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礼拝メッセージ 2015年10月25日
日本バプテスト同盟  運河キリスト教会  
牧師 山本美智子
士師記 6章11節〜24節 「わたしがあなたと共にいる」
〈聖書(新共同訳)〉
6:11 さて、主の御使いが来て、オフラにあるテレビンの木の下に座った。こ
れはアビエゼルの人ヨアシュのものであった。その子ギデオンは、ミデ
  ィアン人に奪われるのを免れるため、酒ぶねの中で小麦を打っていた。
6:12 主の御使いは彼に現れて言った。「勇者よ、主はあなたと共におられ
  ます。」
6:13 ギデオンは彼に言った。「わたしの主よ、お願いします。主なる神がわ
たしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことがわたし
たちにふりかかったのですか。先祖が、『主は、我々をエジプトから導
き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべき御業はすべて
どうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミディアン
人の手に渡してしまわれました。」
6:14 主は彼の方を向いて言われた。「あなたのその力をもって行くがよい。
あなたはイスラエルを、ミディアン人の手から救い出すことができる。
  わたしがあなたを遣わすのではないか。」
6:15 彼は言った。「わたしの主よ、お願いします。しかし、どうすればイスラ
  エルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中でも最も貧
弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」
6:16 主は彼に言われた。「わたしがあなたと共にいるから、あなたはミディ
アン人をあたかも一人の人を倒すように打ち倒すことができる。」
6:17 彼は言った。「もし御目にかないますなら、あなたがわたしにお告げに
なるのだというしるしを見せてください。
6:18 どうか、わたしが戻って来るまでここを離れないでください。供え物を
持って来て、御前におささげしますから。」主は、「あなたが帰って来る
  までここにいる」と言われた。
6:19 ギデオンは行って、子山羊一匹、麦粉一エファの酵母を入れないパン
  を調え、肉を籠に、肉汁を壺に入れ、テレビンの木の下にいる方に差
し出した。
6:20 神の御使いは、「肉とパンを取ってこの岩の上に置き、肉汁を注ぎなさ
い」と言った。ギデオンはそのとおりにした。
6:21  主の御使いは、手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。
すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使い
  は消えていた。
6:22 ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言っ
  た。「ああ、主なる神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使い
  を見てしまいました。」
6:23 主は彼に言われた。「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」
6:24  ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。
  それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。
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<メッセージ>
●主は共におられるのか?
「主なる神がわたしたちと共においでになるのでしたら、なぜこのようなことが
わたしたちにふりかかったのですか。」
そう叫びたくなる出来事が私達にも起こります。
地震や洪水、津波、火山の噴火・・・自然災害が突然襲ってきて、人の命を奪っ
ていきます。
これまで築いてきた生活を奪っていきます。
戦争やテロ、衝動的な殺人、交通事故、・・・
悲しみうめく声が聞こえています。
苦しみの中で「神様がおられるのなら、どうしてこんなことが起こるのか」と思
う、
そういう経験を私達一人ひとりも、人生の歩みの中でしてきたのでした。
 
まさに、そう叫ばずにはいられないそのところで、私達は主の言葉を聞きます。
「わたしがあなたと共にいる」
苦しみの中のイスラエル
イスラエルの民はまさに苦しみの真っただ中にいました。
ギデオンが言っています。
「わたしの主よ、お願いします。主なる神がわたしたちと共においでになるので
したら、なぜこのようなことがわたしたちにふりかかったのですか。先祖が、『主
は、我々をエジプトから導き上られたではないか』と言って語り伝えた、驚くべ
き御業はすべてどうなってしまったのですか。今、主はわたしたちを見放し、ミ
ディアン人の手に渡してしまわれました。」
 
カナンの地に入ったイスラエルは、主なる神を忘れ、カナンの地にある神々を
拝むようになりました。
6章1節には
「イスラエルの人々は、主の目に悪とされることを行った。主は彼らを七年間、
ミディアン人の手に渡された。」
とあります。
イスラエルの背きのゆえに、主はイスラエルをミディアン人の手に渡されたの
です。
●ミディアン人の襲撃
イスラエルが種を蒔くと、ミディアン人がアマレク人や東方の諸民族と共に、決
まって攻めてきました。
彼らは地の産物を荒らし、命の糧となるものは羊も牛もろばも何も残しません
でした。
彼らはいなごの大群のように襲って、この地を荒らしまわったのです。
人々は主に助けを求めます。 6節には
「イスラエルは、ミディアン人のために甚だしく衰えたので、イスラエルの人々
は 主に助けを求めて叫んだ。」
とあります。
主に背くイスラエルを、それでも主は見捨ててしまうことをなさいません。
助けを求める叫びに答えてくださるのです。
 
主はイスラエルを救うために士師を立てられました。
 
士師記では、主に背く−主の裁きによる外敵の襲来−救助を求める叫び−
士師による救い−そして士師が死ぬとまた主に背く、
これが繰り返されていきます。
●ギデオン
この時主はギデオンを士師として立てられました。
主の御使いがギデオンに言います。
「勇者よ、主はあなたと共におられます。」
主はギデオンを「勇者」と呼ばれます。
 
けれどもギデオンはとても勇者とは言えない、臆病でおびえてばかりいる人物
だったのです。
ギデオンはミディアン人に奪われないように、酒ぶねの中に隠れて小麦を打っ
ていたのでした。
 
そんな彼に主は
「あなたのその力をもって行くがよい。あなたはイスラエルを、ミディアン人の
手から救い出すことができる。わたしがあなたを遣わすのではないか。」
と言われるのです。
 
とても、とても、そんなことは出来ない。
ギデオンは
「どうすればイスラエルを救うことができましょう。わたしの一族はマナセの中
でも最も貧弱なものです。それにわたしは家族の中でいちばん年下の者です。」
と尻込みするのです。
 
そのギデオンに、主は
「わたしがあなたと共にいる」
と言われました。
●しるしを求める
それでも主の言葉に従うことが出来ないギデオンでした。
ギデオンは主にしるしを求めます。
この時ばかりではありません、士師として立たされた後も、ギデオンは何度も
しるしを求めています。
主の言葉を信じきれない。
不安で不安でたまらない。
しるしを求めずにはいられないギデオンです。
主はギデオンの弱さをご存じでした。
その弱さを受け入れてくださいます。
そして、しるしを見せてくださるのです。
 ●アシュラ像を倒す
主から召しを受けたその夜、主はギデオンに、父親のものであるバアルの祭壇
を壊しアシュラ像を倒すように命じられました。
 
主が命じられる、しなければならない、でも家族と町の人々が恐い、
ギデオンは夜中にそれをしました。
 
でも朝になればわかってしまいます。
案の定、町の人々はギデオンを殺そうとしたのでした。
その時思ってもいなかったことが起こりました。
父親がギデオンをかばったのです。
「もしバアルが神なら、自分の祭壇が壊されたのだから、自分で争うだろう。」
これがバアルの祭壇を作りアシュラ像を拝んでいたあの父の言葉です。
主はギデオンの父を主なる神に立ち帰らせてくださったのでした。
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●戦い
いよいよギデオンはミディアン人との戦いに出ていきます。
ミディアン人達はヨルダン川を渡り、ガリラヤ湖の南にあるイズレエルの平野
に陣を敷きました。
その数はいなごのように数多く、平野全体に広がっていました。
 
●300人に減らす
この時主はギデオンに意外なことを言われるのです。
ギデオンの率いる民3万2千人は多すぎるから、300人に減らしなさい、と
言われたのでした。
イスラエルが神様に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言
わないために、そうしなさいと言われるのです。
ミディアン人の軍勢に対して、3万2千人でも足りない、もっと人を集めなけれ
戦いに勝てないと思うのに、主は300人に減らしなさいと言われる、あまりに
少ない人数です。
主の命じられたとおりにしたものの、ギデオンは不安でたまりませんでした。
●偵察
その夜、主はギデオンに、こっそり敵陣に下っていって彼らが何を話し合っているか
聞きなさい、と命じられたのです。
ギデオンは敵陣に下り、ひとりの男が仲間に夢の話をしているのを聞きました。
「わたしは夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕
まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしま
った。」
 すると仲間が答えました。「それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの
剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡された
のだ。」
これを聞いてギデオンはひれ伏します。
主が戦ってくださることが、はっきりとわかったのです。
そしてイスラエルの陣営に帰って言いました。
「立て。主はミディアン人の陣営をあなたたちの手に渡してくださった。」
 
このようにして主は、ギデオンに勇気を与えてくださったのです。
そして実際に、主ご自身がイスラエルをミディアン人の手から救い出してくだ
さいました。
 
●私達
私達はギデオンとそっくりです。
臆病でいつもおびえています。
 
私達の暮らしている社会は、イエス様を信じていない人達がほとんどですか
ら、その中で、人に隠れて信仰生活を行なっている、
勇気の無い自分を嘆き責めます。
 
けれどもそのような者に、神様は目を止められるのです。
この人を、人々を救う計画に用いようと決められます。
そのようにして、私達は召し出されたのでした。
 
それでもなお、主の召しに答えられない私達です。
「わたしは貧弱な者です。わたしには力がありません。とてもそんなことは出
来ません」と尻込みをするのです。
その通りです。
自分自身を見れば、とてもそんなことは出来ません。
 
尻込みする私達に主は確かなしるしを表わしてくださいます。
主に押し切られて、私達は立ち上がらせられます。
 
でも主に立たされた後でも、私達は臆病なのです。
立ち向かわなければならない課題はあまりに大きく、恐れうろたえるばかりで
す。
絶えず不安が襲ってきます。
私達自身は自分で自分を変えることが出来ません。
勇敢になれません。
力強くなれません。
 
けれども主は、そのような私達をよくご存じです。
不安で一杯の私達が安心できるように、働いてくださるのです。
 
●優しい言葉
ギデオンに対する主の言葉はやさしいです。
平野一杯に広がるミディアン人の陣営、自分達は300人。
ギデオンは恐れおののいていました。
その夜、主はギデオンに言われたのです。
「起きて敵陣に下って行け。わたしは彼らをあなたの手に渡す。
もし下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて敵陣に下り、
彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、
敵陣の中に下って行くことができる。」
敵陣の話し合いをこっそり聞くことがギデオンには必要でした。
主がしてくださることが分かって力を得なければ、敵陣に下って行くことが出
来ません。
主は「もし下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて行きなさい」と言っ
てくださいました。
ギデオンは従者プラを連れて、敵陣の武装兵のいる前線に下って行きます。
ひとりでは恐かったのです。
いつも神様は私達の弱さを受け入れてくださいます。
「そんなではだめじゃないか」と叱ることをなさいません。
私達に必要なことをしてくださり、励ましてくださいます。
力を与えてくださいます。
 
●12弟子
イエス様もそうです。
福音の宣教を託すために、イエス様が選ばれた12人の弟子達は、力ある人
達ではありませんでした。
もし人の力を利用しようとすれば、高い地位にいる者や権力者、金持ち、学者
などから弟子を選ばれたでしょう。
けれども、弟子として選ばれた人達は、片田舎のガリラヤに住む漁師や徴税
人などでした。
勇ましい弟子もいました。
彼は「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」
と言いました。
でもイエス様は彼がいざとなると「あの人を知らない」と言うことをご存じでし
た。
イエス様は言われます。
「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなた
は立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
 
イエス様をお金で売り渡す弟子がいました。
他の弟子達も、みんなイエス様を捨てて逃げていきました。
 
 ●愛し抜かれる
イエス様が選ばれた弟子達はこういう弟子達でした。
 
けれどもイエス様は、弟子達を愛して、この上なく愛し抜かれたのです。
イエス様は弟子達に言われました。
「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に
世に勝っている。」
 
 ●私を召される主
ギデオンを選ばれた主は、
12人の弟子を選ばれた主は、私達ひとりひとりをも選ばれました。
力のない者です。
恐れてばかりいる者です。
 
その上数が少ない。
私達の住む社会において、キリストを信じる者はほんの一握りです。
貧弱な群れです。
 
けれど、それは問題ではありません。
主が働かれるからです。
 
3万2千人の兵を300人に減らせと主が言われたのは、
イスラエルの心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと思うようにならせな
いためでした。
 
私達はつい数に頼り、力に頼ります。
何かをなせば、まるで自分が何かをなしたかのように、おごり高ぶる心にな
るのです。
 
一方で、数が少なく、力が弱いと思う時、自分には何もできないと思ってしま
います。
その通り、私達は何もできないのです。
 
けれど、そうであるからこそ、私達は主がすべてをなしてくださることを知るこ
とが出来るのです。
主がしてくださいます。
 
●結語
臆病な私達、
恐れ、不安になり、私には出来ないと思う私達に、主は言われます。
「わたしがあなたと共にいるから、出来る」
主は言われます、
「わたしがあなたを遣わすのではないか。」
主に遣わされて、私達は日々の暮らしの中へと遣わされていきます。
 
私達は聞きます、
「勇者よ、主はあなたと共におられます。」
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