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礼拝メッセージ 2017年 7月2日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
ローマの信徒への手紙 1章24節〜32節「欲望という名の罪と罰」
〈聖書(新共同訳)〉
1:24 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、
そのため、彼らは互いにその体を辱めました。
1:25 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに
仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、
アーメン。
1:26 それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関
係を自然にもとるものに変え、
1:27 同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どう
しで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けて
います。
1:28 彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡
され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。
1:29  あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、
邪念にあふれ、陰口を言い、
1:30 人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたく
らみ、親に逆らい、
1:31  無知、不誠実、無情、無慈悲です。
1:32 彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知って
  いながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認し
ています。
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<メッセージ>
●欲望
自分自身の中にありながら、自分で支配できないものがあります。
欲望です。
人間だけが欲望を持っています。
動物達は動物を襲って殺し食べます。
交尾を行ないます。
でも必要以上にそれをするということはありません。
ライオンはおなかが一杯の時は、目の前に餌となる動物がいても襲わないそ
うです。
人間だけが、必要ないのに、欲望を満たすために行動するのです。
●性の営み
心の欲望によって人がすることとして、性の営みが書かれています。
「女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係
を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行っている」と書い
てあります。
「それは恥ずべき情欲だ」と書いてあります。
ここに書かれていることは、少し前までは誰もが認めるところでした。
社会的な倫理でもありました。
社会制度もこの倫理の枠組みの中で作られていました。
私達もこの聖書の箇所を当然の倫理として抵抗なく読んでいました。
●性的マイノリティ―
けれども今私達はこの箇所にひっかかりを感じます。
最近になって性的マイノリティーLGBTの問題が社会的な問題になってきたか
らです。
人権の問題として取り上げられています。
社会に暮らしていく中で様々な不都合を受けている人達がいるのです。
 
このことについてどう考えるかが、ひとりひとりに問われています。
ひとりひとりが自分で答えを見い出さなければなりません。
●聖書の読み方
今日の箇所に記されていることを文字通り受け取るなら、たしかにこういう行
為は不潔であり、してはならないことです。
こういうことをする人達は罪を犯している人間、神様から罰せられる人間です。
聖書を文字通り読めばそういうことになります。
けれども聖書はその時代時代の社会に生きた人達が記したものだ、ということ
をわきまえていただきたいのです。
旧約聖書も新約聖書もその時代時代に生きた人達が書き残したものを集めた
ものです。
書いた人自身はその時代の制約を受けています。
書かれたものも、その時代の社会状況を反映しています。
そのような時代背景を無視して、聖書に書かれているからと何が何でも今の
時代に当てはめるならば、聖書の語る言葉を誤って受け取ることになります。
たとえばコリントの信徒への手紙には
「婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されてい
ません。・・・婦人にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。」
とあります。
女性を差別する社会の中に置かれていた教会での言葉です。
この言葉を文字通り受け取るならば、皆さんは私が今ここにこうしていることを
許さないでしょう。
 
●指さすもの
大切なことは、それぞれの時代にそれぞれの状況の中で書かれたものが、何
を指さしているかということです。
書いた人達は皆、時代や社会の制約の中に居ます。
そうでありながら、すべての人々が指さしているものが一つなのです。
異なった時代の中で、異なった地域に住んでいたおびただしい人達が書いた
のに、すべての人達がただ一つのことを指さしているのです。
彼らは相談したわけではありません。
また出来るわけもありません。
それぞれが全く別々に、自分から見える神の業を証ししたのに、すべてが一つ
を指さしているのです。
聖霊の働きなしには起こりえないことです。
●神の真理
すべての人々が指さしているただひとつのこと、それは神の福音です。
神の福音とは、イエス・キリストによってすべての人々を救ってくださることです。
聖書はすべて、主イエス・キリストの十字架に向かって書かれています。
聖書のどこを読む時も、十字架にかけられたイエス・キリストを見つめながら
読んでいくことが何より大切です。
●キリストを見つめて
今日の箇所も、主イエス・キリストをひたすら見つめて読んでいきましょう。
イエス様は、当時の人々から罪がある、汚れていると言ってのけ者にされた
人々と共におられました。
イエス様は人間社会が造ったすべての隔てを壊されました。
イエス様は人々からのけ者にされた人々、それだけでなく、のけ者にした人々
のためにも、十字架にかかられたのです。
すべての人々を罪の縄目から解放してくださいました。
このイエス・キリストから今日の性についての言葉を読むならば、今までとは
違った見方ができるようになるでしょう。
「自然な関係」についても、今日ではいろいろなことが分かってきました。
性同一性障害などは、最近分かってきたことです。
社会は「自然な関係」でないということで、どれほど多くの人達を苦しめてきた
かに気づきました。
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●欲望は変わらない
世の中は様々に移り変わります。
価値観や倫理観は時代と共に変化します。
それでも人の心に住み着いている欲望は変わらないです。
心の欲望がすべての悪を生み出します。
してはならないことが並べ立てられています。
道徳の教科書のように読めば、たくさん書いてあるなあ、と思いながらもさらっ
と読み流すことになります。
こういうことをするのはわたしではない、他の人だと思うならば、ここに書かれ
ていることは、あの人を、この人を非難し裁くための便利な基準になります。
けれどもここに書かれていることは、あなたがしていることです。
全部に「ない」をつけて読んでみてください。
不義を行わない
悪でない
むさぼらない
悪意を持たない
ねたまない
殺意を抱かない
不和を起こさない
欺かない
邪念がない
陰口を言わない
人をそしらない
神を憎まない
人を侮らない
高慢にならない
大言を吐かない
悪事をたくらまない
親に逆らわない
無知でない
不誠実でない
無情でない
無慈悲でない。
自分は全くそうではないでしょう。
わたしもまた
「このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分
でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認している者」なのです。
●罪と罰
欲望は罪を生みます。
欲望はとどまることがありません。
どこまでも果てしなく欲望は膨らむのです。
たくさん手に入れたから、もうこれでいい、とならない。
多く手に入れればさらにもっとたくさんほしくなる。
高いところに到達したら、さらにもっと高いところに自分を置きたいと思う。
そのようにして生きることは苦しいことです。
競争心、挫折感、高慢な思い、不足感、不安や焦りで、気持ちが休まる時が
ありません。
もっと、もっとと不安や焦りは募るばかりです。
この苦しみは欲望が生んだ苦しみです。
欲望が生んだ罪に対する罰とも言えるでしょう。
●理由
こうして人間は長い間、欲望が生む罪と罰に苦しんできました。
どうしてこういうことになってしまうのか。
それは
神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたか
らだ、とパウロは述べています。
今日の聖書の箇所はその前から続いています。
「1:21 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、
かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。
1:22自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、
1:23滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに
似せた像と取り替えたのです。」
そして
「そこで」と続くのです。
「そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、」
となります。
●正しい者は一人も居ない
パウロがこれほどまでに人間の罪を書き連ねるのは、人間を裁くためではあり
ません。
そんなことをしていれば神様に滅ぼされると脅かすためではありません。
パウロが人間の罪をどこまでも書き連ねていくのは、正しい者は一人も居ない
ことを分からせるためです。
誰一人自分の行いで神様に正しいと認めてもらえる者は居ないのです。
●福音
パウロは福音を語りたいのです。
滅ぼされるしかない人間を救うためにイエス・キリストが来てくださいました。
十字架にかかってすべての人のすべての罪をあがなってくださいました。
聖書は、キリストの無条件の赦しを告げます。
 
●福音を聞く
今日私達は、これでもかこれでもかと人間の罪を暴く言葉を聞いています。
ここだけを読んでいれば、重苦しく暗い気持になります。
責められているようで、人間であることがいやになります。
それは聖書を部分的にしか読んでいないからです。
十字架にかかられたイエス・キリストから読んでいないからです。
聖書はすべてイエス・キリストに向かって書かれているのです。
聖書のどの言葉からも、イエス・キリストの福音が聞こえてきます。
人間の罪の深みの果てにキリストの赦しが見えます。
神様は人間の欲望という罪と罰の鎖を断ち切ってくださったのです。
それがキリストの十字架の出来事です。
 
●結語
今日も私達は私達の罪と罰をその身に負って十字架に死んでくださった
キリストを見させていただきました。
私達の罪は限りがありません。
けれどもキリストの十字架の贖いはそれよりもさらに大きく、すべての罪を覆い
つくしています。
今私達は、キリストの愛と赦しによって、生かされています。
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