| <メッセージ> |
| ●主題・主題聖句 |
| 今日は礼拝の後に教会総会が開かれます。 |
| 2016年度の歩みを導く主題・主題聖句として「安心」「主は人の一歩一歩を |
| 定め、御旨にかなう道を備えてくださる。」 |
| が提案されます。 |
| これは3月のチャーチミーティングで、投票で選ばれたものです。 |
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| この主題と主題聖句は、私達運河キリスト教会の信仰告白でもあります。 |
| 「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。」 |
| という聖句に「安心」という言葉を結びつけました。 |
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| 「私達が安心していられるのは、主が私達の一歩一歩を定め、御旨にかなう |
| 道を備えてくださっているからです」という信仰の告白です。 |
| この告白は、これまでの歩みの中で体験してきたことから生まれてきました。 |
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| そこから |
| 「主が私達の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださっているから、 |
| 安心していていいのだ」という、これから先の安心が与えられます。 |
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| この主題聖句は、高く掲げてそれに向かって歩んでいこう、といった聖句では |
| ありません。 |
| 私達を丸ごと底から支えてくれる聖句です。 |
| 私達はこの聖句に下から支えられて、この1年を歩んでいきます。 |
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| ●詩編37編 |
| この詩編を書いたのは、年老いた人のようです。 |
| 25節に「若いときにも老いた今も、わたしは見ていない」 |
| とあります。 |
| 詩人はこれまで生きて来た長い人生を振り返って、主に逆らう者の行き着く先 |
| を語り、主に従う者の生き方を説いているのです。 |
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| 37編の最初に「ダビデの詩」と書かれていますが、ダビデが書いた、と限定し |
| ない方が良いでしょう。 |
| ダビデ自身が書いた詩、ダビデに献げた詩、後の人がダビデのことを題材に書 |
| いた詩などがあるからです。 |
| また「ダビデの詩」と記すことによって詩の権威を高める、という事情もありまし |
| た。 |
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| そして初めに(アルファベットによる詩)と書かれています。 |
| 日本風に言えばイロハ歌なのです。 |
| 詩の各行のあたまが、ヘブライ語のアルファベットの文字順になっています。 |
| 23節は、英語で言えばMに当たる文字で始まっています。 |
| ですから、37編は詩として一つの流れになっているいうよりも、独立した文章 |
| が書き連ねられた形になっています。 |
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| ●安心ー誰もが願う |
| 安心して暮らしていきたい、これはすべての人達が願っていることです。 |
| 誰もが平和に穏やかに生きていきたいと願っています。 |
| 安心を手に入れたいと思って一生懸命に努力し、がんばっているのです。 |
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| 人々はどこに安心を求めているのでしょうか。 |
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| 健康であることはもっとも基本的な事柄です。 |
| 健康であれば、働くことが出来ますし、したいと思うことをすることが出来ます。 |
| ですから様々な健康法が紹介されています。 |
| けれども病気はなくなりません。 |
| 突然病に倒れることがあります。 |
| 年をとれば誰でも病気がちになります。 |
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| 経済的な安定も安心を得るための大切な要素です。 |
| この社会で生きていくためには、どうしてもお金が必要です。 |
| 経済的にゆとりがあれば、安心して暮していけます。 |
| 老後を安心して過ごせるようにと、蓄えをします。 |
| でも豊かな日本の中で、貧困が起こってきています。 |
| 若い人達の貧困、特に女性達、シングルマザー達の貧困、それが子供の貧困 |
| になり、貧困の連鎖を生み出しています。 |
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| 誰もが安心して生きていきたいと願っているのに、望んでいるものを手に入れ |
| ることが出来ない社会です。 |
| そのために競争が起こり、争いが起こり、奪い合いが起こっています。 |
| 心が追い詰められて、不満を感じ、憎しみを抱き、殺し合うのです。 |
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| 無差別殺人、テロ、戦争等、誰かが襲ってくるのではないかという不安がいつ |
| もあります。 |
| 全ての人が、安心して暮らしていきたいと思っているのに、そうできない社会の |
| 中に私達は生きています。 |
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| ●詩編 |
| それは、今日の詩編が書かれた時代も同じでした。 |
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| 1節には、悪事を謀る者、不正を行う者 |
| 7節には、繁栄の道を行く者、悪だくみをする者 |
| 9節には、悪事を謀る者 |
| 12節、14節には、主に逆らう者はたくらみ、牙をむく。 |
| 剣を抜き、弓を引き絞り、貧しい人、乏しい人を倒そうとし、まっすぐに歩む人を |
| 屠ろうとする。 |
| などと記されています。 |
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| ●安心 |
| この不安だらけの世で、どうすれば安心して生きていけるのでしょうか。 |
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| 「安心」は漢字で「心が安らか」と書きます。 |
| 安心は心の問題なのです。 |
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| 健康で、経済的にも恵まれていて、物事がうまくいっていても、心が安らかでは |
| ないということが起こります。 |
| 今得ているものが失われるのではないか、とびくびくしている。 |
| もっともっと必要だと、貪欲に動き回り、人を踏みにじってでも多くを手に入れよ |
| うとする。 |
| 心はまったく安らかではありません。 |
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| でも、健康が損なわれていても、経済的に苦しくても、物事がうまくいっていな |
| くても、なお心が安らか、ということがあるのです。 |
| それは、「主がわたしの一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」と |
| 知る時です。 |
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| ●山登り |
| 私はこの頃山登りをするようになりました。 |
| 登山ではなく、山登り、トレッキングと言うそうです。 |
| 道には歩きやすいように、木で歩道が作られている箇所があります。 |
| 尾瀬湿原の写真を見たことがあるでしょうか。 |
| あのような木の歩道が山にも作られています。 |
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| でも全部がそうなっているわけではありません。 |
| 石がごろごろと転がっている石だらけの道の方が多いのです。 |
| そういう所を歩くときはひたすら足もとを見ています。 |
| 周りの景色を楽しむ余裕はありません。 |
| 大小様々な石が転がっている中で、なるべく平らで足を置いてもひっくり返らな |
| そうな石を探して、一足一足、足を置いていくのです。 |
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| ●人生 |
| 私達の人生は、足取り軽く花咲く野原をスキップしながら行く時ばかりではあり |
| ません。 |
| つらくて苦しくて、一歩が踏み出せない時もあります。 |
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| その時、主が動けないわたしの前に膝をかがめて、「ほら、ここに足を置いてご |
| らん。大丈夫」と地面を示してくださるのです。 |
| わたしの足をかかえるようにして、そこに置いてくださいます。 |
| そのようにして、私達は一歩また一歩と、人生の岩場を登ってきたのでした。 |
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| ●主がいてくださる |
| 私達の歩く道は、木の歩道が出来ている道ではありません。 |
| ずっと先まで見通せる道ではありません。 |
| 大小様々な石が転がっています。 |
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| 一人でこの道を歩いていかなければならないと思っていた時は、不安で一杯で |
| した。 |
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| でも今は、主が一緒にいてくださることを知っています。 |
| 主がわたしのことを思って道を備えてくださっているのです。 |
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| 安心です。 |
| 先が見えなくても安心です。 |
| すべてをご存じの主が、わたしの一歩一歩を導いてくださっているのですから、 |
| お任せしていて大丈夫なのです。 |
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| ●居てくださる |
| そして私達の主は、私達を置いてどこかに行ってしまわれるお方ではないの |
| です。 |
| 24節には |
| 「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださ |
| る。」 |
| とあります。 |
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| わたしが倒れてしまったとき、そのままにしてほって置かれる方ではありません。 |
| そこに居続け、手をとらえ続けてくださるのです。 |
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| ●footprints |
| 先ほどfootprintsを歌いました。 |
| よく知られている詩をもとにして作られた歌です。 |
| もとの詩を簡単に訳します |
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| −ある人の夢− |
| 神様と並んで浜辺を歩いていた |
| 空の向こうに、これまでの人生が映されている |
| 砂の上には二つの足跡 |
| 一つはわたし |
| 一つは神様 |
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| でも足跡が一つしかないところがある |
| それはとてもつらく、悲しい時だった |
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| わたしは言った |
| 「あなたはずっとわたしと一緒に歩いてくださると言われたのに、一つの足跡し |
| かありません。一番あなたが必要だった時なのに」 |
| 神様は言われた |
| 「わたしはあなたを愛している。 |
| あなたを決して見捨てない。 |
| そのときわたしはあなたを負ぶっていた」 |
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| ●本当の安心 |
| 主はどんな時も、わたしの手をとらえていてくださいます。 |
| 決して手を放すことはなさいません。 |
| ここに本当の安心があります。 |
| |
| わたしが主の手をつかんでいるから、主がわたしと共にいてくださるのだったら、 |
| いつも不安です。 |
| 手を離してしまうのではないか、と不安です。 |
| そうならないように、腕の筋肉を鍛え、握力を鍛えなければなりません。 |
| でもどんなにつかんでいようと思っても長くは続きません。 |
| 疲れて、力尽きて手を放してしまいます。 |
| 谷底に向かって落ちていきます。 |
|
| でもそうではないのです。 |
| 主がわたしの手をつかんでいてくださるのです。 |
| 力尽きて、わたしが手を放してしまった時も、主は手をつかんでいてくださいま |
| す。 |
| だから崖の下に墜落することはないのです。 |
| だから安心なのです。 |
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| ●信仰 |
| 自分の信仰に頼っていると、不安です。 |
| もっと強い信仰を持たねばならない、もっと正しい行いをしなければならない、 |
| と思います。 |
| 自分を打ちたたきます。 |
| まだだめだ、まだだめだ、 |
| 信仰が弱い、疑いの心が湧いてくる、少しも良い行いが出来ていない。 |
| 自分は救われないのではないかと、不安が増すばかりです。 |
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| 自分で主をつかもうとする信仰には、いつも不安がつきまとうのです。 |
|
| そうではないのです。 |
| 主がわたしの手をつかんでいてくださるのです。 |
| 決して手を放すことはないのです。 |
|
| わたしの信仰は揺らぎます。 |
| わたしは握っている手を放す者です。 |
| わたしが手を離して、まさに崖の下に落ちていく。 |
| 恐怖で頭の中は真っ白です。 |
| ふと気付くと、不思議に落ちないでいる。 |
| 主がわたしの手を握ってくださっていたことがわかりました。 |
|
| 自分の信仰に頼っていたら、谷底に落ちていきます。 |
| 頼るべきはただ主のみです。 |
| 「主はわたしの手をとらえてくださっている」 |
| ここに本当の安心があります。 |
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| ●今年度 |
| 今私達は新しい年度を歩もうとしています。 |
| 先に何があるかは、わかりません。 |
| でも安心していて大丈夫なのです。 |
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| 私達の主は、私達を愛してくださっているお方です。 |
| ご自身を十字架にかけてまで、私達を救ってくださった主です。 |
| 決して手を放すことはなさいません。 |
| このお方が、私達の一歩一歩を定めてくださいます。 |
| 主が手を握っていてくださいます。 |
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| ●今日を生きる |
| 今日という日を、一日一日精一杯生きるのです。 |
| そのようにして生きる時、本当に神様は、御旨にかなう道を備えてくださって |
| いることを実感することが出来ます。 |
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| 私達ひとりひとりの歩み、そして教会の歩みを主は定めてくださっています。 |
| 先のことは心配しなくて大丈夫です。 |
| 今の時を、心安らかに生きていけます。 |
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| ●結語 |
| 「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。 |
| 人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださ |
| る。」 |
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| 明かるいです。 |
| 暖かいです。 |
| 主がいてくださる安心が私達を包み込んでいます。 |
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