<メッセージ> |
●看板20 |
このあいだの木曜日のことでした。 |
子供達が学校から帰ってくる時間です。 |
牧師室にいると、声が聞こえてきました。 |
「わたしは命のパンである」 |
『あ!看板読んでる』 |
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「命のパンて何?」 |
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思わず立ち上がって窓から覗くと、高学年の男の子2人が歩いていきました。 |
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この子達の心に何かが残ったはずです。 |
『「わたしは命のパンである。」不思議な言葉だなあ。』 |
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●つぶやく |
「わたしは命のパンである。」 |
イエス様は「わたしは天から降ってきたパンである」と言われたのです。 |
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『どういうこと?』 |
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そこにいたユダヤ人達がつぶやきはじめました。 |
「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。ど |
うして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」 |
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もっともなことです。 |
私達もそこにいたら、つぶやくでしょう。 |
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●命のパン |
するとイエス様は重ねて言われました。 |
「わたしは命のパンである。 |
あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。 |
しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。 |
わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その |
人は永遠に生きる。」 |
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●永遠の命 |
「これを食べる者は死なない」ということは、今生きているこの肉体が、このまま |
ずっと生き続けるということではありません。 |
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永遠の命というのは、永遠に神様と一緒にいる、ということです。 |
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●エデンの園の物語 |
命と死について、創世記は物語というかたちをとって説明しています。 |
エデンの園の物語です。 |
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人に禁じられていたのは、善悪の知識の木だけでした。 |
そのほかのすべての木から取って食べることが出来ました。 |
命の木からも取って食べていたのでしょう。 |
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ところが人は、自分も神のようになりたいと思うようになったのです。 |
禁じられていた善悪の知識の木から取って食べました。 |
人は神様に背いたのです。 |
人がまるで神のようになることが、聖書で言う罪です。 |
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神様の信頼、神様の愛を裏切った人間です。 |
もはや神様と一緒にいることが出来ません。 |
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神様は言われます。 |
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の |
木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」 |
それで、人はエデンの園から追い出されたのでした。 |
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人が罪を犯したので、命の木から取って食べることが出来なくなったのです。 |
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もう神様と一緒にいることはできません。 |
これが死です。 |
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●イエス・キリスト |
イエス様が人となって私達のところに来てくださったのは、私達を神様のもと |
に連れ帰るためでした。 |
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イエス様が私達の罪を贖ってくださいました。 |
イエス様のおかげで、私達はずっと神様と一緒にいることが出来るようになった |
のです。 |
イエス様によって永遠の命をいただいているのです。 |
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●引き離すものはない |
もはや肉体の死は、私達を神様から引き離すことが出来ません。 |
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ローマの信徒への手紙8章の言葉です。 |
「死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるも |
のも、 |
高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの |
主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはで |
きないのです。」 |
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私達はキリスト・イエスによって永遠に神様と一緒にいます。 |
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イエス様は、天から降って来た生きたパンです。 |
イエス様を食べることによって永遠に生きるのです。 |
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●人となられた |
イエス様は、私達人間を神様のところに連れ帰るために、完全に人になられた |
のでした。 |
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少しでも人と違うところがあれば、人はイエス様を神様かもしれないと思うでし |
ょう。 |
でもイエス様は全く私達と同じ人になってくださったのです。 |
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ですから、私達もイエス様がわからなくなります。 |
本当にイエス様は、神様なの?と疑う心が湧いてきます。 |
あの時のユダヤ人達と同じです。 |
「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。ど |
うして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」 |
人にしか見えなくなるのです。 |
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●つぶやく |
私達も何とよくつぶやくことでしょうか。 |
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イエス様は本当に神様なんだろうか。 |
人が作りあげたのではないか。 |
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こんな苦しみに会うのは、神様がいないからではないか。 |
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世の中不条理なことばかりだ、神様が信じられない。 |
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神様はわたしを愛していないのではないか。 |
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神様はわたしの祈りを聞いてくださらない・・・等々と |
つぶやくのです。 |
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つぶやきは、神様に対する不信から生まれます。 |
自分の中であれこれ思って、つぶやくのです。 |
さらに、そのつぶやきを他の人に言います。 |
「そうだよね」と同意して貰いたいのです。 |
その様にして互いにつぶやき合うことになります。 |
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●つぶやくな |
そのような私達に向かって、けさ、イエス様は「つぶやき合うのはやめなさい」と |
言われます。 |
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本当に私達人間は弱いです。 |
神様を信じていても、イエス様を信じていても、つぶやきが出てきます。 |
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そのつぶやきを、自分の中でこね回すことをやめることです。 人につぶやきの |
解決を求めないことです。 |
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心に生まれたつぶやきを、神様にぶつけるのです。 |
神様に訴えるのです。 |
つぶやいていることを、祈るのです。 |
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●引き寄せる |
そうすることが出来るのは、神様が私達をイエス様のところに引き寄せてくださ |
るからです。 |
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「引き寄せる」という言葉は、舟とか車のような重いものを力一杯引っ張るときに |
使われる言葉です。 |
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本当に私達は、とても重たい者だと思います。 |
自分からは行こうとしない、 |
自分では行けないのです。 |
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その者を神様が力一杯、引き寄せられるのです。 |
どんなに力が要ることか。 |
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●介護 |
介護のことを思います。 |
寝ている人の体の向きを変える必要があります。 |
そうでないと床ずれが出来てしまいます。 |
寝ている人が、自分でも体の向きを変えようと思えるならば、介助者は楽です。 |
でもそうでない人を動かすのにはとても力が要ります。 |
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●引き寄せてくださる |
私達はイエス様のもとに行こうとしない。 |
その者を神様が引き寄せられるのです。 |
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私達がイエス様のもとに行けるのは、神様が引き寄せてくださるからです。 |
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今、私達は礼拝に集っています。 |
イエス様のもとに来ています。 |
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自分で来ていると思っているかもしれません。 |
けれど実は神様が引き寄せてくださっているのです。 |
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●宣言 |
礼拝で私達はイエス様の言葉を聞いています。 |
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イエス様は言われます。 |
「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。」 |
「アーメン アーメン レゴ− ヒューミン」 です。 |
「わたしは命のパンである。」 |
「エゴ− エイミ」です。 |
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イエス様の宣言の言葉です。 |
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●終わりの日の復活 |
イエス様は十字架でご自分の肉を裂き、私達全ての人々に永遠の命を与えて |
くださいました。 |
そのイエス様を神様は復活させられたのです。 |
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イエス様は終わりの日に私達を復活させてくださいます。 |
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終わりの日というのは、神様が救いを完成させる日です。 |
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その日その時、どういうことが起こるのか、それをまるで見てきたかのように言 |
うのはやめましょう。 |
誰も見てはいないのです。 |
これは約束です。 |
十字架によって永遠の命をくださったイエス・キリスト、 |
復活されたイエス・キリストの確かな約束です。 |
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●ヨハネの手紙一 |
ヨハネの手紙一3章にはこのように記されています。 |
「愛する者たち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるか |
は、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となると |
いうことを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。」 |
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●今すでに |
神様が私達をイエス様のもとに引き寄せてくださいました。 |
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私達は、イエス・キリストを信じています。 |
イエス様は言われます。 |
「はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。」 |
現在形です。 |
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「永遠の命」とは、神様と一緒にいることでした。 |
イエス様を信じる時、永遠の命を得ています。 |
私達は、今すでに神様と一緒にいる、永遠の命の中に居るのです。 |
その状態が、ずっと続いていくのです。 |
肉体の死を越えて、続いていきます。 |
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●結語 |
「わたしは命のパンである。」 |
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私達は命のパンを食べます。 |
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イエス様、生かしてくださってありがとうございます。 |
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