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礼拝メッセージ 2017年 12月 3日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
ローマの信徒への手紙 5章1節〜11節 「キリストによる希望」
〈聖書(新共同訳)〉
5:1 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたち
の主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、
5:2 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄
光にあずかる希望を誇りにしています。
5:3 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているので
す、苦難は忍耐を、
5:4 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
5:5 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖
霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不
信心な者のために死んでくださった。
5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜
しまない者ならいるかもしれません。
5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちの
ために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示さ
れました。
5:9 それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、
キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
5:10  敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたの
であれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるの
  はなおさらです。
5:11 それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたち
は神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただ
  いたからです。
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<メッセージ>
●希望
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。」
この言葉に、どれほど多くの人達が励まされ助けられてきたことでしょうか。
生きていれば、つらいこと、苦しいことが起こります。
どうすることも出来なくなります。
その時に希望を持つことが出来れば、なお生きていけます。
欺かれることがない確かな希望を持ちたいです。
 
キリストによる希望があります。
この希望は私達を欺くことはありません。
 
●パウロが言ってきたこと
パウロが5章に至るまでに述べてきたことを思い出してみましょう。
パウロは、人は皆、神様に対して罪を犯している、
人は誰一人として自分が良い行いをして、神様から、良し、と言ってもらえない、
イエス・キリストが十字架について罪の贖いをしてくださったことによって、神様
はすべての人を赦してくださった、
ということを、言葉を尽くして語ってきたのでした。
 
●信仰によって義とされる
この神様の赦しの業を受け入れることが、信仰を持つということです。
信仰を持ったとき、神様の赦しの出来事がわたしの出来事となります。
信仰によって義とされた、ということはそういうことです。
信仰によって義とされた者が、どのような恵みの中に生きるかを、パウロは5章
で語っています。
●今
今という時を、私達は生きています。
今、自分に起っている事柄があります。
その事柄に対して何かをします。
今起っている事柄によって、心が軽くなったり重くなったりします。
うれしい、楽しい気持になることもあるし、苦しい、悲しい、つらい気持にもなる
こともあります。
●今の時は
生きている今この時、私達はどのような中に居るのでしょうか。
今日の箇所で注意したいのは、原文のギリシャ語で使われている時称です。
過去形、完了形、現在形、未来形が出てきます。
1節です。
「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリス
トによって神との間に平和を得ており」
とあります。
今現在、私達はキリストによって神様との間に平和を得ているのです。
2節には
「このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、」
とあります。
直訳すると「私達はこの恵みへの接近を持っている、私達が立っているところ
の恵みの中に」となります。
「持つ」は完了形です。
すでに私達はこの恵みに接近している、ということです。
「この恵み」とは何かというと、私達がそこに立っているところの恵みです。
「立っている」も完了形です。
私達はもうすでに恵みの中に立っているその恵みにさらに入って行きつつある
というのです。
 
●未来
そして
「神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」
とあります。
希望というのは先にあるものです。
今はまだ神の栄光にあずかってはいない、でも神の栄光にあずかれるのだと
いう先にある事柄を、今この時誇っている、喜んでいるということです。
すなわち、今この時は、キリストによって神様との平和に入れていただいている、
キリストの恵みに入れていただいている時である、先にある神の栄光を今この
時に得ている、とパウロは教えています。
●苦難
今、私達は信仰を持って、この時を生きています。
神との平和、キリストの恵みの中に生きています。
それなのに、苦難が襲ってくるのです。
私達は神様を信じていれば、苦難を避けることが出来る、良いことが起ると思っ
ています。
そう思うのは人の自然な思いなのでしょう。
多くの人達が、無病息災、家内安全、商売繁盛を願います。
それを御利益信仰だと、冷たく見ることは出来ないでしょう。
私達も、病気になりませんように、元気に暮らせますように、
ものごとがうまくいきますようにと神様に祈っているのではありませんか。
私達が信じるキリストの神様は、そのような祈りに答えてくださいます。
神様が守ってくださっているから、今日一日を無事に生きることができるのです。
でもそれだけの神様だったら、恐ろしいこと、苦しいこと、悲しいこと、困ったこ
とが起こり、どうすればいいかわからなくなった時には、役に立ちません。
神様を信じていたってだめじゃないか、と神様を信じることをやめることになり
ます。
●苦難を誇る
ところがパウロは言うのです、「苦難をも誇りとします。」
どうしてこんな事が言えるのでしょうか。
それは苦難によっても損なわれることのない希望があるからです。
この希望は私達を欺くことがないのです。
希望が実現しなくて失望するということはおこらないのです。
人から実現しないじゃないかと言われて、恥をかくことはないのです。
どうしてそんなことをはっきり言うことが出来るのでしょうか。
それはこの希望がキリストによる希望だからです。
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●キリストによる希望
キリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のた
めに死んでくださったのでした。
わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくだ
さったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されたのです。
こんなことは人はしません。
誰が自分を信じない人のために死にますか。
誰が自分に対して罪を犯す人のために死にますか。
キリストだけです。
わたしが不信心なのに、わたしが罪を犯しているのに、それなのにわたしのた
めに死んでくださるのはキリストだけです。
●神の愛
キリストの十字架は神様の愛です。
神様の愛がキリストによって私達の心の中に注がれています。
ここも完了形です。
もうすでに、私達に与えられている聖霊によって、神様の愛が私達に注がれて
いるのです。
 
●未来の希望 
私達は今すでに、キリストの血によって義とされています。
パウロは言います。
「だからキリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」
未来形が使われています。
すでに義とされているのだから、神の怒りから救われるだろう。
未来についての確信です。
私達がまだ神様と敵対していたときに、キリストの死によって神と和解させてい
ただきました。
パウロは言います。
「だから和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさら
です。」
ここも未来形です。
未来についての確信です。
今すでに、主イエス・キリストによって神様との間に平和をいただいてる、
今すでに、キリストの恵みの中に立っている、
今すでに、神の愛が注がれている、
今すでに神様と和解させていただいている、
キリストのゆえにです。
ですから、希望を持ったけれど、実現しなかった、希望に欺かれたということは
起こらないのです。
●パウロの体験
パウロは言います。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちを欺くことがありません。」
知識として知っているのではありません。
理屈として言っているのではありません。
パウロ自身が体験を通して知ったことです。
パウロはたくさんの苦難に遭いました。
それらは、キリストを信じ、キリストを宣べ伝えたがゆえに味わわなければなら
なかった苦難でした。
パウロは投獄されました。
鞭打たれたて死ぬような目に遭いました。
石を投げつけられました。
船が難破して一昼夜海上に漂ったこともありました。
川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、
海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭いました。
苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、
寒さに凍え、裸でいたこともありました。
教会についての心配事がありました。
こんなに苦しい目に会うのなら信仰を捨てる、と思っても当然でしょう。
けれどパウロは忍耐しました。
忍耐する中で、主に対する信頼が深まっていきました。
主にある希望は損なわれることがないことが、わかるようになりました。
パウロはコリントの信徒達に書き送っています。
「わたしたちは耐えられないほどひどく圧迫されて、生きる望みさえ失ってしま
いました。
わたしたちとしては死の宣告を受けた思いでした。それで、自分を頼りにするこ
となく、死者を復活させてくださる神を頼りにするようになりました。
神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救って
くださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神
に希望をかけています。」
 
●私達
私達もまた、キリストを信じて生きていく中で、自分の体験として、苦難は忍耐を、
忍耐は練達を、練達は希望を生むということを知っていきます。
希望はわたしたちを欺くことがないことを知るのです。
苦難に遭いたくはありません。
けれども物事がうまくいっている時には、人は成長しないことも事実です。
物事をうまく進める能力や技術を身につけることは出来るでしょう。
けれど心は貧しくなるのです。 おごり高ぶります。
傲慢になります。
出来る自分を誇っています。
人の痛みに気付くことはありません。
人の気持に寄り添うことはありません。
苦難に遭って、人は変えられます。
練達します。
練達とは練られた品性を得るという意味です。
うまくやれるようになる、といったような人の能力が練られ高められることを言
うのではありません。
その人の人格、その人の深いところ、本質的なところが養われるのです。
自分が苦難に遭って、苦しんで痛んで、それによって人の痛みや悲しみ苦しみ
に思いを至らせることが出来るようになります。
心に深みが増します。
 
●苦しい時の神頼み
苦難に遭って、もう全く自分ではどうすることも出来なくなった時、人は神に頼る
しかなくなります。
「苦しい時の神頼み」はいけないことではありません。
人生には苦しい事が必ず起こります。
その時、どのような神に頼るかが問題です。
頼る者を欺く神であってはなりません。
私達はキリストをくださった神様を信じています。
この神様は人を欺くことはありません。
●キリストが支えている
私達が苦難の中でなお忍耐できるのは、キリストがおられるからです。
キリストを知らなかったら耐えられずに命を失ってしまうでしょう。 
わたしは耐えられません。
けれどわたしのために命を捨て復活されたイエス・キリストが支えてくださって
います。
苦難の中に居るときはそのことさえわかりません。
苦難を通り過ごした時、初めて気付くのです。
主がわたしと共に苦しんでくださっていた。
主はわたしを救ってくださった。
本当に神様に信頼して大丈夫なのだとわかります。
 
●結語
私達には希望があります。
今すでにキリストの恵みの中に立っているからです。
今すでに、キリストによって神の愛が注がれているからです。
今すでにキリストによって神様と和解させていただいているからです。
私達はキリストにある希望によって、今この時を生かされています。
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