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礼拝メッセージ 2015年8月9日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
マルコによる福音書 6章45節〜56節 「安心しなさい、わたしだ」
〈聖書(新共同訳)〉
6:45 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサ
イダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。
6:46 群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。
6:47 夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におら
れた。
6:48 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明け
るころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようと
  された。
6:49 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、
大声で叫んだ。
6:50 皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始
  めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
6:51 イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に
驚いた。
6:52 パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。
6:53 こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ。
6:54 一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、
6:55 その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ
  病人を床に乗せて運び始めた。
6:56 村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、
  せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆
いやされた。
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<メッセージ>
●たまらない気持
「こんなことがいつまで続くんだろう」とたまらない気持になることがあります。
一生懸命勉強しているのに、ちっとも学校の成績が上がらない。
夜遅くまで働いて、休日出勤までして働いているのに仕事の業績が上がらない。
たくさんのお医者さんにかかり薬もたくさん飲んで病気と闘っているのに、病気
が少しも良くならない。
 
年老いた親の面倒を見ている。自分の時間を全部使ってお世話をしているけ
れど、これから元気になっていくことは望めない中で疲れ果てている。
つい、いつまで続くのだろう、と思ってしまう。
 
多くの人達が、いやほとんどの人達が、苦しい、やりきれない思いを抱きながら、
懸命に生きています。
やめられない
努力の結果が現われないから、とやめてしまえば、そのとたんさらに悪い状態
になることがわかっていますから、いつ果てるともしれない努力を延々とし続け
るしかないのです。
 
それはまるで逆風に向かって舟を漕いでいるようです。
漕いでも漕いでも、少しも先に進まない。
もう漕ぐのに疲れてしまった。
でも疲れたといって漕ぐのをやめたら、舟は流されていって座礁してしまう、
漕ぐのをやめることも出来ません。
●イエス様は来てくださる
このようにして、たまらない思いをいだきながら生きている人ひとりひとりのとこ
ろに、イエス様は来てくださいます。
逆風をついて来てくださいます。
 
そして言われます。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」
●弟子たち
イエス様の12人の弟子達は、湖の真ん中で立ち往生していました。
逆風が吹いてきて舟が少しも進まないのです。
弟子達は何とか進もうと、一晩中舟を漕いでいたのです。
それなのに舟は少しも進みませんでした。
イエス様は舟に乗っておられません。
イエス様は弟子達を強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行けと言わ
れたのでした。
イエス様はまだ陸地におられます。
弟子達は自分達だけで何とかしなければなりません。
一晩中舟を漕いで、少しでも前に進めば少しは望みを持つことが出来たでしょ
う。
けれども舟は一向に進みませんでした。 
全ての努力は無駄に終わったのです。
これほどがっかりすることはありません。
疲れ果て、それでも漕ぐことをやめるわけにはいかない。
やめれば舟は流されてしまいます。
●幽霊が
空が少しだけ明るくなりました。
弟子達は少しほっとした気持になったでしょう。
夜が明けるのです。
ところが弟子達は薄明かりの中で恐ろしいものを見たのでした。
湖の上に人影が浮かびました。
ここは湖の真ん中です。
人が居るはずがない。
「幽霊だ」
弟子達は大声で叫びました。
弟子達の中にはこの湖で長いこと漁師をしていた人達もいました。
でもこんなことは初めてです。
弟子達は恐怖に取りつかれたのでした。
 
●イエス様
ところで、イエス様はどうしておられたのでしょうか。
イエス様はひとりになっておられました。
イエス様を求めて集まってきた大勢の群衆を解散させ、弟子達も先に舟に乗せ
てイエス様はひとり山に向かわれました。
そして祈られました。
夜を徹して祈られました。
 
●ひとり神に向かう
ひとり神様に向かわれるイエス様を、聖書は幾度か記しています。
いずれもイエス様がご自分の道を進む上で重要な時です。
故郷を出、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた後、イエス様は荒
野でひとり過ごされました。
これからメシアとしての働きを始めるのです。
世の力を得なさいとささやきかける声を、『あなたの神である主を拝み、ただ主
に仕えよ』と退けられました。
弟子達にご自分の死と復活を予告された後、イエス様は山に登られました。
イエス様の姿が白く輝きました。
エリヤとモーセが現われてイエス様と話をしました。
ルカによる福音書には「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期に
ついて話していた」と書かれています。
そしてゲッセマネの園での祈り。
「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけ
てください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますよ
うに。」
と祈られ、十字架に向かわれたのでした。
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●ターニングポイント
今日の箇所でも、イエス様はひとり夜を徹して祈られます。
これから行く道を、神様に問うておられたのです。
 
この時、イエス様のところにはたくさんの人達が集まってきていました。
食事をする暇もないほどでした。
大勢の群衆は、飼い主のいない羊のような有様でした。
イエス様は人々を深く憐れみ、いろいろと教えられました。
そのあと、おなかを減らした5千人の人達にパンを与えておなかを一杯にさせ
ました。
 
イエス様は病気で苦しんでいる人を見過ごすことが出来ませんでした。
病気を癒されました。
それでイエス様がどこに行っても、人々はイエス様がおられると聞けば、そこへ
病人を床に乗せて運びました。
実に多くの人達がイエス様を求めて押しかけてきていたのです。
人達の苦しみをご自分の痛みと感じられるイエス様は、その人達に救いの業を
行なわれました。
けれども今、イエス様は人々から離れられます。
ひとりになって神様に向かわれます。
これでいいのだろうか。
御自分が行くべき道を父なる神様に尋ねられました。
 
●イエス様は弟子たちの所へ
そのようにして祈り、祈り求めて夜は更けていき、やがて空が白み始めました。
イエス様は弟子達のところに帰って行かれます。
 
山にいてひとり祈っているイエス様に、湖の上で逆風に苦しんでいる弟子達が
見えました。
自分達では逆風を乗り越えることが出来ない弟子達でした。
自分達だけでは、前に進めない弟子達でした。
漕ぎ悩んでいる弟子達のところに、イエス様は湖の上を歩いて行かれます。
人には見えませんが、人には出来ませんが、イエス様には見えるのです、イエ
ス様はお出来になるのです。
 
●弟子たちはわかっていない
でもこの時弟子達はまだ本当にはイエス様のことがわかっていませんでした。
イエス様の招きに従い、この人こそはと従った弟子達です。
イエス様といつも一緒にいて、イエス様の人となりに触れ、イエス様の語られ
る言葉を聞き、奇跡の業を間近に見てきました。
でも、湖の真ん中で人影をみた時、弟子達の頭の中には「イエス様かもしれな
い」という思いはこれっぽっちも湧かなかったのです。
イエス様は陸に残られたのです。
来てくだされるわけがない。
弟子達は幽霊だと思って叫び声を上げるのです。
 
●「わたしだ」
おびえきった弟子達に、イエス様はすぐに声をかけられました。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」
「わたしだ」と訳されている言葉は「エゴー・エイミ」です。
英語で言えば、I amです。
何度も言っていることですが、「エゴー・エイミ」は神様がご自身を表わされる言
葉です。
出エジプト記から来ています。神様が燃える柴の間でモーセを召された時、神
様がモーセに「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われたのでした。
イエス様が「エゴー・エイミ」と言われる。
イエス様が神であられることを表わしています。
 
イエス様は神として逆風に苦しむ人々のところに来てくださっているのです。
おなかいっぱいになるほどパンをくれる人、病気を癒してくれる人ではない。
イエス様は神であられるのです。
 
●湖を歩くイエス
イエス様は逆風の吹き荒れる湖を歩いてこられました。
風に向かって歩いてこられました。
イエス様に正面から風が吹き付けます。
イエス様ご自身が私達を苦しめている逆風を受けてくださっているのです。
私達はその逆風のために進めなくなっていますが、イエス様は進むことがお出
来になります。
逆風に押し留められることはありません。
逆風に勝っておられるのです。
 
そのようにして、イエス様は進めなくなっている私達のところに来てくださいます。
 
●通り過ぎる
ところが
「湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。」
と書かれています。
 
「え、漕ぎ悩んでいる弟子達に知らんぷりをして、通り過ぎちゃうの。」
と思います。
ひっかかる言葉です。
それで色々な説明がされています。
「神が通り過ぎる、という箇所が旧約聖書にいくつかある。神様と顔を合わすと
人は死んでしまうからだ。」
という説明や
「弟子達を試すために通り過ぎた」という説明があります。
でもそうではないでしょう。
 
山の上で、逆風のために漕ぎ悩んで一晩中苦しんでいる弟子達をご覧になっ
たイエス様です。
その弟子達のために、風に逆らって湖の上を歩いてこられたイエス様です。
イエス様は弟子達と同じ逆風を身に受けておられるのです。
イエス様は弟子達を守るために、弟子達を通り越して弟子達の前に立たれる
のです。
弟子達の前に立って逆風を受けてくださる。
そうすることによって逆風を防いでくださるのです。
 
●イエス様の救い
イエス様はいつもそのようにして私達を救ってくださいます。
ご自身が私達の苦しみ、つらさを身に受けて、救ってくださるのです。
 
イエス様が歩まれた道は十字架への道でした。
私達の罪を全部引き受けて十字架に死んで、私達を救ってくださったのです。
 
夜が明ける頃、逆風をご自身が受けて湖を歩いて弟子達のところにこられる
イエス様のお姿に、十字架に向かわれるイエス様が見えるではありませんか。
 
●すべての人に言われている 
イエス様は逆風に苦しんでいる私達に言われます。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。
 
私達だけではありません。
今、全ての人々が逆風に苦しんでいます。
イエス様は全ての人々に向かって歩いておられます。
逆風から救うために湖の上を歩いておられます。
 
全ての人々はイエス様のことばを聞くことができます。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。
全ての人々は逆風が静まったことを知ります。
 
イエス様は、私達、そして全ての人々を救うために、来てくださっています。
 
●結語
今、私達はイエス様の声を聞いています。 
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。
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