り上がる終わりの日ことでした。 |
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この1週間、毎朝祭司がシロアムの池に下っていって湧き水を黄金の桶で汲 |
んだのでした。 |
その水を神殿に持って帰り犠牲を献げる祭壇に注ぎます。 |
シロアムの池での儀式、神殿に帰る道々、そして神殿での儀式の間、大勢の |
群衆が喜びの叫びをあげました。 |
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●荒野での渇き |
仮庵の祭りは、エジプトから脱出した民が40年間荒野をさまよったことを覚える |
祭りでした。 |
荒野は、日本のように水の潤った地域ではありません。 |
水が得られずに苦しむことが度々ありました。 |
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喉が渇いてしかたないので、民がモーセに向かって不平を述べたことが、出エ |
ジプト記に記されています。 |
「なぜ、我々をエジプトから導き上ったのか。わたしも子供たちも、家畜までも |
渇きで殺すためなのか。」 |
主はモーセに言われました。「見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に |
立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。」 |
モーセがその通りにすると、水が出たのでした。 |
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そういうわけで、仮庵の祭りは、水が与えられることを願い、水を喜ぶ祭りでも |
あったのです。 |
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●「渇いている人は」 |
そして最終日。 |
祭りは最高潮に達し、人々は興奮し喜びに酔いしれています。 |
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その群衆に向かってイエス様は大声で言われたのでした。 |
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。 |
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川 |
となって流れ出るようになる。」 |
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●イエス様の水 |
イエス様がくださる水、その水は飲んでもまた渇く水ではありません。 |
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私達はすでにシカルの井戸端でのイエス様とサマリアの女のやりとりを読みま |
した。 |
イエス様は女に言われたのでした。 |
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 |
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はそ |
の人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 |
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イエス様は生きた水・永遠の命に至る水をくださるのです。 |
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●祭りのあと |
祭りは大いに盛り上がり興奮の内に終わりました。 |
人々は普段の暮らしに戻っていきます。 |
一時の祭りの喜びは、その後の暮らしを支えたでしょうか。 |
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日本語には「祭りのあと」という言葉があります。 |
祭りのような楽しい時間が終わって、興奮から醒めた虚脱感や寂しさ、静けさを |
あらわすときに用いる慣用句です。 |
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慣用句になるほどに、誰もが「祭りのあと」に寂しさを感じるのです。 |
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●生きた水 |
けれど、イエス様がくださる水は、祭りで注がれた水ではありません。 |
祭りが終われば寂しくなる水ではありません。 |
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イエス様がくださる水を飲んだ人は、内から生きた水が川となって流れ出るよう |
になるのです。 |
イエス様は生きた水です。 |
イエス様は永遠の命です。 |
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●イエスの時に向かって |
祭りの盛り上がりに興奮している人達に、イエス様は大声で言われました。 |
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」 |
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でも、その声はお祭り騒ぎでかき消されたでしょう。 |
わずかな人がイエス様の言葉を聞きました。 |
その人達は、 |
「この人は、本当にあの預言者だ」「この人はメシアだ」と言いました。 |
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それでも時は「イエスの時」・イエス様の十字架に向かって流れていったのでし |
た。 |
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●だれでも |
今日、私達はイエス様の声を聞いています。 |
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」 |
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イエス様は「渇いている人はだれでも」と言われるのです。 |
「だれでも」です。 |
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イエス様はどんな条件もつけられません。 |
良い行いをしている、 |
正しいことをしている、 |
立派な人間、 |
有能な人物、 |
聖書をよく勉強している、 |
熱心な信仰を持っている、 |
そのほか、いかなる条件も求められないのです。 |
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●渇きに気付かない |
それなのに、イエス様のところに行こうとしないのはどうしてでしょうか。 |
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それは、自分が渇いていることに気付かないからです。 |
良い行いをしている、 |
正しいことをしている、 |
立派な人間、 |
有能な人物、 |
聖書を良く勉強している、 |
熱心な信仰を持っている、 |
と思っている人は自分が渇いていることに気付きません。 |
そういうもので満たされている、満足しているのです。 |
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今わたしを満たしているものは、これまでわたしを満たしてきたものは、本当に |
わたしを生かすものであるかを、思い返してみましょう。 |
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それはお祭りの中で味わう満足ではなかったでしょうか。 |
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祭りはいつか終わります。 |
いつかは失われるものによって自分を満たしていたのなら、祭りが終わった時 |
は寂しさ、むなしさが募るばかりです。 |
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祭りが終わった時、渇いている自分に気付くのです。 |
いや、本当はずっといつも心の奥に渇きがあったのです。 |
でもそれに気付かないようにしゃにむに生きて来たのでした。 |
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でも今は分かります。 |
わたしは渇いていることが分かります。 |
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●聞こえる |
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」 |
お祭り騒ぎの中では聞こえなかった声が聞こえてきます。 |
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「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」 |
「おいで」と言ってくださる方がいるのです。 |
生きた水を飲ませてくださる方がおられるのです。 |
この水を飲んだとき、わたしの内から生きた水が川となって流れ出るようにな |
る、と言われるのです。 |
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飲みたいです。 |
私達はイエス様から生きた水をいただきます。 |
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渇きが癒されます。 |
もう渇くことはありません。 |
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イエス様の命の水はあまりにも豊かで、わたしを潤し、わたしからあふれ出して |
川のように流れ出ます。 |
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●エゼキエル |
このあふれ流れる命の水を、私達人類はどんなに長いこと求めてきたことでし |
ょうか。 |
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紀元前587年、エルサレムは陥落し、神殿は焼け落ちました。 |
人々は捕囚となってバビロンに連れて行かれました。 |
エゼキエルは捕囚の民とともにバビロン行った預言者です。 |
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彼は神殿についての幻を見ます。 |
「彼はわたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下 |
から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水 |
は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。」 |
流れの中を渡ると、水はくるぶしまで、 |
その先では膝に達し、さらにその先では腰に達しました。 |
更に行くと、 |
「もはや渡ることのできない川になり、水は増えて、泳がなければ渡ることので |
きない川になった。」 |
とあります。 |
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そして |
「川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非 |
常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川 |
が流れる所では、すべてのものが生き返る。」 |
とあり |
「川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きく |
なり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から |
流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。」 |
とあります。 |
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●神殿 |
私達は去年の5月まで礼拝で旧約聖書を読んできました。 |
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バビロン捕囚を解かれエルサレムに帰還した人々は神殿を再建したことを知 |
っています。 |
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途切れていた神殿での祭儀が行われるようになりました。 |
仮庵の祭りも再び行われるようになりました。 |
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イエス様が地上に生きられた時の神殿は、ヘロデ王がこの神殿を立派にしよう |
と工事をしている途中の神殿です。 |
この神殿を中心に、仮庵の祭りが行われていました。 |
けれど、仮庵の祭りの時に神殿の祭壇に注がれた水は、川とはなりません。 |
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人となられた神イエス・キリストが来られました。 |
もう神殿はいりません。 |
イエス・キリストが永遠の命の水となられ、生きた水が川となって流れるのです。 |
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イエス・キリストは十字架にかかり、ご自分の命を献げて、私達に永遠の命をく |
ださいました。 |
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●聖霊 |
イエス様は十字架を前にして弟子達に言われました。 |
「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがた |
と一緒にいるようにしてくださる。 |
この方は、真理の霊である。」 |
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今私達は聖霊をいただいています。 |
川となって流れ出るほどに、豊かに聖霊をいただいています。 |
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●黙示録 |
イエス様は今も大声で言っておられます。 |
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」 |
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全ての人は渇いているのです。 |
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本当は自分は渇いているのだということに気付かない人達がいます。 |
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けれどすべての人がイエス様のところに来る時が来るのです。 |
すべての人が、イエス様の生きた水・永遠の命をいただく時が来ます。 |
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やがて来るその時のことをヨハネの黙示録は、幻のうちに書き記しています。 |
「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の |
神殿だからである。」 |
「天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川を |
わたしに見せた。 |
川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回 |
実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。」 |
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私達はその時を待ち望みながら今を生きています。 |
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●結語 |
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」 |
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私達は渇いていることに気付きました。 |
イエス様がくださる水を飲みます。 |
生き返った心地がします。 |
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イエス様、ありがとうございます。 |
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