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礼拝メッセージ 2020年 2月 9日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
ヨハネによる福音書 6章41〜51節 「わたしは命のパンである」
〈聖書(新共同訳)〉
6:41 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と
言われたので、イエスのことでつぶやき始め、
6:42 こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父
も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言
うのか。」
6:43 イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。
6:44 わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわ
たしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活
させる。
6:45 預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父か
ら聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。
6:46 父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たので
ある。
6:47 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。
6:48 わたしは命のパンである。
6:49 あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
6:50  しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死な
ない。
6:51 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるなら
ば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすた
  めのわたしの肉のことである。」
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<メッセージ>
●看板20
このあいだの木曜日のことでした。
子供達が学校から帰ってくる時間です。
牧師室にいると、声が聞こえてきました。
「わたしは命のパンである」
『あ!看板読んでる』
「命のパンて何?」
思わず立ち上がって窓から覗くと、高学年の男の子2人が歩いていきました。
 
 この子達の心に何かが残ったはずです。
『「わたしは命のパンである。」不思議な言葉だなあ。』 
 
●つぶやく
「わたしは命のパンである。」
イエス様は「わたしは天から降ってきたパンである」と言われたのです。
『どういうこと?』
そこにいたユダヤ人達がつぶやきはじめました。
「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。ど
うして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」
もっともなことです。
私達もそこにいたら、つぶやくでしょう。
 
●命のパン
するとイエス様は重ねて言われました。
「わたしは命のパンである。
あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。
しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。
わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その
人は永遠に生きる。」
 
●永遠の命
「これを食べる者は死なない」ということは、今生きているこの肉体が、このまま
ずっと生き続けるということではありません。
永遠の命というのは、永遠に神様と一緒にいる、ということです。
●エデンの園の物語
命と死について、創世記は物語というかたちをとって説明しています。
エデンの園の物語です。
人に禁じられていたのは、善悪の知識の木だけでした。
そのほかのすべての木から取って食べることが出来ました。
命の木からも取って食べていたのでしょう。
 
ところが人は、自分も神のようになりたいと思うようになったのです。
禁じられていた善悪の知識の木から取って食べました。
人は神様に背いたのです。
人がまるで神のようになることが、聖書で言う罪です。
神様の信頼、神様の愛を裏切った人間です。
もはや神様と一緒にいることが出来ません。
神様は言われます。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の
木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
それで、人はエデンの園から追い出されたのでした。
人が罪を犯したので、命の木から取って食べることが出来なくなったのです。
もう神様と一緒にいることはできません。
これが死です。
 
●イエス・キリスト
イエス様が人となって私達のところに来てくださったのは、私達を神様のもと
に連れ帰るためでした。
イエス様が私達の罪を贖ってくださいました。
イエス様のおかげで、私達はずっと神様と一緒にいることが出来るようになった
のです。
イエス様によって永遠の命をいただいているのです。
 
●引き離すものはない
もはや肉体の死は、私達を神様から引き離すことが出来ません。
ローマの信徒への手紙8章の言葉です。
「死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるも
のも、
高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの
主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはで
きないのです。」
私達はキリスト・イエスによって永遠に神様と一緒にいます。
イエス様は、天から降って来た生きたパンです。
イエス様を食べることによって永遠に生きるのです。
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●人となられた 
イエス様は、私達人間を神様のところに連れ帰るために、完全に人になられた
のでした。
少しでも人と違うところがあれば、人はイエス様を神様かもしれないと思うでし
ょう。
でもイエス様は全く私達と同じ人になってくださったのです。
ですから、私達もイエス様がわからなくなります。
本当にイエス様は、神様なの?と疑う心が湧いてきます。
あの時のユダヤ人達と同じです。
「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。ど
うして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」
人にしか見えなくなるのです。
 
●つぶやく 
私達も何とよくつぶやくことでしょうか。
イエス様は本当に神様なんだろうか。
人が作りあげたのではないか。
こんな苦しみに会うのは、神様がいないからではないか。
世の中不条理なことばかりだ、神様が信じられない。
神様はわたしを愛していないのではないか。
神様はわたしの祈りを聞いてくださらない・・・等々と
つぶやくのです。
つぶやきは、神様に対する不信から生まれます。
自分の中であれこれ思って、つぶやくのです。
さらに、そのつぶやきを他の人に言います。
「そうだよね」と同意して貰いたいのです。
その様にして互いにつぶやき合うことになります。
 
●つぶやくな
そのような私達に向かって、けさ、イエス様は「つぶやき合うのはやめなさい」と
言われます。
本当に私達人間は弱いです。
神様を信じていても、イエス様を信じていても、つぶやきが出てきます。
そのつぶやきを、自分の中でこね回すことをやめることです。 人につぶやきの
解決を求めないことです。
心に生まれたつぶやきを、神様にぶつけるのです。
神様に訴えるのです。
つぶやいていることを、祈るのです。
 
●引き寄せる
そうすることが出来るのは、神様が私達をイエス様のところに引き寄せてくださ
るからです。
「引き寄せる」という言葉は、舟とか車のような重いものを力一杯引っ張るときに
使われる言葉です。
本当に私達は、とても重たい者だと思います。
自分からは行こうとしない、
自分では行けないのです。
その者を神様が力一杯、引き寄せられるのです。
どんなに力が要ることか。
●介護 
介護のことを思います。
寝ている人の体の向きを変える必要があります。
そうでないと床ずれが出来てしまいます。
寝ている人が、自分でも体の向きを変えようと思えるならば、介助者は楽です。
でもそうでない人を動かすのにはとても力が要ります。
 
●引き寄せてくださる 
私達はイエス様のもとに行こうとしない。
その者を神様が引き寄せられるのです。
私達がイエス様のもとに行けるのは、神様が引き寄せてくださるからです。
今、私達は礼拝に集っています。
イエス様のもとに来ています。
自分で来ていると思っているかもしれません。
けれど実は神様が引き寄せてくださっているのです。
 
●宣言 
礼拝で私達はイエス様の言葉を聞いています。
イエス様は言われます。
「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。」
「アーメン アーメン レゴ− ヒューミン」 です。
「わたしは命のパンである。」
「エゴ− エイミ」です。
イエス様の宣言の言葉です。
 
●終わりの日の復活 
イエス様は十字架でご自分の肉を裂き、私達全ての人々に永遠の命を与えて
くださいました。
そのイエス様を神様は復活させられたのです。
イエス様は終わりの日に私達を復活させてくださいます。
終わりの日というのは、神様が救いを完成させる日です。
その日その時、どういうことが起こるのか、それをまるで見てきたかのように言
うのはやめましょう。
誰も見てはいないのです。
これは約束です。
十字架によって永遠の命をくださったイエス・キリスト、
復活されたイエス・キリストの確かな約束です。
 
●ヨハネの手紙一
ヨハネの手紙一3章にはこのように記されています。
「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるか
は、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となると
いうことを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。」
 
●今すでに
神様が私達をイエス様のもとに引き寄せてくださいました。
私達は、イエス・キリストを信じています。
イエス様は言われます。
「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。」
現在形です。
「永遠の命」とは、神様と一緒にいることでした。
イエス様を信じる時、永遠の命を得ています。
私達は、今すでに神様と一緒にいる、永遠の命の中に居るのです。
その状態が、ずっと続いていくのです。
肉体の死を越えて、続いていきます。
●結語
「わたしは命のパンである。」
私達は命のパンを食べます。
イエス様、生かしてくださってありがとうございます。
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