<メッセージ> |
●私達の祈り |
けさイエス様は私達に |
「神を信じなさい。」 |
と言われます。 |
そして、祈りについて教えてくださいます。 |
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私達は本当に神様を信じて祈っているでしょうか。 |
葉は茂っているけれど実のならないいちじくの木のようなお祈りをしてはいな |
いでしょうか。 |
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●枯れたいちじくの木 |
イエス様と弟子達は朝早くベタニアの村を出て、エルサレムに向かっていまし |
た。 |
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するといちじくの木が根元から枯れているのが見えました。 |
この木はきのうは青々と葉を茂らせていたのです。 |
それがけさは根元から枯れています。 |
一日のうちにこんなに枯れ果ててしまうことなどあり得ないことです。 |
それでペトロは言いました。 |
「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」 |
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●海に飛び込め |
するとイエス様は言われたのです。 |
「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がっ |
て、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるな |
らば、そのとおりになる。」 |
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どういうことでしょうか。 |
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山が立ち上がって海に飛び込むということは、いちじくの木のことも含めて、あ |
り得ないことの代表です。 |
あり得ないことなのにそうなると信じるならば、そうなる、とイエス様は言われ |
るのです。 |
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●心が刺される |
このイエス様の言葉は私達の心を刺します。 |
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わたしは少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じて、山に向かい、『立ち |
上がって、海に飛び込め』と言えないのです。 |
もしこういうことを言うとしたら、神様を試す気持で言っています。 |
あるいは、自分ではわたしは信じていると思って言ったとしても、心の深いと |
ころでは、そんなことはあり得ないと思っているのです。 |
私達はこうしてくださいと祈りながら、内心そうならないだろうと思っていること |
が、何と多いことでしょうか。 |
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●実現しない |
あり得ないことでも少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるということ |
がその通りになることの条件ならば、山が海に飛び込むことは起こりません。 |
ありえないことが起こるということは決して起こりません。 |
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もし信じて疑わず自分の言うとおりになると信じることが、祈りが聞かれるた |
めの条件だとしたら、私達の祈りはすべて実現しないことになります。 |
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●常識の領域の中で |
振り返ってみれば、私達の祈りは、自分の常識の域を超えていないように思 |
います。 |
こういうことは起こり得るという範囲の中で祈っているのです。 |
ただそういうことが起こるかどうかはわからない、だから神様に祈る、 |
こういうことはあり得ると思うけれど、自分の力では出来そうもない、だから |
神様にお願いする、 |
そんな祈りをしているのです。 |
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私達は、こうなりますように、ああなりますように、と自分の願い事を並べ立て |
ます。 |
祈ったとおりになることがあります。 |
ああ神様はわたしの願いを聞いてくださった、神様はすばらしいと神様をほめ |
たたえます。 |
祈ったとおりにならないこともあります。 |
そういう時は、祈ってもだめだったとがっかりしますが、何とか理屈を付けて自 |
分を納得させます。 |
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いずれにしても、あり得る、という領域からは出ないのです。 |
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●領域を超える |
けれども、祈りは「あり得る」という領域を越えさせてくれるものです。 |
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イエス様は、祈りを教えられる前に、まず「神を信じなさい」と言われました。 |
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神を信じるということは、わたしが自分の認識の領域に留まっていて、その領 |
域の中でわたしが神様を信じるというものではありません。 |
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神様を信じるということは、神様のふところに飛び込むことです。 |
わたしの存在全部が、神様の領域に入るのです。 |
わたしを丸ごと神様に明け渡していく、それが神を信じることです。 |
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●信じて生きる |
神様を信じる時、わたしはわたしの「あり得る」領域から出て、神様の「あり得 |
る」領域の中で生きるようになります。 |
自分の思いを先立てるのではなく、神様にすべてを委ねることになります。 |
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神様はどんなことでもお出来になります。 |
神様はわたしを愛してくださっています。 |
ですから神様はわたしにとって最も良いことをしてくださるのです。 |
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●安心の中で祈る |
この安心の中で私達は祈ります。 |
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わたしの祈る祈り次第で事が左右されるのなら、祈ることは恐ろしいです。 |
自分は正しい祈りをしているだろうか、 |
こんな事を祈ってはいけないのではないか、 |
これは不信仰な祈りだ、 |
といつもびくびくしていなければなりません。 |
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でも神様にすべてを明け渡した時には、何も恐れなくてよくなるのです。 |
ありのままの自分で良いのです。 |
自分が願っていることをそのまま言って良いのです。 |
自分勝手な願いではないかと吟味する必要はありません。 |
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不安です、恐いです、怒りで一杯です、憎くてなりません、と自分の気持を正 |
直に訴えて良いのです。 |
こんな悪い思いを持ってはいけない、こんな事を言ったら神様に叱られると思 |
う必要はありません。 |
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自分ではこんな事は不可能だと思うことでも祈ります。 |
疑う心が湧いてきてもかまいません。 |
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神様がしてくださるのです。 |
私達は、ただただ正直に自分を神様に明け渡すのです。 |
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●祈りがかなえられる |
そうしていく時に、祈り求めるものはすべて与えられることがわかってきます。 |
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それはわたしの願っていることではないかもしれません。 |
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それはわたしには理解し納得することが出来ないことかもしれません。 |
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それでも、神様のなさることに間違いはないと、受け取っていくことが出来る |
のです。 |
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すべてのことを神様の愛の御手から受け取っていく時、祈り求めるものはす |
べて得られたことがわかります。 |
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●生活 |
神様を信じるということは、 |
観念的なことではありません。 |
具体的なことです。 |
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イエス様は、私達の生活の仕方を示してくださっています。 「祈り求めるもの |
はすべて既に得られたと信じなさい。」 |
と言われました。 |
祈り求めるものが、すでに実現しているものとして生活するようにと言われる |
のです。 |
これは、神様を信頼して生きるということです。 |
毎日毎日起こる事柄、大きいことも小さいことも神様に信頼して受けとって生 |
きていく時に、すべてのことが神様のご計画のもとに置かれていることに気 |
付くでしょう。 |
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●祈る時 |
そしてもう一つ、 |
イエス様は、「立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、 |
赦してあげなさい。」と言われました。 |
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人間関係について言われています。 |
わたしが恨みを持っているその人については何も言われません。 |
「あなたは誰かに恨みを持っていないかね」 |
と問われます。 |
その人自身に目を向けさせるのです。 |
すると自分の心が見えてきます。 |
私達は他の人に対して、何と色々な思いを持っていることでしょうか。 |
ねたみ、恨み、怒りなど、たくさんあります。 |
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イエス様は、赦してあげなさい、と言われるのです。 |
どうして赦すことなど出来るでしょうか。 |
わたしは深く傷ついているのです。 |
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●キリストの赦し |
恨みをいだく相手を赦すことが、天の父にわたしの過ちを赦していただくため |
の条件ならば、わたしは神様に赦していただけません。 |
わたしは赦せないのです。 |
私達は自分の行いによって、自分の過ちを正すことができません。 |
ああ、だからイエス様は十字架にかかってわたしの罪を贖うほかなかったの |
だ、ということがわかってきます。 |
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●十字架の赦し |
この時から3〜4日後にイエス様は十字架にかけられ死なれました。 |
私達の過ちは赦していただくしかないのです。 |
神様は十字架の贖いによって私達を、そしてすべての人々を、赦してください |
ました。 |
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十字架は神様の愛の表れです。 |
私達はたしかに神様の愛の中に入れていただいています。 |
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●祈り |
私達は祈ります。 |
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わたしの思い、わたしの願いをすべて神様にお話します。 |
でも「こうしてください」と要求するのではありません。 |
「よろしくおねがいします」と神様に明け渡します。 |
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もうどうすることもできない、 |
こうして欲しいということはもうない、 |
ただただ「助けて」と叫びます。 |
神様の中に自分を投げ出します。 |
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●結語 |
神様はふところにわたしを抱いてくださいます。 |
母のふところに抱かれている赤ちゃんのようです。 |
あたたかいです。 |
安心です。 |
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神様は、私達が一番欲しかったもの−魂の平安をくださいます。 |
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