| <メッセージ> | 
          
            | ●のど元過ぎれば | 
          
            | 日本のことわざに「のど元過ぎれば熱さを忘れ」という言葉があります。 | 
          
            | 苦しいことも過ぎてしまえば、その苦しさや恩も簡単に忘れてしまうという意味 | 
          
            | です。 | 
          
            |  | 
          
            | のど元過ぎれば熱さを忘れるのは日本人だけではないようです。 | 
          
            | イスラエルの民もそうでした。 | 
          
            |  | 
          
            | ●ネヘミヤの言葉 | 
          
            | ネヘミヤは言っています。 | 
          
            | 「なんという悪事を働いているのか。安息日を汚しているではないか。 | 
          
            | 13:18 あなたたちの先祖がそのようにしたからこそ、神はわたしたちとこの都 | 
          
            | の上に、あれほどの不幸をもたらされたのではなかったか。あなたたちは安息日 | 
          
            | を汚すことによって、またしてもイスラエルに対する神の怒りを招こうとしている。」 | 
          
            |  | 
          
            | ●エズラの祈り | 
          
            | エズラも神様に祈って言っています。 | 
          
            | 先ほど交読文で読みました。 | 
          
            |  | 
          
            | 9:6 「わが神よ、御前に恥じ入るあまり、わたしは顔を上げることができません。 | 
          
            | わたしたちの罪悪は積み重なって身の丈を越え、罪科は大きく天にまで達して | 
          
            | います。 | 
          
            | 9:7 先祖の時代から今日まで、わたしたちは大きな罪科の中にあります。」 | 
          
            | 先祖から自分達に至るまで神様に背く罪を犯し続けてきたと告白します。 | 
          
            |  | 
          
            | 「その罪悪のために、わたしたちは王も祭司もこの地の王の支配下に置かれ、 | 
          
            | 剣にかけられ、捕らわれ人となり、略奪され、辱められてきました。今日、御覧 | 
          
            | のとおりです。」 | 
          
            | バビロン捕囚のことです。 | 
          
            |  | 
          
            | 「9:8 ところが今、ほんの少し前から、わたしたちの神、主の憐れみにより、わ | 
          
            | たしたちの幾人かが捕囚を免れて生き残り、あなたの聖なる所によりどころを得 | 
          
            | るようにされました。こうして、わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、奴 | 
          
            | 隷の身にありながらも、わずかに生きる力を授けてくださいました。」 | 
          
            | エルサレム帰還のことです。 | 
          
            |  | 
          
            | 「9:9  まことに、わたしたちは奴隷にされています。しかし、わたしたちの神は | 
          
            | わたしたちを奴隷のまま捨て去ることなく、ペルシアの諸王がわたしたちに対し | 
          
            | て好意を抱くようにし、生きる力を与えてくださいました。こうして、ユダとエルサ | 
          
            | レムでわたしたちの神の神殿を再建し、廃虚を復興し、城壁を得るようにしてく | 
          
            | ださいました。」 | 
          
            | 神殿再建と城壁の建築を述べています。 | 
          
            |  | 
          
            | 「それなのに」なのです。 | 
          
            | 「9:10 わたしたちの神よ、こうした御恩をいただきながら、今何を申し上げれ | 
          
            | ばよいのでしょうか。わたしたちは御命令に背いてしまったのです。 」 | 
          
            |  | 
          
            | エズラは衣とマントを裂き、髪の毛とひげをむしり、ぼう然として座んで、涙なが | 
          
            | らに祈りました。 | 
          
            |  | 
          
            | ●またもや犯した罪 | 
          
            | あれほどの苦しみに遭い、自分達の罪に気付いたはずなのに、 | 
          
            | またもや犯してしまった背きの罪。 | 
          
            | 特に、安息日を守らないことと、異なる民族と婚姻関係を結ぶことが、言われて | 
          
            | います。 | 
          
            |  | 
          
            | 安息日を守らないということは、神様との関係が絶たれることです。 | 
          
            | 異民族の嫁を迎えることは、他の神々に心誘われ、神様に背く原因になります。 | 
          
            |  | 
          
            | そしてこの二つは民全体の暮らしに関わる事柄です。 | 
          
            | 一部の人の犯す罪ではない、 | 
          
            | 民全体に広がっていく罪です。 | 
          
            | 民族全体を滅ぼす罪です。 | 
          
            | 放って置いてはならないのです。 | 
          
            |  | 
          
            | ●改革 | 
          
            | エズラもネヘミヤもその罪を指摘しました。 | 
          
            |  | 
          
            | エズラやネヘミヤの言葉は人々の心に届きました。 | 
          
            | 自分達が実際に体験してきたことですから、「本当にそうだ」と思ったのです。 | 
          
            |  | 
          
            | 異民族の嫁をめとった人達は嫁と離縁しました。 | 
          
            | 安息日を厳守するようにしました。 | 
          
            |  | 
          
            | ●その後 | 
          
            | その後ユダヤの人々はどのような歩みをしたでしょうか。 | 
          
            |  | 
          
            | 「もう二度と罪を犯すまい。」 | 
          
            | 捕囚の苦しみを味わったのにすぐに元に戻ってしまう自分達であることを知った | 
          
            | 人々は、本当に神様の前に正しく生きようとしました。 | 
          
            | 律法を厳格に守ろうとしたのです。 | 
          
            |  | 
          
            | すると、日常の生活の中ではどのようにすればいいのかが問題になってきます。 | 
          
            | そこで具体的な事柄一つ一つに対して、どうしたらよいかを事細かに決めていっ | 
          
            | たのでした。 | 
          
            | 莫大な数の掟が作られました。 | 
          
            |  | 
          
            | ●律法主義 | 
          
            | これらの細かい規定は、人を生かすために作られたものでした。 | 
          
            | ところがそれらの規定が人を縛るものになっていったのです。 | 
          
            |  | 
          
            | まじめに真剣に律法を守ろうとすればするほど、細かい規定に縛られていきま | 
          
            | す。 | 
          
            | いつしかそれらの規定が自分をはかる物差しとなり、他の人を評価する、他の | 
          
            | 人を非難したり裁く物差しとなっていったのでした。 | 
          
            |  | 
          
            | 律法によって自分が縛られ、他の人も律法によって縛る生き方を律法主義と呼 | 
          
            | びます。 | 
          
            |  | 
          
            | ファリサイ派と呼ばれる人達、律法学者達は最も厳格な律法主義者でした。 | 
          
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            | ●イエス様の時代 | 
          
            | 二度と過ちを犯すまいと始めた律法厳守は、時と共に律法主義に変わっていき | 
          
            | ました。 | 
          
            |  | 
          
            | エズラ・ネヘミヤの時代から400年、イエス様がこの世に来られた時、ユダヤ | 
          
            | 社会は律法主義が支配する社会になっていたのです。 | 
          
            |  | 
          
            | ですから、ファリサイ派の人々は、イエス様が徴税人や罪人と言われている人 | 
          
            | 達と一緒に食事をしていると、「なぜ、徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」 | 
          
            | と言います。 | 
          
            | このような汚れた人達と交りを持ってはいけないのです。 | 
          
            | 汚れが移るからです。 | 
          
            |  | 
          
            | ある安息日に、イエス様は片手の萎えた人の手を癒やされました。 | 
          
            | イエス様は言われます。 | 
          
            | 「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救う | 
          
            | ことか、殺すことか。」 | 
          
            | 病気を癒やすことは労働です。 安息日は一切働いてはいけないことになって | 
          
            | いました。 | 
          
            | イエス様は言われます。 | 
          
            | 「人の子は安息日の主である。」 | 
          
            | 人の子とはイエス様のことです。 | 
          
            |  | 
          
            | そこで、ファリサイ派の人達はイエス様を殺そうと思うようになったのです。 | 
          
            |  | 
          
            | ●私達 | 
          
            | イスラエルの民のありようを通して、私達は深く教えられます。 | 
          
            |  | 
          
            | 私達も二種類の過ちを犯すのです。 | 
          
            |  | 
          
            | ●一つ目 | 
          
            | 一つは神様を忘れ、神様に背き、自分の都合の良いように生きることです。 | 
          
            | 日々の暮らしは世の価値観によって行います。 | 
          
            | 世の常識、世のやり方に従って生活するのです。 | 
          
            |  | 
          
            | ユダの人々は安息日に桶の中でぶどうを踏みました。 | 
          
            | 穀物の束、ぶどう酒、ぶどうの実、いちじく、その他あらゆる種類の荷物をろば | 
          
            | に負わせて、安息日にエルサレムに運び入れていました。 | 
          
            | そこで売り買いをしていました。 | 
          
            | そうすることに何の違和感も疑問も持たないようになっていたのです。 | 
          
            |  | 
          
            | 私達もユダの人達と同じ過ちを犯します。 | 
          
            | 生活を優先して、神様の前に出ること、神様に従って生きることがいい加減にな | 
          
            | るのです。 | 
          
            | そのようにして神様から離れていくことに気付かないでいるのです。 | 
          
            |  | 
          
            | ●二つ目 | 
          
            | もう一つの過ちは、律法主義になることです。 | 
          
            |  | 
          
            | 神様を真剣に求めているのです。 | 
          
            | 神様に従って生きていきたいと、懸命に努力しているのです。 | 
          
            | そのことはとても大切で尊いことです。 | 
          
            |  | 
          
            | でもいつも、これでもまだだめと思っている。 | 
          
            | その一方で他の人を見ると、責めたくなる。 | 
          
            | 自分の正しさによって、他の人を裁いている。 | 
          
            |  | 
          
            | そのようだったら、律法主義におちいっている事に気付いてください。 | 
          
            | わたしを生かすはずの律法が、わたしをがんじがらめに縛ってはいませんか。 | 
          
            |  | 
          
            | ●二つの過ち | 
          
            | 私達は二通りの過ちを犯します。 | 
          
            |  | 
          
            | キリストの十字架によってもうすべての罪は赦されているのだからと、神様に従 | 
          
            | うことをないがしろにする。 | 
          
            | 自分の都合優先で、神様のことは二の次、三の次にするという過ち。 | 
          
            |  | 
          
            | もう一つは、やっぱり行いが必要だと、律法を行うことが救いの条件であると思 | 
          
            | う。 | 
          
            | 自分の行いに目を向けて、まじめに一生懸命に自分の行いを正す一方、あの | 
          
            | 人は律法に従っていない、と不快に感じ裁く。 | 
          
            |  | 
          
            | 右側に踏み外すか、左側に踏み外すか。 | 
          
            | いつもどちら側かに落ちてしまっている私達です。 | 
          
            |  | 
          
            | ●綱渡り | 
          
            | サーカスの綱渡りを思い出すのです。 | 
          
            |  | 
          
            | 綱渡りをする人は、到達する地点を見ています。 | 
          
            | 足もとを見たり、周りを見たりしません。 | 
          
            |  | 
          
            | 綱渡りをする人は長い棒を持っています。 | 
          
            | 手を広げ長い棒を持つことによって、バランスをとっています。 | 
          
            |  | 
          
            | 私達が右にも左にも落ちないで歩くために必要なのは、キリストを見ていること | 
          
            | です。 | 
          
            | 自分の足もとを見たり他の人を気にしてキリストから目をそらすなら、そのとた | 
          
            | んに落ちます。 | 
          
            |  | 
          
            | 聖書を深く知ることが、長い棒です。 | 
          
            | 棒が長いほど、バランスがとりやすくなります。 | 
          
            | 落ちそうになった時、正しい姿勢に戻してくれます。 | 
          
            |  | 
          
            | ●私達の主 | 
          
            | 私達は主イエス・キリストだけを見ていきます。 | 
          
            |  | 
          
            | 私達の主は、徴税人や罪人と一緒に食事をされるお方です。 | 
          
            |  | 
          
            | 安息日に片手の萎えた人を癒やされるお方です。 | 
          
            |  | 
          
            | 運ばれてきた中風の病人に「あなたの罪は赦される」と言われるお方です。 | 
          
            |  | 
          
            | 罪を犯した女に石を投げようとする人達に「罪を犯したことがない者が石を投 | 
          
            | げなさい」と言われ、女に「わたしもあなたを罪に定めない。これからはもう罪を | 
          
            | 犯してはならない」と言われるお方です。 | 
          
            |  | 
          
            | 死んだ少女の手を取って「タリタ・クム」「少女よ、起きなさい」と言われるお方 | 
          
            | です。 | 
          
            |  | 
          
            | 私達の主は、「『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しか | 
          
            | し、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」 と言 | 
          
            | われるお方です。 | 
          
            |  | 
          
            | 神殿で売り買いしている人々を追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを | 
          
            | ひっくり返し、境内を通って物を運ぶことも許さないお方です。 | 
          
            |  | 
          
            | 私達の主は、十字架にかかって「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をして | 
          
            | いるのか知らないのです。」と祈られるお方です。 | 
          
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            | ●結語 | 
          
            | このお方こそ、私達の主イエス・キリストです。 | 
          
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            | 私達はキリストだけを見て生きていきます。 | 
          
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