| <メッセージ> |
| ●主イエスの怒り |
| イエス様は縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をま |
| き散らし、その台を倒し、「このような物はここから運び出せ。」と怒鳴られました。 |
| イエス様の激しい怒りは、他の誰かにではない、私達に向けられているというこ |
| とに気付いてください。 |
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| ●礼拝に必要なもの |
| イエス様はエルサレムの神殿に入られました。 |
| そして神殿の境内で、牛や羊や鳩を売っている者たち、両替をしている者たち |
| を御覧になったのです。 |
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| この人たちは、神殿で礼拝するのに必要なものをあつかっていたのでした。 |
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| 人々は自分が犯した罪を身代わりに負ってもらうために、動物を犠牲として献 |
| げていました。 |
| 人の罪を負うのですから、その動物は傷がないものでなければなりません。 |
| 祭司達がいちいち調べます。 |
| もし傷があれば家に帰って別のものを用意しなければなりまん。 |
| 神殿の売店で検査済みのものを買った方が安全です。 |
| また遠くから神殿に礼拝に来る人達は牛や羊を連れてくることが出来ませんか |
| ら、売店で買うことになります。 |
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| また神殿に納める献金は普段の生活では使われていないシュケルという貨幣 |
| でなければなりませんでした。 |
| ですから両替が必要なのです。 |
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| ●壊す |
| 礼拝のために必要だからと、人々が備えていったものを、イエス様は暴力を使っ |
| て壊されます、追い出されます。 |
| ものすごい剣幕です。 |
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| ●ユダヤ人の怒り |
| ユダヤ人達は怒ります。 |
| 神殿は自分達が一番大切にしている場所です。 |
| その場所が踏みにじられたのです。 |
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| 彼らはイエス様に食ってかかります。 |
| 「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつも |
| りか」 |
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| イエス様は言われます、 |
| 「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」 |
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| そんなことは出来るわけがありません。 |
| 「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すの |
| か」とユダヤ人たちは、言いました。 |
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| ●神殿 |
| 神殿はユダヤ人たちの信仰の中心です。 |
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| 最初にエルサレムに神殿を建てたのはソロモン王です。 |
| 奴隷であったエジプトの地から脱出したあと、民は40年にわたって荒野をさま |
| よい歩きました |
| そしてついにカナンの地に定着したのです。 |
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| 国が出来、王様が立てられました。 |
| 神様はダビデ王が神殿を建てることを許しませんでした。 |
| 戦争でたくさんの血を流していたからです。 |
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| その子ソロモンが神殿を建てました。 |
| 紀元前960年頃のことです。 |
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| ソロモン以後国は二つに分かれてしまいました。 |
| 北イスラエル国はアッシリアによって滅ぼされ、南ユダ国もバビロニアによって |
| 滅ぼされます。 |
| エルサレムが陥落したのは紀元前587年、この時神殿も破壊されました。 |
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| バビロン捕囚の50年が過ぎ、エルサレムに帰還した民は、神殿を再建しました。 |
| 紀元前515年のことです。 |
| この神殿を第2神殿と呼びます。 |
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| 500年近くの時が流れたのち、ヘロデ王が第2神殿を修理し、立派な神殿へと |
| 造り替えました。 |
| 工事は紀元前19年に始まり、 |
| イエス様の時代にもまだ工事が続いていました。 |
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| 今日の箇所でユダヤ人たちは「この神殿は建てるのに四十六年もかかった」と |
| 言っています。 |
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| ヘロデ王の死後も工事は続き、紀元64年に神殿は完成しました。 |
| 83年かかったことになります。 |
| しかしそれからわずか6年後に、神殿は破壊されたのです。 |
| 紀元70年にローマ帝国がエルサレムを占領、神殿は炎上しました。 |
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| 以後今日に至るまで、神殿は存在しません。 |
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| どんなに立派な神殿であっても、どんなに時間をかけて造った神殿であっても、 |
| 人が造った神殿は壊れます。 |
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| 今はイエス・キリストが神殿です。 |
| この神殿は壊れることがありません。 |
| 死者の中から復活されたキリストが神殿だからです。 |
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| ●礼拝そのものの否定 |
| イエス様が神殿でなさったことは、部分的な間違いを正すことではありません |
| でした。 |
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| 神殿で行なわれている礼拝、牛や羊や鳩や両替を必要とする礼拝そのものを |
| 否定されたのです。 |
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| イエス様が来られました。 |
| もはや人の罪の身代わりとして動物の犠牲を献げる必要はありません。 |
| 動物の犠牲を献げても、それで人間の罪がぬぐい去れるものでもありません。 |
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| イエス様が、世の罪を取り除く神の小羊となられるのです。 |
| すべての人のすべての罪を負って贖ってくださるのです。 |
| キリストの贖いは完全です。 |
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| もう動物の犠牲は必要ありません。 |
| それを献げるための神殿も必要ありません。 |
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| ●シカルの井戸辺にて |
| シカルの井戸辺で休まれているイエス様に、サマリアの女が言いました。 |
| 「わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所 |
| はエルサレムにあると言っています。」 |
| イエス様が言われました。 |
| 「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない |
| 所で、父を礼拝する時が来る。」 |
| 「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今が |
| その時である。」 |
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| 「この山でもエルサレムでもない所」キリストがおられるところが礼拝する所です。 |
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| ここにキリストがおられます。 |
| ここは礼拝をする所です。 |
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| 一人ひとりの生活の場にキリストがおられます。 |
| 私達は暮らしの中でも礼拝することが出来ます。 |
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| ●共観福音書との違い |
| ところで、今日の箇所に記されている出来事は、共観福音書マタイ・マルコ・ル |
| カでは、イエス様が十字架の待つエルサレムに入られた時の出来事として記 |
| されています。 |
| ところがヨハネによる福音書ではイエス様が働きを始められた初めの頃のこと |
| として書かれているのです。 |
| おかしいと,思う方もおられるかもしれません。 |
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| ヨハネによる福音書の書き方には共観福音書とは違った特徴があります。 |
| 今日の箇所にその特徴が良く現れています。 |
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| 21節以下に |
| 「イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。 |
| イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを |
| 思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」 |
| とあります。 |
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| イエス様が神殿でなさったことの記述の中に、その時のことではなく、イエス様 |
| が十字架に死なれ復活された後になって弟子達がわかった事が記されている |
| のです。 |
| ヨハネの福音書を書いている教会の「時」が入り込んでいるのです。 |
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| イエス様はこういうことをされた。 |
| その時弟子達もよく分からなかった。 |
| でも今は分かる。 |
| イエス様がおっしゃった神殿は自分の体のことだったのだ、と分かった。 |
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| のちになってわかったイエス様の出来事の意味が記されています。 |
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| ●十字架と復活 |
| ヨハネによる福音書は最初からイエス様のことを「世の罪を取り除く神の小羊だ」 |
| と言ってしまうのです。 |
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| そのイエス様が復活されたのだ、ということを最初に言ってしまうのです。 |
| そのために今日の出来事が記され「この神殿を壊してみよ。三日で立て直して |
| みせる」と言われたイエス様の言葉が記されます。 |
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| ●私達の時 |
| 私達は、「今」という時の中で聖書を読んでいます。 |
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| 今、私達は、イエス様が世の罪を取り除く神の小羊となって、私達のすべての |
| 罪を負って死んでくださったことを知っています。 |
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| もう動物の犠牲を献げる必要はありません。 |
| 犠牲を献げるための神殿も必要ありません。 |
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| かつての神殿は、すでにイエス様が壊されました。 |
| 今はイエス様が神殿です。 |
| 復活のキリストだけがおられます。 |
| 私達が礼拝するのは,イエス・キリストのみです。 |
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| ●怒っておられる |
| ところが、けさイエス様は、私達に怒りをぶつけられるのです。 |
| 「礼拝に何を持ち込んでいるのか。 |
| 信仰に何を持ち込んでいるのか。 |
| そんなものは壊してしまえ、捨ててしまえ」 |
| と言われています。 |
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| 私達は本当にキリストのみに向かって礼拝を献げているだろうか、 |
| 礼拝をするためにはこういうものが必要だ、と色々なものを持ち込んでいるので |
| はないか。 |
| そういうものに気を取られて、よそ見をしているのではないか。 |
| 本質的なものを見失い、周辺的な事柄に気をとられているのではないか。 |
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| そういうものに慣れ親しんで、キリストを見ていないことに気付かないでいるの |
| です。 |
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| ●信仰に |
| 私達は信仰の中に、この世の価値観を入れているのではないか。 |
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| 競争原理、効率主義が信仰に入り込むのです。 |
| 人が中心に居座ります。 |
| 人と比べる、競争する、優劣をつける、 |
| 数字がものをいうようになります。 |
| 数字が大きいことが良いことになります。 |
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| そのようにして、私達はすぐにキリストを見失うのです。 |
| それなのにそのことに気付かないほど、諸々の価値観の中にどっぷりと浸かっ |
| ているのです。 |
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| ●壊していただく必要がある |
| イエス様は怒られます。 |
| 私達の中に入り込んでいる諸々のものをぶち壊し放り出されます。 |
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| 私達はそうしていただく必要があります。 |
| 自分では壊せないからです、捨てられないからです。 |
| 気付いてさえいないのですから。 |
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| ●怒りは愛 |
| イエス様の怒りは、愛です。 |
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| 愛がない人は怒りません。 |
| その人がどうなってもかまわないのですから。 |
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| 一人も滅びてはならないのです。 |
| すべての人が神様のもとに帰ってほしいのです。 |
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| イエス様は、捨てることが出来ない人の罪、過ちをご自身で負われました。 |
| 十字架にかかって罪を贖われました。 |
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| ●結語 |
| 神殿は壊されました。 |
| そして新しい神殿が建てられました。 |
| イエス様は復活されたのです。 |
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| 私達は、キリストだけを見て礼拝を献げます。 |
| 復活のイエス様が御手を広げて、私達を迎え入れてくださいます。 |
| 十字架と復活の愛で包み込んでくださいます。 |
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