<メッセージ> |
●「お見捨てになったのですか」 |
イエス様は |
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 |
と叫ばれました。 |
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この叫びに、私は言葉を失います。 |
私が何を語っても、すべて薄っぺらです。 |
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私はイエス様の苦しみをわかることが出来ません。 |
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●色々な説明 |
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 |
これは詩編22編の最初の言葉です。 |
先ほど交読文で読みました。 |
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人は色々に解説します。 |
イエス様は聖書に親しんでおられ暗唱されていた、それで詩編の言葉を言わ |
れた、とか、 |
詩編22編は終わりの方は主への賛美になっている、イエス様は主を賛美しよ |
うとしたけれど、終わりまで言えなかったのだ、とか説明します。 |
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色々に説明しますけれど、どれも、イエス様がこんなことを言われるはずはな |
いという考えから来ています。 |
イエス様は神であられるから、こんな絶望的なことを叫ばれるわけがない。 |
イエス様は何があっても神様を賛美するはずだ。 |
それで色々と説明します。 |
自分が作り上げたイエス像から、イエス様を見ているのです。 |
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●イエスの言葉として |
けれども私達は、この言葉をイエス様ご自身の叫びとして聞きます。 |
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本当にイエス様は「神に見捨てられた」と感じておられるのです。 |
感じているだけではありません。 |
本当に神様はイエス様を見捨てたのです。 |
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●詩編22 |
詩編22編に記されていることがイエス様の身に起っていきました。 |
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「わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る。 |
「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら、助けてくださるだ |
ろう。」 |
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「わたしは水となって注ぎ出され、骨はことごとくはずれ、心は胸の中で蝋の |
ように溶ける。 |
口は渇いて素焼きのかけらとなり、舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵 |
と死の中に打ち捨てられる。 |
犬どもがわたしを取り囲み、さいなむ者が群がってわたしを囲み、獅子のよう |
にわたしの手足を砕く。 |
骨が数えられる程になったわたしのからだを、彼らはさらしものにして眺め |
わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。」 |
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詩編22編の詩人は、この苦しみの中で神様に訴えます。 |
イエス様も神様に訴えられます。 |
「わたしを遠く離れないでください、苦難が近づき、助けてくれる者はいないの |
です。」 |
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「主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ、 |
今すぐにわたしを助けてください。」 |
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それなのに神様は助けてくださらない。 |
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「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわた |
しを遠く離れ、救おうとせず、呻きも言葉も聞いてくださらないのか。」 |
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本当に神様はイエス様を見捨てたのです。 |
イエス様は本当に神様に見捨てられました。 |
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●人々 |
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 |
と叫ぶイエス様を見て、そばに居合わせた人々は |
「そら、エリヤを呼んでいる」「エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」 |
と言いました。 |
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エリヤが来てイエス様を十字架から降ろして救うならば、神様はイエス様の |
叫びに応えてくださったことになります。 |
神様はイエス様を見捨てられない、確かにイエス様は神の子である証拠にな |
ります。 |
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●心の奥の求め |
「エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」 |
と言う人々は、イエス様を馬鹿にしている、あざけっている、ひやかしていると、 |
私達は思います。 |
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でも頭からイエス様を否定している人は、こんなことは言いません。 |
そんなことはあり得ないのですから「来るかどうか見ていよう」とは言わないの |
です。 |
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「来るかどうか見ていよう」という言葉の奥に、切ないほどの願いがあります。 |
最後の最後まで、何かが起ることを期待しているのです。 |
その人自身も気付いてはいないでしょう。 |
でも彼の心の深い所には、救いを求める気持があるのです。 |
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でも、何も起らなかった。 |
それで、神様がイエス様を見捨たことがはっきりしました。 |
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●百人隊長 |
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 |
このイエス様の叫びを聞いていた人がほかにもいました。 |
百人隊長です。 |
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死刑囚の死を見届けることが彼の任務です。 |
彼はイエス様の方を向いて、そばに立っていました。 |
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何事も起りませんでした。 |
イエス様はこれまで幾人となく見てきた囚人と同じように息を引き取られました。 |
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この時百人隊長が言ったのです。 |
「本当に、この人は神の子だった」 |
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●なぜ? |
なぜだろうと思います。 |
なぜこの人は「本当に、この人は神の子だった」と言えたのだろうか。 |
不思議です。 |
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彼はローマ軍の隊長です。 |
ユダヤ人ではありません。 |
旧約聖書に記されている神様など知りません。 |
イエス様は「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれました。 |
アラム語です。 |
彼には何のことだかさっぱりわかりません。 |
もちろん詩編22編など知りません。 |
エリヤも知りません。 |
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でも彼にはわかったのです。 |
「本当に、この人は神の子だった」とわかりました。 |
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●マルコによる福音書 |
マルコによる福音書は |
「神の子イエス・キリストの福音の初め。」 |
という言葉で始まっています。 |
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そして、イエス様が十字架に死なれた時、「本当に、この人は神の子だった」 |
という告白がされます。 |
マルコによる福音書はこの告白に向かって書かれているのです。 |
すべての人々が、「イエス・キリストは神の子です」という告白に導かれるため |
に書かれています。 |
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●十字架に向かって |
十字架にかけられたイエス様の方を向いて十字架のそばに立つ時、私達も |
「イエス・キリストは神の子です」との告白へと導かれます。 |
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十字架の前に立つために必要な条件は何もありません。 |
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最初に告白した百人隊長は、職務として立っていただけなのです。 |
聖書の知識はありませんでした。 |
神様も知らないし、信仰もありませんでした。 |
それでも、彼は最初の告白者となったのです。 |
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どんな動機であってもいいのです。 |
神様は色々なやり方で、人々を十字架の前に導いてくださいます。 |
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●十字架の前に立つ |
私達は主の十字架の前に立ちます。 |
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 |
と叫ばれるイエス様の声を聞きます。 |
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イエス様が十字架にかけられたのは午前9時でした。 |
日の光は昼に向かって強く明るくなっていきます。 |
そして昼の12時。 |
最も明るい時です。 |
この時全地が急に暗くなりました。 |
それが3時まで続きました。 |
3時にイエス様が大声で |
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれたのです。 |
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イエス様は暗闇の中で叫ばれました。 |
神様に見捨てられた暗闇、 |
無の暗黒が無限に広がっています。 |
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●私達はわからない |
私達はイエス様の苦しみを分かることが出来ないです。 |
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私達はそれほど神様に頼っていない、 |
すべてを神様に明け渡していない。 |
ですから神様から見捨てられても、見捨てられ感が薄いのです。 |
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イエス様は完全にすべてを神様にゆだねておられました。 |
その神様から見捨てられたのです。 |
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生ぬるい私達には、イエス様が味わわれた恐怖がわかりません。 |
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●私達の暗闇 |
それも私達にわかることがあります。 |
わたしがわたしの暗闇に沈む時、わたしと一緒にイエス様が居てくださること |
が分かります。 |
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苦しみ、悩み、悲しみ、恐れ、不安に取りつかれ、どうすることも出来ない、どん |
なに努力しても、探し求めても、もうどうにもならない。 |
祈ることもできない。 |
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暗闇の中にうずくまっている時、わたしの暗闇よりももっともっと深い深い暗闇 |
を通られたイエス様が近くにおられることに気付くのです。 |
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「わたしが居る。大丈夫だ。」 |
と手を取ってくださるイエス様は、あの十字架の暗闇を通り抜けて復活された |
イエス様です。 |
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無限に広がる無の暗黒を破り光となられたイエス様です。 |
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●私達は知る |
今私達は知ります。 |
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「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」 |
と叫ばれたイエス様。 |
本当に神様に見捨てられ十字架に死なれたイエス様。 |
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神様に見捨てられるのは私達人間です。 |
招いても招いても神様のもとに戻らない私達は神様に見捨てられて当然です。 |
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神様は見捨てられました。 |
見捨てられて当然の私達ではなく、イエス様を見捨てられました。 |
神様はどこまでもどこまでも人を救おうとされるのです。 |
人を見捨てないのです。 |
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イエス様が味わわれた苦しみは、私達を救うためでした。 |
イエス様が死なれたのは、わたしを生かすためでした。 |
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●すべての人が |
イエス様が息を引き取られ時、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け |
ました。 |
神殿の幕は神様と人とを隔てていました。 |
この幕がイエス様によって取り去られたのです。 |
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神様と人を隔てるものは、もはや何もありません。 |
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●結語 |
すべての人々が、十字架にかけられたイエス様の方を向いて十字架のそばに |
立つことができます。 |
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すべての人々が「イエス・キリストは神の子です」との告白する時が来ています。 |
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