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礼拝メッセージ 2015年7月12日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
マルコによる福音書 6章30節〜44節 「キリストの命のパン」
〈聖書(新共同訳)〉
6:30 さて、使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったこ
   とや教えたことを残らず報告した。
6:31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく
  休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなか
ったからである。
6:32  そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。
6:33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、
すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
6:34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のよう
な有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。
6:35 そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言っ
た。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。
6:36 人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か
食べる物を買いに行くでしょう。」
6:37 これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と
  お答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパン
を買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。
6:38 イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たち
は確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」
6:39 そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるよ
  うにお命じになった。
6:40 人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。
6:41 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、
  パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。
6:42 すべての人が食べて満腹した。
6:43 そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。
6:44 パンを食べた人は男が五千人であった。
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<メッセージ>
●5つのパンと2匹の魚
午後3時頃にインターホーンが鳴ります。
「来た、来た」
O ちゃんです。
毎日学校帰りに教会に寄ります。
以前、幼稚園に入る前のお子さんを持つお母さんの集まりを月に1度していま
した。
O ちゃんはお母さんのおなかの中にいる時から、その集まりに来ていたのです。
先週火曜日に来た時「看板に書いてある『キリストの命のパン』て、5つのパン
と2匹の魚のことでしょ」と尋ねてきました。
「そうよ。O ちゃん良く知ってるね」
と答えました。
 
イエス様が5つのパンと2匹の魚で5千人以上の人達のおなかを満腹にさせ
た。
うれしい、楽しい、心がうきうきするお話しです。
だれでもおなかがすいたことがあるし、おなかがいっぱいになった時の満足感
を 知っていますから、このお話を聞くとうれしい気分になるのです。
子供だってわかります。
 
イエス様がなさったこの出来事は4つの福音書全部に記されています。
この話を聞いた人達はみんな心がほっと暖められたのです。
どんなに多くの人達が、この出来事に慰められ、そうだった、とまた元気と力を
いただいて生きてきたことでしょうか。
●「しばらく休むが良い」
この頃イエス様のところにはたくさんの人達が押しかけてきていました。
出入りする人が多くて、食事をする暇もないほどでした。
イエス様が周りの村々に遣わしていた弟子達が、イエス様のところに帰って
きて報告しました。
遣わされた弟子達を迎え入れてくれる人達がいました。
でも耳を傾けようとしない人達もたくさんいました。
初めての経験で弟子達は疲れ切っていました。
それでイエス様は
「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」
と言われました。
イエス様と弟子達だけで人のいないところに行き、休む必要があったのです。
 
ところがその場所にも人々が押しかけてきたのでした。
イエス様は、飼い主のいない羊のような群衆の有様に深く心を動かされ、深く
憐れまれました。
休んではいられません。
いろいろと教え始められました。
●あなたがたが与えなさい
時がずいぶんたちました。
弟子たちが
「人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる
物を買いに行くでしょう。」
と言いました。
するとイエス様は
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」
と言われたのでした。
「あなたがた」を強調する文章になっています。
 弟子達はびっくりして
「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるの
ですか」
と言いました。
二百デナリオンは200万円位の金額です。
弟子達がそんな大金を持っているはずがありません。
もしかりに持っていたとしても、200万円分のパンなどすぐに手に入るわけが
ありません。
 
するとイエス様は
「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」
と言われました。
原文通り訳すと「どれほどのパンを、あなたがたは持っているか」です。
 
●五千人を養う
イエス様は弟子達が持っていた5つのパンと2匹の魚で、五千人以上もいる
人達のおなかを満たされました。
41節に「パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ」とありますが、「渡しては」
の「は」が大切です。
「渡し」と訳されているのは「与える」という動詞ですが、過去において繰り返し
継続している状態を表わすかたちになっています。
イエス様が弟子達にパンを与え続けられたのです。
イエス様はパンを裂いては与え、裂いては与え、を続けられたのでした。
与えても与えても、パンはなくなりませんでしした。
 
弟子達は渡されたパンを人々に配りました。
人々はおなかいっぱい食べました。
弟子達もおなかいっぱい食べました。
イエス様の愛に溢れたなさり様を目の当たりし、自分達が思いも寄らなかった
ことをなされるイエス様のわざに与って、弟子たちのからだも心もほっと安らい
だのです。
疲れは癒されました。
 
これがあの日弟子達が体験したことです。
 
●目に浮かぶ
2000年前のあの日の情景が、今私達の目の前に繰り広げられています。
ただただ広く広がる青い草原、 たくさんの人々
パンを裂くイエス様…
私達の心もあたたかくなり、ほっと安らぎます。
イエス様がいてくださる、
命のパンをくださる、
こころが安心で満たされていきます。
私達にもイエス様は命のパンを与えてくださっています。
●私達
今、私達、そしてすべての人達は疲れています。
自分達の力ではどうすることも出来ないと、悲観しています。
私達は、飼い主のいない羊の群れのような社会に生きているからです。
人々はそれぞれに、自分でこっちの方向だと思う方向に進んでいきます。
でも先が見えない時代です。
光のない中、希望の見えない中を、自分の考えだけで進んでいきます。
ある人達は自信たっぷりに、ある人達は手探りで、それぞれの方向に向かって
歩いています。
けれども、行けども行けども行き着かない。
うまくいっていると思っていたのに、行き止まりの道に入り込んでしまう。
困難という石につまずき傷を負う。
命の糧がなくなって倒れる。
そういうことが起こっています。
人々はもう叫ぶことも出来ません。
 
私達自身もそうです。
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●深く憐れむ
イエス様はこの姿を見て、深く憐れんでくださっています。
 
「深く憐れんで」と訳されている言葉は、内臓がよじれるほどの痛みを伴う憐れ
みを表わす言葉です。
そしてこの言葉はイエス様だけに使われている言葉です。
私たち人間は、それほどまでに深く憐れむことが出来ないのです。
どんなにその人のことを思っても、限界があります。
「あなたの気持はよくわかる。」「あなたのつらさがよくわかる」と言いますが、
やはり他の人の痛みなのです。
本当にはわかっていません。
イエス様だけです。
イエス様だけがわかってくださいます。
私達の痛みが、ご自分の痛みになるのです。
ご自分の命を投げ出してくださるイエス様です。
 
5つのパンと2匹の魚の出来事は、このイエス様の深い憐れみの中で起こり
ました。
 
●弟子たちと同じ私達
私達は弟子たちとそっくりです。
私達もイエス様を信じてイエス様の弟子になったのでした。
でも私達の思いつくことも、
「人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる
物を買いに行くでしょう。」
ということです。
これは真っ当な考えです。
この状況では最もかしこいやり方です。
 
物事をなそうとする時、私達は状況をよく考え、可能性を考えて、いくつかの可
能性の中から一番良いと思うやり方を選びます。
あるいはこの方法しかない、と思ってそれをします。
いつもいつも自分達の可能性の中で生きているのです。
ところがイエス様は、私達にも
「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」
と言われるのです。
そんなことは、考えてもみませんでした。
そんなことはできっこないのですから、頭にも浮かびません。
私達が考えてもいないこと、はじめからそんなことは出来ないと捨て去ってい
ることを、イエス様はしなさいと言われるのです。
「そんなこと出来ません」と言う私達に、イエス様は「あなたには何があるかな」
と問われます。
そう問われて自分自身を振り返ります。
5つのパンと2匹の魚。
あるにはあるけれど、それは自分自身が生きていくのに必要なものです。
とてもとても人にあげることは出来ません。
けれどイエス様は、人には分けてあげられないと思うほどのわずかなものを
持って、たくさんの人々を養われるのです。
パンと魚は自分が食べれば、それでなくなってしまいます。
もう終わりです。
けれどもそれをイエス様が用いられると、なくならないパンになるのです。
人を生かすことが出来るのです。
 
●イエスは教えられる
イエス様は実際に5つのパンと2匹の魚を5千人以上の人たちに与えること
によって、弟子たちに教えてくださったのでした。
イエス様は5つのパンと2匹の魚がなくても、人々にパンを与えることがお出
来になりました。
でもイエス様は弟子達のパンと魚を使ってくださったのです。
イエス様のわざに弟子達を加えてくださいました。
イエス様は私達を使ってくださいます。
イエス様だけの力で人々を養うことができるのに、そうされない。
もしそうされたなら、イエス様はイエス様であって私達とは関わりがありません。
 
でもイエス様は私達を使ってくださるのです。
イエス様の救いのわざにかかわらせてくださいます。
その中で、私達自身が養われ、変えられていくのです。
 
自分の可能性の中でしか考えられなかった、
自分にはそんなことは出来ないと思っていた、
これだけは自分に必要と握りしめていた、
そういう自分が変えられていきます。
自分の殻の中に閉じこもっていた私達は、イエス様がいてくだされば大丈夫
ということがわかるのです。
自分の殻を破って、イエス様の恵みの中に生きることができるようになるの
です。
 
●今も起こる出来事
5つのパンと2匹の魚の出来事は、2000年にわたって人々を慰め励まし力を
与え続けて来ました。
それはどの時代の人々にも、そして私達にも起こる出来事だからです。
 
どうしたらいいかと途方にくれるたびに、パンを裂いては渡し裂いては渡される
イエス様が見えてきます。
イエス様が裂かれるパンはイエス様ご自身です。
裂いて渡しても、渡してもなくならない命のパンをイエス様はくださっている。
わたしはそのパンを食べている。
おなかいっぱいになった。
12のかごに一杯にまだパンは残っている。
 
行き詰まって固く凍っていた心が温かくなって溶けていきます。
うれしい、楽しい、笑顔が出てきます。
 
●結語
イエス様は命のパンをくださり続けています。
私達に命を与え続けてくださっています。
 
私達はイエス様がくださる命をいただきます。
喜びが溢れてきます。
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