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礼拝メッセージ 2018年 5月13日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
ローマの信徒への手紙 8章18〜25節 「栄光にあずかる希望」
〈聖書(新共同訳)〉
8:18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、
取るに足りないとわたしは思います。
8:19 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
8:20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものでは
なく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っていま
す。
8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たち
の栄光に輝く自由にあずかれるからです。
8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わって
いることを、わたしたちは知っています。
8:23 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子
とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち
望んでいます。
8:24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるも
のに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお
望むでしょうか。
8:25  わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望む
のです。
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<メッセージ>
●主にある希望
私達は「主にある希望」を主題に、この年度を歩み始めました。
主題聖句はローマの信徒の手紙5章です。
1節には
「5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの
主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
5:2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光
にあずかる希望を誇りにしています。」
とあります。
 
●私達は何者か
私達は何者であるかが示されています。
私達は主イエス・キリストによって神様との間に平和を得ている者です。
キリストのおかげで、今の恵みに導き入れられている者です。
キリストによって、です。
何度でも言いましょう。
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっているのです。
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して無償で義とされているのです。
神様は人間に何の条件も求めることなく、一方的にすべての人を救ってくださ
いました。
人が信仰を持つということが、救われるための条件ではありません。
キリストにおいてすでになされた救いを受け入れることが、信仰を持つというこ
とです。
私達は、キリストによる無条件の救いを受け入れました。
私達は神様の恵みの中に置かれています。
今、私達は神の栄光にあずかる希望を持っています。
●先にあるもの
希望は先にあるものです。
今日の箇所の24節には
「8:24 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるも
のに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むで
しょうか。
8:25  わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望む
のです。」
とあります。
将来に希望を持てるということが、今という時を生きている私達の救いとなるの
です。
私達のいただいている希望が、確かな希望であるからです。
主題聖句5章5節には
「5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊
によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」
とあります。
私達がいただいている希望は、神様の愛に根ざしています。
希望を実現してくださるのは神様です。
 
●もうすでに
神様はもうすでに、ことを初めておられます。
御子イエス・キリストをこの地上に送ってくださいました。
すべての人々のすべての罪をキリストによって贖ってくださいました。
 
●神の栄光
神様はキリストにおいて、神の栄光を現されたのです。
神の栄光とは、神様がおられることによって現れるものです。
私達はキリストを見る時、ああ、ここに神様がおられる、とわかります。
キリストを見る時に、神様がどれほど私達人間を愛してくださっているかがわか
ります。
神様はすべての人を救いたい、ご自分のもとに連れ帰りたい、と願っておられる、
ということがわかります。
キリストは、神様がここにおられることの現れです。
キリストは、神の栄光です。
私達はすでにキリストによって神の栄光に入れられています。
 
●将来の栄光
先週の箇所には
「8:15  あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子
とする霊を受けたのです。」
「8:14  神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」
とありました。
私達は神の子としていただいているのです。
私達は霊の初穂をいただいているのです。
みんなより少し先にキリストの救いを知りました。
やがてすべての人々が、キリストの贖いを知り、神の子とされていることを知る
時が来るでしょう。
すべての人々が、神の栄光に入れられるのです。
神様の救いの完成です。
私達はその時に向かって、今を生きています。
キリストによって神の栄光に入れていただきながら、さらに、将来現される神の
栄光にあずかる希望に生きているのです。
 
●苦しみがある 
今この時に生きる私達には、苦しみがあります。
今、被造物すべてが虚無に服しています。
滅びへとつながれています。
被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっているので
す。
自然界が、人間社会が、人間ひとりひとりがうめいています。
 
●自然がうめく
自然がうめいています。
真夏のような暑い日の次の日は震えるほどの寒さになる、
日本でもハワイでも、世界各地でも火山が噴火している、
大地震が起こり、大雨による洪水が起っています。
大気汚染、地球の温暖化、と地球は滅びに向かっているように思えます。
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●人間の罪
こんなになってしまったのは人間のせいです。
神様は天地創造のはじめに言われました。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、
地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
神様は人に、地上のすべてを支配するように命じられました。
支配せよ、というのは自分の好き勝手にしていいということではありません。
すべては神様が良し、とされたものです。
人には神様が良しとされたものを保ち続ける務めが与えられたのです。
けれども人は神のようになりたいと思いました。
神様に背き、自分を神として生き続けました。
人は、自分たち人間が快適な生活をすることを求めて、自然を破壊してきたの
です。
自然は滅びに向かっています。 自然はうめいています。
 
●希望 
 けれども、先に希望があります。
人が罪の隷属から解かれる時、人がキリストの贖いによって神様のもとに立ち
返る時、自然も滅びの隷属から解放され、神の子とされた人々と共に栄光に輝
く自由を得ることが出来るのです。
人が変わることが肝心です。
人が変わる時、すべてが変わります。
自然界も、恐ろしい人間社会も変わります。
 
●人は変わる
人は変わることができます。
イエス・キリストが来てくださっているからです。
キリストは、無条件に罪を赦して、すべての人を神様のもとへと連れ帰ってくだ
さるのです。
●私達もうめく
私達は、キリストを知らない多くの人達の中で、少しだけ早くキリストを知り、キリ
ストを信じる者にさせていただきました。
けれども私達もまた、うめくのです。
わたしは、神の子とされているということを知っています。
でも、神様が「あなたはわたしの愛する子」と言ってくださっているのに、神様に
従えないわたしがいます。
神様を忘れ自分の思いで生きているわたしがいます。
神様に信頼することをせず、世の諸々の言葉や物事に引きずられてしまうわた
しがいます。
神の子となりきれないわたしがいるのです。
どんなに神様にすべてを委ねて安心して生きていきたいことでしょうか。
大変な出来事に出会っても、主にある希望を持って生きていきたいことでしょう
か。
でもそうできない。
わたしは心の中でうめいています。
 
●取るに足りない
このような私達に今日、パウロは告げてくれます。
「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに
足りないとわたしは思います。」
たくさんの苦しみを体験してきたパウロでした。
パウロは書いています。
「11:27  苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食
べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
11:28 このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、
あらゆる教会についての心配事があります。
11:29 だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だ
れかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。」
「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしま
いました。
1:9  わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りに
することなく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。」
「2:1 兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝
えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。
2:2  なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架
につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
2:3 そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不
安でした。
2:4 わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と
力の証明によるものでした。」
苦しみの中で、パウロはキリストを見ています。
キリストにある希望を見つめています。
 
●希望
私達もこの世に生きて、様々な苦しみに出会います。
恐れ、不安、行き詰まりの中にある時、将来私達に現されるはずの栄光を望
み見ましょう。
この希望によって、私達は救われるのです。
24節以下の
「見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれが
なお望むでしょうか。
8:25  わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望む
のです。」
という言葉が別の響きを持って聞こえてきます。
「見えるもの」それは人が作り出す事柄です。
わたしの希望が、そのような人が作り上げる事柄に依り頼む希望なら、それは
わたしの救いになりません。
その希望は実現しないかもしれないのです。
希望にあざむかれるのではないかという不安がいつもつきまといます。
「目に見えないもの」は神様の業です。
神の業は、私達が生きているこの世界では、見えにくいです。
目に見える人間の歴史の中に隠れている神様の救いの歴史、人間の営みの
中に隠れている神様の業に、私達は希望を置きます。
 目に見えるものだけを見ていれば、先に希望を見ることが出来ません。
ますます衰えていく、ますますだめになっていく、と恐れます。
何とかしなければいけないともがきます。
もがけばもがくほど不安が増していきます。
 
けれども私達は目に見えないものを望んでいるのです。
神様のなさることを待ち望んでいるのです。
イエス様は
「人間に出来ることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」
と言われました。
神様は私達にとって最も良いことをしてくださいます。
神様は私達を愛してくださっているのですから。
●結語
現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足
りません。
 
わたしたちは、目に見えないものを望んでいます。
私達は忍耐して待ち望みます。
主を信じます。
主に信頼します。
これから先、どうなっていくのか私達にはわかりませんが、神様のなさることは
完璧です。
すべてを主から受け取っていきます。
主の栄光にあずかる希望によって、今この時、私達は救われています。
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