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礼拝メッセージ 2019年 11月10日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
ヨハネによる福音書 4章31節〜38節 「種蒔く人も刈る人も」
〈聖書(新共同訳)〉
4:31 その間に、弟子たちが「ラビ、食事をどうぞ」と勧めると、
4:32 イエスは、「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。
4:33 弟子たちは、「だれかが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
4:34 イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方
の御心を行い、その業を成し遂げることである。
4:35 あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではない
か。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れ
を待っている。既に、
4:36 刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、
種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。
4:37  そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおり
になる。
4:38 あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたし
はあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦
  の実りにあずかっている。」
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<メッセージ>
●復習
旅に疲れ渇いておられるイエス様と、人目を恐れながらも生きるために水を汲
み続けなければならない女が,サマリアの井戸端で出会いました。
女の人はイエス様に言いました。
「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が
来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」
イエス様は言われます。
「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」
 
●水がめを置いて
女の人はイエス様のことを人々に知らせるために、町に走って行きました。
水がめを井戸端に置いたままです。
 
井戸端に置いていかれた水がめは、彼女がイエス様から渇かない水を得たこと
を物語っています。
置いていかれた水がめは、彼女が戻ってくることを告げています。
町に帰って人々に呼びかけて、人々がイエス様のところに来るまでに、かなり
の時間がかかることでしょう。
水がめは、その間にイエス様が井戸の水を飲み、弟子達が買ってきた食べ物
を食べられたのではないか、と思わせてくれます。
 
●食するイエス様
弟子達がせっかく買ってきてくれた食物を、イエス様が
「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」
と言って拒絶なさったとは思えません。
弟子達だってお腹がすいているのです。
イエス様が食べなければ、弟子達も食べるわけにはいきません。
イエス様はいつだって人々と楽しそうに食事をされるのです。
イエス様は弟子達と一緒に食べながら、話をされたのではないかと思います。
「わたしにはあなたたちの知らない食べ物があるんだよ。それはね〜」と。
●御心を成し遂げるために
何気なく話しておられると思える言葉の中に、イエス様の深い思いがあります。
「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成
し遂げることなんだよ。」
イエス様は、御自分を生かしているものは何かを話されているのです。
イエス様は、イエス様をお遣わしになった方―神様の御心を成し遂げるために
生きておられるのでした。
イエス様は十字架上で最後に「成し遂げられた」と言われて息を引き取られまし
た。
イエス様がすべての人のすべての罪を負って贖いとなること、そのことによって、
人々が神様のもとに帰っていくことが出来るようになることが、神様の御心でし
た。
イエス様は十字架において、神様の御心を成し遂げられたのです。
イエス様の地上でのすべての時は、十字架に向かう時です。
この時も、十字架に向かう時を生きておられました。
 
●畑
そしてイエス様は弟子達に言われます。
「目を上げて畑を見てごらん。」
もう食事が終わったのかもしれません。
ほっと一息ついて辺りを見まわすと、畑に麦がたわわに実って黄金色に輝いて
います。
 
それをご覧になったイエス様が弟子達に話し始められました。
 
●刈り入れの時
「今はすでに刈り入れの時なのだよ」
と言われます。
植物のみのりのことではありません。
永遠の命に至る実のことです。
今まさに、永遠の命の実を収穫する時が来ているです。
弟子達には今がそういう時であることがよくわからなかったでしょう。
種を蒔いてから、実を収穫するまでには時間がかかります。
弟子達にとって、今の時は、実がなるのを待っている時のように感じられていた
のでしょう。
その弟子達に、イエス様は、「今は刈り入れの時だ」と言われるのです。
イエス様が来られたからです。
イエス様が神様の御心を成し遂げて永遠の命の実となられるのです。
ですから、今はみのりの時、刈り入れの時なのです。
●旧約の人々
これまで旧約の人々、旧約の預言者達が神の言葉を蒔いてきました。
メシアを待ち望みながら、御言葉の種を蒔き続けました。
イザヤ書の言葉は彼らを支える力でした。
「55:10 雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それ
は大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には
糧を与える。
55:11 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしの
もとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必
ず果たす。」
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●キリストが来られた
そしてついにイエス・キリストが来られました。
「それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」
と言われていたように、イエス様は遣わされた方の御心を行い、その業を成し
遂げられるのです。
実りの時が来ています。
イエス様の弟子達は永遠の命に至る実を刈り取るのです。
「あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあ
なたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあず
かっている。」
とイエス様は言われます。
●種を蒔く
のちに、イエス様の弟子達、そして彼らに続く弟子達は種を蒔く人になりました。
イエス・キリストの福音の種が蒔き続けられました。
その働きが使徒言行録に記されています。
コリントで福音を語るパウロに、ある夜、主が幻の中で言われました。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。
18:10 わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者は
ない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
パウロは、弟子のテモテに送った手紙に、こう記しています。
「4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、
励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」
これらの言葉は、蒔いても蒔いてもみのりを得られない、自分のしていることは
徒労なのではないか、自分がだめだからみのりを得られないのではないか、と
辛い思いになっている人を励まします。
苦しみに耐えて、種は蒔き続けられました。
時を経て実が実りました。
みのった実は刈り取られて、次に蒔く種になっていきました。 
 
●蒔く人、刈り取る人
種を蒔く人がいます。
刈り取る人がいます。
自分の蒔いた種が実を結ぶのを見ることが出来なかった人達がたくさんいたで
しょう。
けれど、その人達も、いつか必ず実を結ぶと信じ、種を蒔きながら刈り取る喜び
を味わっていたのです。
労せずに刈り取る人達もいたでしょう。
その人達は、多くの労苦を重ねた人達のことを思います。
感謝が溢れます。
種を蒔いた人達と共に、刈り入れを喜ぶのです。
●今日に至るまで
このようにして、今日に至るまで種が蒔き続けられ、みのった実が刈り取られ続
けてきたのでした。
そのおかげで私達にも福音の種が蒔かれました。
その種は芽を出し成長ました。
私達はキリストを信じる者となりました。
永遠の命に至る実をいただきました。
 
●種を蒔く
そして、私達は、種蒔く人にしていただいています。
私達は福音の種を蒔きます。
御言葉の種を蒔きます。
私達は、種を蒔くことに徹していきたいです。
みのりを得ることが教会の目標になってはなりません。
成果を求める時、教会は病んでいきます。
多くの実りが得られると、自分を誇るようになります。
傲慢になります。
神様よりも自分達の力に頼るようになるのです。
神様に目を向けることをせず、自分達のやり方を問題にします。
反対に、みのりを得られないと、がっかりします。
やり方が悪いからだ、と思います。
自分達には力がない、と自分を責めます。
あの人のやり方が悪いと、人を責めたりもします。
自分達はだめなのだと、希望を失い、力を失ってしまうのです。
自分達ばかりを見て、神様を見ません。
神様に期待しなくなるのです。
 
●種の命
私達は種まきに徹していきたいです。
種には命があるのです。
私達が蒔く種には、永遠の命、キリストの命があるのです。
私達がどんなにがんばっても、命を創り出すことはできません。
種自身に命があるのです。
種自身が実を結ぶのです。
私達が実を結ばせるのではありません。
実を結ばせてくださるのは、神様です。
人には出来ません。
神様だけがお出来になります。
私達は信じます。
蒔いた種は必ず実を結ぶと信じます。
それが神様の約束なのですから。
ですから、私達は種を蒔くことを喜びます。
私達も刈り入れの喜びをいただいています。
 
●みのりの喜び
そして神様は、そうすることが必要だと思われる時に、私達に、蒔いた種が実
を結ぶ喜びを味わわせてくださいます。
ほかの人々が労苦し蒔いてくださった種の実りを、刈り取らせてくださいます。
何と嬉しいことでしょうか。 心から神様に感謝します。
そのことを通して、私達はエネルギーをいただきます。
わたしでなくて良い、誰かが刈り取ってくだされば良い、神様に信頼し、喜んで
種を蒔き続ることができます。
●天に喜びがある
イエス様は迷子になった小羊のたとえ話をしてくださいました。
そして迷子になった小羊が見付かった時「大きな喜びが天にある。」と言われま
した。
みのりの時、まず天に大きな喜びが起こるのです。
種を蒔く人も刈る人も、その喜びに与らせていただくのです。
 
●結語
私達は福音の種を蒔いてきました。
今も蒔いています。
これからも蒔き続けます。
私達は、天の大きな喜びのお裾分けをいただいています。
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