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礼拝メッセージ 2019年 2月10日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
ローマの信徒への手紙13章8〜10節「返しきれない愛をいただいて」
〈聖書(新共同訳)〉
13:8 互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりませ
ん。人を愛する者は、律法を全うしているのです。
13:9 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」、そのほかどんな掟があっ
ても、「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約されます。
13:10 愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。
<メッセージ>
●互いに愛し合う
互いに愛し合うことは、すべての人が願っていることです。
誰でも、互いに愛し合うことがどんなに暖かいものであるか、心休まることであ
るかを知っています。
それにもかかわらず、聖書は繰り返し繰り返し「互いに愛し合いなさい」と言いま
す。
知っているのに、わかっているのに、なぜ繰り返し繰り返し言うのでしょうか。
 
それは互いに愛し合えない私達だからです。
 
●掟はいらない
愛することができたら、掟は必要ではありません。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」
などと言われなくても、姦淫しません、殺しません、盗みません、むさぼりません。
愛することによって、自然に意識せずに、律法を全うしているのです。
すべての人々がすべての人々を愛することができるならば、戦争は起らないで
しょう。
餓えて死んでいく人がいるのに、一方では食物を捨てているという事は起らな
いでしょう。
住むところがなく寒さに震え食べるものもない人達に、こっちに来るな、と言うこ
ともないでしょう。
●律法によって
でも私達は、限られた人達を愛することはできても、すべての人々を愛すること
はできないのです。
それで、すべての人々が共に生きていくことができるようにと、律法が定められ
たのでした。
律法の規定があることによって理性が働きます。
姦淫してはいけない、殺してはいけない、盗んではいけない、むさぼってはいけ
ない、と自分を戒めるのです。
そうすることによって社会の秩序が守られ、多くの人達が生きていくことができ
ます。
たくさんの律法
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな」
はモーセの十戒にある掟です。
十戒をもとに、さらに細かい規定が作られていきました。
今、憲法をもとにたくさんの法律が作られているのと同じです。
実にたくさんの掟があるけれども、すべての掟は「隣人を自分のように愛しなさ
い」という言葉に要約されると、パウロは述べています。
 
●イエスの言葉
これはイエス様も言われていることです。
イエス様は律法の専門家から
「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」
と質問されて言われました。
「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。『隣
人を自分のように愛しなさい。』」
『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
は申命記に繰り返し強調されている掟です。
『隣人を自分のように愛しなさい。』
はレビ記に記されている言葉です。
イエス様はこの二つを、重要な戒めとして一つにくくられたのでした。
●自分のように愛する
そうか、隣人を自分のように愛せば、ほかの山ほどある掟を守ったことになる
のか、
たくさんの掟を守るのは大変だけれど、一つならできそうだ、と思うでしょうか。
隣人を自分のように愛するということは、わたしがいて、その人がいて、わたし
がその人を自分のように愛するのではありません。
わたしがその人そのものになることです。
その人の目で見、その人の頭で考え、その人の心で感じることです。
そうしたいです。
けれどもそうしようとすればするほど、そうできないことがわかってきます。
どこまでいってもわたしは他者なのです。
●たとえ話
イエス様は『隣人を自分のように愛しなさい。』ということについてたとえ話をさ
れました。
「ある人が追いはぎに襲われ、半殺しになって倒れていた。
祭司がその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行っ
た。
ところが、サマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、介抱した。」
というお話です。
ああ、善きサマリヤ人のたとえ話ね、と思う方も多いでしょう。
イエス様が「行って、あなたも同じようにしなさい。」と言われたことも知ってい
ます。
そして
「わたしもそうしなければ」と思ったのです。
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●しているか?
では今そうしていますか。
私達は道の向こう側を通る人なのではありませんか。
祭司やレビ人は自分の都合があったのです。
大切な仕事があったのです。 
祭司やレビ人のように、自分の都合を優先する私達ではありませんか。
大切な仕事をする方が先なのではありませんか。
サマリア人にとって、倒れている人は自分達を馬鹿にし、口をきくこともしない
ユダヤ人です。
私達は、憎むべき相手、自分を傷つけ、痛めつける人を避けたいのではありま
せんか。
いや、わたしは人に親切にしている。
こういうことをして人を助けている。
こういうこともしてきた、と思っていますか。
でも、善いことをすることによって、自分を満足させているのではありませんか。
私達は自分を捨てることができません。
どこまで行っても自分が中心なのです。
人を自分のように愛するのではなく、
人を自分のために愛しています。
 
●イエス様だけ
イエス様だけです。
イエス様は神の身分を捨てて人となられました。
自分を捨てて人を救ってくださいました。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
といわれたイエス様は
「あなたがたはわたしの友である。」
と言ってくださっています。
事実、イエス様は私達すべての人のためにご自分の命を捨ててくださったので
した。
先ほど交読文で読みました。(ヨハネの手紙一4:9〜11)
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生き
るようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪
を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
私達は神様から一方的に愛をいただいているのです。
「愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたち
も互いに愛し合うべきです。」
と続きます。
神様から一方的に愛をいただいている私達なのだから、私達も互いに愛し合い
ましょうね、と言っています。
 
●互いに愛し合う
互いに愛し合うってどういうことでしょうか。
今日私達は「あれ?」と思う言葉を聞きました。
「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。」
という言葉です。
互いに愛し合うことにおいては借りがあっていい、ということになりませんか。
●義務・借り
「だれに対しても借りがあってはなりません。」という文章は、原文のギリシャ語
では「誰に対しても」「どんなことでも」借りがあってはならない、と、とても強い
表現です。
この文章の前には
「すべての人々に対して自分の義務を果たしなさい。貢を納めるべき人には貢
を納め、税を納めるべき人には税を納め、恐るべき人は恐れ、敬うべき人は敬
いなさい。」
とあります。
「借り」と「義務」は同じ意味あいを持っている言葉です。
借りがある、ということは義務を果たしていないということです。
義務を果たすということは、借りを返すということです。
すべての人に対して、すべての事柄について義務を果たすということは、当然
そうすべきこととして、誰もが認めるところでしょう。
借りがあるならば、それを返すということは当然しなければならないことです。
誰に対しても、どんなことについても借りがあってはならないのです。
●律法を全うする
ところが「互いに愛し合うこと」はそうではない、と書かれているのです。
日本語には訳されていませんが「なぜならば」と書かれています。
「なぜなら、他の人を愛する人は、律法をもう全うしている(完了形)からです。」
と書かれています。
律法の世界は義務の世界です。
他の人を愛するということは、義務とか借りとかいうことを越えていると言ってい
るのです。
●義務の愛
義務を含んだ愛し方があります。
「ねばならない」「べきだ」という愛し方です。
この愛し方は、相手に要求する愛し方です。
「わたしが愛したのだから、あなたもわたしを愛すべきだ。」
「わたしがこんなに愛しているのに、あなたはわたしの愛にこたえてくれない。」
愛の見返りを求めるのです。
人を縛る愛し方があります。
その人はわたしの愛から外れてはならないのです。
その人をわたしの愛の中に縛り付けます。
 
●貸しっぱなし、借りっぱなし
愛するということはそういうことではありません。
愛するということは、貸しっぱなしにすることです。
愛されるということは、借りっぱなしになることです。
 
●イエス・キリストの愛
イエス様はご自身を贈り物として私達にくださいました。
「この罪はもう償わなくてよい」と言ってくださいました。
イエス・キリストの愛。
イエス様は貸しっぱなしです。
私達は借りっぱなしです。
 
●結語
イエス様の愛を借りっぱなしのわたしから、イエス様の愛が溢れていきますよう
に。
互いに愛し合う愛に−
お互い貸しっぱなし、お互い借りっぱなしの愛になりますように。
イエス様、愛をありがとうございます。
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