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礼拝メッセージ 2020年 12月 20日 クリスマス礼拝
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
ルカによる福音書 1章47〜55節 「救い主を喜びたたえます」
〈聖書(新共同訳)〉
1:47 「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたた
えます。
1:48 身分の低い、この主のはしためにも、目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう、
1:49 力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、
1:50 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
1:51 主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
1:53 飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
1:54 その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対し
てとこしえに。」
<メッセージ>
●クリスマス礼拝
今日はクリスマス礼拝です。 
救い主イエス・キリストの御誕生を喜びたたえる礼拝です。
●マリアの賛歌
今私達はマリアの賛歌を聞いています。
「わたしの魂は主をあがめ」という言葉で始まるこの賛歌は、「マグニフィカート」
と呼ばれています。
「あがめる」という言葉のラテン語訳から来ています。
 
●あがめる
「あがめる」は「大きくする」という意味です。
マリアの魂の中で、主がどんどん大きくなっていきます。
今は、主がマリアの魂全部を占めるほどになっているのです。
●喜びたたえる
「わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
と歌います。
「喜びたたえる」は「小躍りして喜ぶ」ことです。
体一杯の喜び、嬉しくて嬉しくてじっとしていられません。
●そのわけ
どうしてそれほど喜ぶのか。
それは、身分の低い主のはしためであるマリアに、主が目を留めてくださったか
らです。
力ある方が、マリアに偉大なことをしてくださったからです。
●身分の低い主のはしため
マリアは身分の低い、主のはしためでした。
マリヤはガリラヤのナザレに住んでいる年若い、おそらく15歳くらいの女性で
す。
この時代は、女性は人の数に数えられないほどの存在です。
その上ガリラヤ地方は異邦人の住む地域に隣接しているので、人々から低く
見られていました。
社会的な意味でマリアは身分が低い存在でした。
主のはしため
けれども彼女はその様な身分の低さを言っているのではないでしょう。
「主のはしため」と言っています。
マリアは、自分が神様の前にどれほど低い者であるかを知っています。
謙遜とかへりくだりではありません。
謙遜とかへりくだりからは、奥から自分を高くする思いがにおってきます。
そうではないのです。
はしためとは、女奴隷のことです。
自分をはしためと言ってもなおたりない。
神様からは見えないほどの小さいわたし、
無きに等しいわたしです。
 
●目を留めてくださる
そのわたしに主が目を留めてださったとは!
主をあがめずにはいられません。
主を喜びたたえずにはいられません。
●力ある方がしてくださった
主をあがめ喜びたたえるのは、主がわたしに偉大なことをしてくださったからだ、
とマリアは歌います。
メガという言葉が使われています。
主がマリアにされた大きなこと、それは聖霊によって身ごもらせるということで
した。
天使がマリアに告げたのでした。
「その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父
ダビデの王座をくださる。
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
●そのお方は
マリアに目を留めてくださったお方、偉大な業をなさったお方は、どのようなお方
であるかが述べられていきます。
「その御名は尊く、 その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。」
とあります。
●その御名は尊い
その御名は尊いのです。
聖書において名はその名を持つものの本質を表します。
聖書協会共同訳では「その御名は聖であり」と訳しています。
主なる神様は聖なるお方です。
●憐れみ
そのお方は憐れむお方です。
一時憐れむのではありません。ずっと限りなく憐れまれるのです。
「憐れむ」という言葉は、いやな響きを持っているのではないでしょうか。
 
人と人との間では「憐れむ」というと、なにかその人が上に立っている感じがし
ます。
上から見下ろす感じです。
「憐れまれる」と、自分が惨めです。
見下ろされている感じがします。
それで「憐れんでやったんだ」とか「憐れまれたくなんてないわよ」という言葉が
出て来ます。
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●神の憐れみ
神様の憐れみも同じように人を見下げるものでしょうか。
そうではありません。
イエス様は、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれている
のを見て、深く憐れまれました。
「深く憐れむ」という言葉は「内蔵がよじれるほどの痛み」を表します。
神様の憐れみは、ご自身が痛まれる憐れみです。
神様は愛するひとり子を世に送られました。
イエス様を十字架にかけられました。
クリスマスの出来事は、神様が苦しみ悩み、ついに力を振り絞って御子を世に
送る出来事です。
神様は痛まれます。
●神様がなされること
イエス様を世に送ることによって起こされる事柄が述べられていきます。 
「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。」
主は社会改革をされる、と受け取られることが多いです。
思い上がる者、権力ある者、富める者が力を振るい、身分の低い者、貧しい飢
えた人たちを痛めつけているのが、私達の社会です。
思い上がっている者がいなくなる、
地位や身分の格差が無くなる、
飢えている人も富んでいる人もいなくなる社会を、私達は望んでいます。
でもそれだけのことなのでしょうか。
神様は私達一人ひとりの心を問われているのではありませんか。
わたし自身の中に思い上がる者が居座っています。
わたし自身の中に権力を振るっている者が居ます。
自分中心の思い、人の思い、世間の目が権力を振るっています。
わたし自身の中に富める者が居ます。
あれが必要、これが欲しいとかき集めて満足しています。
まだ足りない、もっと欲しいと欲求が益すばかりです。
イエス様は、そんな私達を救うために、人となって世に来られたのです。
●僕イスラエル
マリアの賛歌は、
「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこし
えに。」
という言葉で結ばれます。
「僕」と訳されている言葉は、「幼い子供」という意味もあります。
神様は「幼い我が子イスラエルよ」と思われているのです。
幼い我が子をどこまでもどこまでも受け入れられるのです。
どこまでもどこまでも憐れみを注ぎ続けられるのです。
神様はイスラエルの最初の先祖アブラハムに言われました。
「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、
祝福の源となるように。」
「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」
それから何と長い時間が過ぎていったことでしょうか。
神様の約束に従えない長い歴史が続きます。
それでも神様は、「もうやめた」と放り出すことをなさいませんでした。
憐れみを注ぎ続けられました。
そしてついに、イエス・キリストの出来事を起こされたのです。
マリアから救い主イエス・キリストが生まれられました。
●幸いな者
すべての人々を救うための御計画に用いられたマリアでした。
マリアは
「今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう」
と歌います。
けれども、マリアの生涯は決して幸いな者と呼ばれるようなものではありませ
んでした。
マリアはヨセフと婚約していました。
暖かい穏やかな新生活を夢見ていたことでしょう。
ところが思ってもいなかったことが突然起こったのでした。
身に覚えがないのに子を宿したのです。
聖霊によって身ごもったと言ってもヨセフに信じてもらえません。
ヨセフを苦しめることになりました。
周りの人々の目は冷たく厳しいものでした。
旅先の、馬小屋での出産。
その後は穏やかな年月が流れました。
ところが突然、頼りにしていた長男イエスが家を出てしまったのです。
そして十字架にかけられ死んでしまいました。
我が子を失った母の悲しみ。
やがてマリアはイエス様が復活されたことを知ります。
聖書は、マリアがイエス様を信じる人達の群に加わったことを告げます。
たくさんの困難や苦しみ悲しみの中で、賛美が生まれるのです。
マリアは歌います。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
 
●私達も憐れみの中にいる
イエス様のお誕生によって神様の憐れみが現されました。
神様の憐れみは今も続いています。
私達を包み込んで続いていきます。
神様は全ての人々を受け入れ続けてくださるのです。
私達は神様からは見えないのではないかと思うほどの小さい小さい存在です。
そんな私達にも神様は目を留めてくださっているのです。
わたし、あなた、ひとりひとりに目を留めてくださっているのです。
ご自分の命に代えてまで救う愛で愛してくださっているのです。
●今年のクリスマス
今年のクリスマス。
私達もイエス様を喜びたたえましょう。
今年のクリスマスは、言いようのない不安の中で迎えるクリスマスです。
私達はいつ終わるか分からない暗闇の中に居ます。
そうであるからこそ、これまで見えなかったものが見えるようになったのです。
クリスマスの本質が見えるようになりました。
神様がイエス様をこの世に生まれさせることは、暗闇の中にイエス様を追いや
る事でありました。
今私達が感じているよりももっともっと深い底知れない暗闇です。
その闇の中にあえてイエス様を送られたのでした。
 
どれほどの痛みを持って神様はイエス様をこの世に送られたことか。
 
●光を見つめて
イエス様は闇の中の光です。
 
今、私達はそれぞれが抱えている暗闇の中に差し込んでくる光を見つめてい
ます。
 
私達も歌い始めます。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」
イエス様は来てくださいました。
今、私達と共に居てくださいます。
私達はこれからも歌い続けます。
私達はどんな状況になっても歌い続けます。
 
●結語
イエス様が居てくださるのです。
深い深い喜びが、静かに私達を包んでいます。
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